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走ることについて僕の語ること

ハルキストの皆様はこのタイトルをご覧になられて
「あ、こいつやったな」
と、お思いになるかもしれません。仰る通りです。
小説家の村上春樹さんが2007年に執筆されたエッセイ
走ることについて語る時に僕の語ること
完全にこちらから拝借しました。
村上春樹さん自身もこのタイトルはとある海外の作家さんのものを参考にされているらしいのですが、長くなるので割愛。
なんとも素敵なタイトルだなと思い手に取った次の瞬間、気が付けばレジに運んでいました。
それは良いとして、とにかく走るって素晴らしいんです。

でも、元々僕は短距離は好きでしたが、長距離は本当に大嫌いでした。
学生の頃、『マラソン大会』というものがありまして、この前日なんかは悪夢を見るくらい、本当に長距離というのは苦手でした。
「心臓の音はすごく速くなるし、疲れるし、足が痛くなるし、なんで走る必要なんてあるんだ?」
そういう気持ちでした。走ることが習慣になるまでは。

走り始めたきっかけは?

思っている以上に『自分に体力がないこと』が判明したからです。
コロナ禍でリモートワークが普及し『出社』というイベントがなくなりました。
案外これって強制的でも運動になっていたんですね。
一日中家のデスク前に座りっぱなし、という状況でした。
「絶対これ身体に良くないよな」と思いながらも、特に何かをするわけではなくのんびり椅子に座り続けていたのでした。
「健康には良くないよな」と思いながら食べてしまうファストフードや、深夜のラーメンみたいなものですね。

ある日、友人と出かけた際にとある神社に行きました。
その神社は天に昇っていくような高くて急な階段をクリアする必要があるのですが、この時に僕は『走ること』を決断します。
階段をクリアすると、情けないくらい息が上がって、両手を合わせてお参りする時にもまだ酸素が少しばかり足りないくらい、呼吸が安定しなかったのです。

元々僕は小学生から高校生までバスケットボールをしていました。所謂、スポーツマンだったわけです。
それが今や、神社の階段をのぼっただけで「この辺り酸素薄い?」みたいな状況になっている。
なんとも情けない話だなと思いました。

考えてみれば、社会人になってからロクに運動はしてこなかったので、当然と言えば当然なのですが。
リモートワークで明らかに運動不足であることを突きつけられ、そして実際にとんでもなく体力のない自分に気づいてしまったこと。これが、僕が走り始めたきっかけになります。

走り始めた初日

一言で表現するならばそれは『絶望』でした。
仮にも、僕は元々スポーツをやっていた人間であったはず。
「社会人になってから運動をしていないとはいえ、人並みくらいには走れるだろう」
こんな甘い考えの下、家の近くにある堤防へ意気揚々と向かいます。

堤防へ到着し、念入りにストレッチをして、iPhoneの中にあるランニング用のアプリを立ち上げ、いざ地面を蹴り出し、希望の彼方へ。
気持ちが良いものですよね。左手には江戸川が流れていて、季節は初夏。
太陽の光を反射させながら、水面は宝石のように光り輝いていました。
追い風で、優しく背中を押すようにどんどん僕のスピードも伸びていきます。
大袈裟かもしれませんが、「この堤防は僕のためにあるのではないか?」と思うくらい、本当に気持ちが良かった。走り始めて500メートルくらいまでは。

なんだか息がしづらくなってきて、足も重い。
「スピードに乗って結構な距離を走ったんだな」
そう思ってiPhoneを見てみると、なんと0.65km。
「冗談だろう?」
iPhoneにそう話しかけながら、喋った分の酸素を取り返すべくまた荒い呼吸をして、なんとか1km地点まで身体を持っていくので精一杯。
完全にここで立ち止まりました。

すごく落ち込んだのを覚えています。
1kmも走れない元スポーツマン、誰が信じてくれるでしょうか?
ここから僕は、
「シューズが悪いのかな?」
「着ているウェアが合っていないのかな?」
などととんでもない言い訳を考え始めます。
もしコンサルタントの皆様がいらっしゃれば
「こいつは救いがない」
と思われるような仮説を立てたりするわけです。

それから

自分の体力の無さに絶望し、次の瞬間に沸々と湧き上がって来た感情は『悔しさ』でした。
「こんな悔しい思いをするためにわざわざ走り始めたのか?」
「こんなことならもう辞めてやろうか」
そう思いましたが、別に辞めたきゃ勝手に辞めればいい話ですよね。
誰に強制されたわけでもなく、自分で勝手に始めて勝手に絶望しているわけですから。
「まずは3km、これをきっちり走れるようになりたい」
この3kmというのが堤防の片道が1.5kmなので、これを往復して戻ってくる距離なんですが、なんとかこれを完走したい。
そう思って、翌日からはペースを落としながら、走り切れるように頑張ってみました。
確か1kmあたり5:30くらいかけて3km完走したのを覚えています。
この時は本当に嬉しかった。

そこから走ることが楽しくなり、体力をつけることとかは二の次になりました。
「とにかく走りたい」「前より良いタイムで走りたい」そんな気持ちに駆られて、最低週に3回は堤防に出没し走っていました。
走ることが目的になっていったんですね。

二ヶ月ほど3kmを走り続け、それから5kmに距離を伸ばします。
堤防を往復していたコースも変え、江戸川に架かる橋を渡って向こう岸へ。
なんだか冒険しているような気持ちで、走りながらすごくワクワクしていました。

そして今は10km走るようにしています。
これにはとある時計店の方の発破があったわけなのですが、これはまた後述。
走ることが習慣化し、今となっては走らない日は少し気持ち悪いくらいの感覚です。
月100km走ることをノルマにしています。

これからも走り続ける?

迷うことなくYesです。
走るということが、もはや僕にとっては朝起きて歯を磨く・顔を洗うといった行為とほぼイコールになりました。

走っていると、未だに途中で歩きたくなる瞬間が来ます。
「昨日の夜、寝るの遅かったし仕方ないからよ」
「今日は調子が悪いから歩いちゃえよ」
僕の中の悪魔がそう囁くわけですね。
ここを乗り越えると、そこから先歩きたくなることは二度とありません。
そのまま10kmまでスムーズに走り切ることができます。
ランニングを続けることで、体力がつくことはもちろんですが、僕にとってはそれ以上に精神力の鍛錬という機会をもらっているような気がするのです。

小さな一歩を積み重ねて、知らぬ間に10kmの距離を走っていたりする。
小さな仕事を積み重ねて、知らぬ間に大きな仕事になっていたりする。

何でもまずは小さなことからだよ、と走ることを通じて教わっている気がします。
そして諦めたくなるような瞬間にもう一歩踏ん張れるかどうか、『走ること』が教えてくれました。

ゴールはここじゃない、まだ終わりじゃない

村上春樹さんの作品に続いて今度はB'zさんの『兵、走る』まで引用させていただきましたが。

とはいえ、まだまだ世の中には素敵で素晴らしいランナーの皆様がおられるわけです。
10kmなんて余裕で走ってしまう方もたくさんおられると思います。
僕もこの『走ること』を続けて、もっと長い距離をもっと速く走れるようになりたいなと思います。
それに比例して、僕の精神力が強くなるような気がするから。

走ることってしんどいばかりではなくて、綺麗な景色が見れたり、走っている自分の足音が妙にたくましく聞こえたり、走り終わった後に感じられる爽快感だったり、色々与えてくれるものもあります。

皆さんもぜひ、一緒に走ってみませんか?


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