かるぴすの生い立ち紹介【その2】
こんばんは!かるぴすです💙
前回の「かるぴすの生い立ち紹介【その1】」に引き続き「かるぴすの生い立ち紹介【その2】」では今回は高校入学から現在までの生い立ちについてお話します。
2012年4月に公立高校に入学してから、
勉強は塾に通ってた&周りが勉強しないのも有って学内では成績トップに入り先生に気に入られました。そして赤点無し、留年無しで3年間で高校卒業出来ました。
「高校受験で第1志望の高校落ちたのが悔しかった。だから大学受験リベンジして良い大学行こう。」
その一心で勉強を頑張り、指定校推薦で第1志望の某外国語大学に合格しました🈴
しかしクラスメイトや他の同級生に無視や悪口を言われ、テストの点が良かっただけで笑われたりしました。
更には、後輩に2階から制服に弁当のおかずの汁をかけられるといういじめを受けました(その時は流石にすぐさまに先生に言いました)。
いじめられても、2012年9月の高校でのいじめによる自殺の反省の影響か先生達がいじめる人達にしっかりその場で怒ってくれたり、心の声を聴く機会を持って頂いたおかげで何とか高校生活を乗り切ることが出来ました。
高校の時のいじめに対して怒り、フォローして下さった先生には今でも感謝してます。
友達は中々出来ず、中学まで仲良くしてた人にも冷たくされるようになりました。友達できたとしても、特支の事や悩み話せる友達(最近全く付き合いのない同級生)が1人ぐらい。友達作ろうとしても友達にはなれず利用されたり上辺の関係に終わる。ただ、修学旅行の時一緒に班組んでくれた女子は居ました。
ここで高校の時の部活のお話⬇️
初心者でありながらダンス部に入るも、ダンスはついていけない(下手)、6月の文化祭の練習があって忙しかったのか最初のうちから基本的な事を教えて貰えない見様見真似、からかいや無視とかのいじめを受ける(※勿論部内で先輩達から同級生達に対する無視と言ういじめもあった)、人間関係馴染めないということでダンス部を3ヶ月で辞めました。
それから放送部に入るも、2年に進級してから先輩からのハブりやいじめを受け、先輩が引退した後 数少ない男子の同級生や後輩が辞めてしまい、当時リーダーシップの無い私には部長引き継げん、放送部引き継ぐ人居ないなって1年ほどで辞めました。
因みにこちらは高3の12月の写真(自撮り)⬇️
高校卒業後、大学進学するも必修や教養の授業に慣れるのに苦労し五月病に掛かったり、旅行やキャンプをする「旅研究部」に入るも馴染めず(※結局引退まで続いたけど)、そして社会経験無し発達障害のある私から見た同期達が大人びて見え「(このままでは精神年齢とかで)置いていかれるんじゃ無いか」と不安を抱えながら最初の1年を過ごしました。
(※授業は何とか着いていけてたけど単位落としたりしました💦)
授業や部活で中々友達が出来ず、部活内の人間関係は最初良かったものの2年生に上がってからはギスギスした感じでした。授業などで出会った友達ともトラブったりしました。それでも部活は「大学生活で思い出を作りたい」と言う想いで入部したので大学3年生の引退まで続けました。
因みにこちらは旅研究部で松江城に行った時に同期に撮って貰った写真(当時19歳)⬇️
そして大学2年生以降は何とか授業をこなし卒業に必要な単位を全て取り無事卒業を迎えました。
大学2年生の5月から卒業まで、大学内の学生相談室の無料カウンセリングに週1回通い、臨床心理士のカウンセラーと1対1で自分の障害やバイト、人間関係の悩み等を話しました。
因みにバイトは
2015年8月(1ヶ月間) 駅構内のコンビニ
2015年12月~2016年8月 和食屋のキッチン
2016年7月~2017年3月 サービスエリアのフードコート
2017年7月~9月 放課後児童デイサービス
2017年10月~2019年3月 食品工場(製菓🍰)
合間に派遣の軽作業とホテル清掃、模試監督のバイトにも取り組みました✨
しかし、バイトでは分からない事をきちんと聞いたり、チームワークの中での報告・連絡・相談といったコミュニケーションが取れず怒られたりしてました。
