【写真について知っているいくつかのこと Vol.2】2020年春の写真のできごと by KISHI Takeshi
早いもので6月ですね。ご無沙汰をしております!カロワークスのKISHIです。
東京都の緊急事態宣言も解除されたものの、新たに感染者数の増加なども報じられ、まだまだ予断を許さない状況が続いていますね。カロワークスのスタッフも事務所への出勤とテレワークを並行しつつ、新しい働き方を模索している最中です。
個人的には、4月~5月に外出や人と出会う機会が極端に少なかったためか、2ヶ月間の時間が抜け落ちたような、いきなり6月にタイムスリップしたような、奇妙な時間のズレを感じています。今回は、そんな2020年の春に起きたいくつかの写真関係の出来事についての話題です。
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さて、去る6月1日は何の日だったかご存じでしょうか?
日本では、電波三法が施工された『電波の日』や、東京気象台が観測をはじめた『気象記念日』などのほかに、日本写真協会が定めた『写真の日』でもあるのです!
この『写真の日』…、訳アリの記念日としても有名です。
上記のwebサイトに詳しく書かれていますが、この『写真の日』は1951 (昭和26)年に制定されました。その際に参考とされた幾つかの明治期の文献に「天保12年の6月1日に島津斉彬を撮影した」との記述があり、これを基に制定されたのですが、後年になって、この記述は誤りであったと確認されているのです…。
この薩摩藩主・島津斉彬を撮影したとされる写真の実物は、長く現存が確認されていなかったのですが、1975(昭和50)年に島津家の宝蔵から発見され、調査により藩士の市来四郎、宇宿彦右衛門らによって安政4(1857)年9月17日に撮影されたものであることが判ったのです。この銀板写真は、鹿児島の尚古集成館に収蔵されており、現存する写真のなかで、日本人によって撮影された最古の写真として重要文化財に指定されています。
この写真とは別に「(外国で撮影された)日本人を撮影した最古の写真」や「(外国人によって撮影された)日本最古の写真」も存在しており、あらためて「写真の日」を定めようとしたら、何をもって記念日とするのか、という点で議論の声があがるかも知れませんね。
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そんな「写真の日」の6月1日に、あるニュースが飛び込んできました。
それは、月刊カメラ雑誌『アサヒカメラ』の休刊です。
コロナ禍の影響を受けての広告費の激減で、維持が困難となったことが理由だそうです。創刊は1926(大正15)年とのことで、94年間という長い歴史を持った雑誌の休刊は、個人的にも大きな衝撃を受ける知らせでした。
私が学生だった当時、キャンパス内には幾つかの研究室があり、届出を出せば、制作のために夜間に泊まり込むこともできる…という非常に恵まれた環境で、学生たちのたまり場&学生生活の拠点になっていました。
さらにありがたいことに、先生方が写真関係の雑誌の定期購読をして下さっていたために、研究室には「アサヒカメラ」「日本カメラ」「写真工業」などの雑誌が置かれていて、学生が気軽に手に取ることができる極めて身近なものだったのです。(先生方、ありがとうございます…)
しかし、私は必ずしも、カメラ雑誌の熱心な読者ではありませんでした。
紙面では、機材のレビューや撮影ハウツー記事が占める割合が大きく、掲載される写真もネイチャーフォトやドキュメンタリーフォトの作品が多かったために、生意気な芸術系学生気取りだった私は、「何だか少し古い感じなんだよなぁーっ」…などと、友人たちと一緒に悪態をつきながらページをめくり、もっぱら印画紙のフラットニング(*現像処理した印画紙(バライタ紙)は、ベースとなる紙部分に水分を含んでおり、自然乾燥しただけでは大きく波打ってしまうので、熱と圧力を加えてフラットにする処理を行う)のために、数ヶ月分のバックナンバーを重ねてオモリ代わりに使う…というあんまりな扱いをしていました。(関係者の方々、申し訳ございません…)
今にして考えると、読者の中心ターゲットはカメラ・写真を趣味とする中高年の男性世代で、貧乏学生には手の届かない高価な新機材のレビューや、「綺麗な自然」「明快なリアリズム」に見えてしまう写真の表現に、少なからず反発心を抱いていたのだなぁ…と恥ずかしくなります。
そんな意識が変わったのは2010年頃で、アサカメ(と略していました)には、変わらず機材情報や、趣味的な写真ジャンルに関する記事も多かったのですが、写真家・評論家が国内外の写真表現の動向について言及する連載や、写真史を振り返る特集、写真における肖像権の問題など、それまでの紙面では珍しかった切り口の記事が掲載されるようになり、変化する写真文化の動向を取り入れようとする内容が興味深く思えたのです。
今回の休刊の報を知ってから、創刊以来の94年の変遷についての情報はないか…と調べていたところ、写真評論家・写真研究者の鳥原学さんが同誌に連載されていた『アサヒカメラの90年』(全24回:2016~2017年)という記事を見つけることができました。
同誌の歴史を軸に1920年代~2010年代までの日本の写真文化をめぐる様々な出来事が紹介されており、読み応えがあります。