コンビニ、飲食では接客も経験し接客のスキルや礼儀を学べたのは良かったものの、お客さんを長い事待たせたり、マルチタスクが苦手であるが故コンビニのレジが出来なかった、飲食では料理の提供に時間が掛かったと言う失敗をしました。
放課後児童デイでは、知的障害(ダウン症含む)や発達障害を抱えた未就学児や小学生の面倒を見るのですが、障害に対する知識や主婦・福祉職で働いた経験が無いのも有り、よく暴れる子供の喧嘩仲裁等の臨機応変な対応が中々出来ず2ヶ月で辞めました。
自分の障害特性を見つめ自分に適してると思って選んだ食品工場のバイトでは怒られたり注意される事もあったけど、決められた1つの作業をこつこつと続ける感じで、飲食店の様に急かされたり理不尽に怒られる事が少なく、少しでも成長したり仕事を頑張ってたらパートの方や社員に褒められました。飲食より遥かにマシで楽しく働けました🍰
余談ですが、放課後児童デイのバイトを通して知的障害や発達障害の特性について勉強できました。なので、子供が好きで医療・福祉・教育(保育)の仕事に就きたい方やその系統の学部の大学生、将来子供が欲しいと言う方は、放課後児童デイでアルバイトする事をお勧めします✨
こんな感じで大学時代はバイトしてました💰
大学4年生になり就活シーズンを迎えますが、今までのバイトの経験や自分の特性より障害者雇用で働いた方がいいと思い、心療内科での発達検査WAISを受け、発達障害「自閉症スペクトラム障害(ASD)」の診断を受けました。
「療育手帳取れる」と思っていたけどWAISの結果を見た主治医より「療育手帳の取得は困難。精神保健福祉手帳は取れる」と言われ、精神保健福祉手帳3級を取得しました。
以下の写真は2018年3月に受けたWAISの結果です。IQ104だったので療育手帳の取得は困難⬇️
就活では、就活シーズンを迎えたと同時に障害者雇用の企業に応募したり実習に行くも障害者手帳持っておらずいくら受けてもお祈りになったり、障害特性で苦手な事ばかりアピールして中々内定を貰う事が出来ませんでした。
そこで就労移行支援を受けようと考えたけど「どうしても新卒逃して欲しくない、どこか内定貰って働いて欲しい」と言う意見で、自分に嘘ついて就活を続けていました。
そして2019年2月、前職の会社から障害者雇用・契約社員で内定を頂きました。
大学を卒業し、就労支援機関にお世話になりながらも前職の会社に入社し障害者雇用・契約社員で事務の仕事(総務)をするも、基本的な感情のコントロールだけで無く事務職で求められる従業員等の人と人の調整やコミュニケーションの苦手さ、お金の取り扱いへのプレッシャー、週5日連続の7時間45分労働のストレスで1年で契約満了により退職しました。
前職では最初電話対応苦手で避けてましたが、周りが電話しっかり取ってるし私も取ろうと思い内線や外部の他の企業などからの外線の電話対応に挑戦しました。
他の企業からの電話緊張したぁ💦
因みにこちらは前職時代 23歳の時熱海城行った時の写真⬇️
前職を退職した後の2020年4月から9月まで、職業訓練校に通いSSTやマナー、コミュニケーション、パソコン、販売物流、清掃の勉強をしました。また、自分が心身ともに健康で楽しく働ける転職先を見つけるための面談をしたり、転職活動として企業見学、実習参加もしました。
その傍ら転職活動のために福祉力検定3級や日本化粧品検定3級・2級、日商PC検定basic(文書作成)を取得しました
職業訓練校を卒業して、晴れて転職先が見つかった2020年10月からは自分が心身ともに健康で楽しく働く自信をつけるためA型作業所で、軽作業や利用者さんへの給食作り、お菓子作りの仕事をして楽しく働いてます。
そんな感じで長くなりましたが、かるぴすの生い立ち紹介【その2】は以上です!
最後まで御精読ありがとうございました💗
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という事で、またね😉✋🏻