連載に沿って登場するキーワードを追いかけてみただけでも…
アマチュア写真団体、月例コンテスト、芸術写真、新興写真、広告写真、報道写真、戦中の対外宣伝写真、戦後の写真工業の発展、写真家エージェンシーVIVO、同人誌プロヴォーク、コンポラ、エディトリアル、篠山紀信・中平卓馬の「決闘写真論」、自主ギャラリー、オリジナルプリント、カメラの小型化・自動化、写真表現の多様化と写真雑誌の低迷、写真美術館の登場、ニューランドスケープ、ネイチャーフォト、ヌード写真と規制、ガーリーフォト、デジタルカメラの登場とクラシックカメラブーム、インターネットと携帯電話の普及、写真産業のデジタルへの転換、日本写真の再評価、写真史の再考、スナップショットと肖像権、震災と写真、静止画と動画の融合…
などなど、アマチュアとプロ、社会と個人、産業とテクノロジー、写真表現と芸術など、日本の写真の歴史にリンクする多くの要素が登場します。
そして、連載の最終回では、現在に通じる「写真の普遍化」の状況や、カメラ市場の急速な縮小、写真雑誌の存続意義などにも話題が及びます。
その中で、鳥原氏は、過去に同誌に掲載された『海外の写真マーケットで評価される基準は「国際性と歴史性」の二つの軸で、それに対する普遍性を持ちうるか、あるいは異端として個性を発揮できるかが重要』との論を受けて、このような見解を示しています。
とはいえ、その基準に適さない写真に価値がないということではない。たとえば歴史的な史料性が大きいが、市場にはなじまないものも少なくない。考えてみれば、それをすくい取る役割を果たしてきたのが、カメラメーカーのギャラリーや写真雑誌のグラビアページだった。そしてこの混然とした場では、さまざまな写真の価値観が互いに影響を与え合うことも多く、それが西欧から見てユニークな日本写真が生まれる母体のひとつだったといえる。
[連載]アサヒカメラの90年 第24回 総写真家時代の「アサヒカメラ」, 鳥原学, 2017.11.17,
カメラ雑誌・写真雑誌という媒体では、多種多様な記事や広告が所狭しと同居していて、ページをめくっていると、自分の「好き」や「いいね」と思うもの以外の情報でも自然と目に入ってくるような構造になっていました。学生時代の私たちも、それらに反発しながらも、自分と「写真」との距離を図ろうとしていたようにも思えるのです。
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この春には、アサヒカメラの休刊以外にも、幾つかの出来事がありました。
・4月22日…月刊誌『カメラマン』の休刊 (1978(昭和53)年から42年間にわたり刊行)
・4月27日…ニコンプラザ銀座および銀座ニコンサロンの10月閉館の発表 (1968(昭和43)年に銀座に開設)
・6月1日…新宿東口の中古カメラ店・カメラのアルプス堂の8月閉店の発表 (1930(昭和5)年創業)
いずれも、長い歴史に終わりを迎えるということで、関係者の方たちのご心痛や苦渋のご決断を想像せずにはいられません。コロナウィルスの影響だけが全ての原因ではないでしょうが、立て続けに起こるこれらの出来事は、写真に関わる文化や経済活動の変容が、切実なものであることを知らせているのではないでしょうか。
私自身は、これらの媒体や場所との接点はほんの僅かなものでした。けれども、それぞれにささやかな思い出があります。
時代の変化は誰にも止めることは出来ませんが、当たり前のように存在していた物や場所が失われるとき、それに関わる体験や記憶も同時に薄らいでしまうような、どうしようもない悲しみを感じることがあります。
そんな忘却や喪失に、それでもなんとか抵抗しようとする試みが、文章や写真を残そうとする行為にも深く関わっているのかも知れません。
いま、写真はどこへ向かおうとしているのでしょうか。どうにか見届けたいと思う2020年の初夏です。
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THE・蛇足
そういえば、一度、自分の写真がアサヒカメラに掲載されたことがありました。
私の在籍していた大学では、毎年、在学生・卒業生を対象とした写真賞のコンペが開催されており、それに入選するとアサカメの記事に図版つきで掲載されていたのです。ある年、自分の作品もこれに入選する機会があり、折角だから掲載誌を購入しようと書店に赴いたのですが、どうにも雑誌をレジに持っていきづらいのです。
それはなぜか…。アサヒカメラは、わりと頻繁に「ヌード写真特集」を組んでおり、その回の表紙は、写真家・篠山紀信氏が撮影した、かなりセクシーなヌード写真だったのです…。
それも、この号に先行掲載された篠山氏の作品は、モデルを東京の青山墓地など公衆の目に触れる場所で撮影したとして、公然わいせつ罪・礼拝所不敬罪で東京簡易裁判所から篠山氏に罰金の略式命令が下った…という特別なエピソードがつきました。
そんな記念すべき(?)号のアサヒカメラは、入賞の晴れがましさよりも、表紙と後の顛末のインパクトの強さが勝ったため、今も私の家の押入れにひっそりと仕舞われています。
写真や映像文化とエロティシズム…。これも人を動かす大いなる力かも知れません…。
それでは、また来月にお会いしましょう!