シーア派の弧
「シーア派の三日月地帯」「シーア派の弧」
イランはイスラム革命後、レバノンでヒズボラの設立(1982年)を支援するなど、国外のシーア派勢力の拡大を後押ししている。イラク内戦ではシーア民兵を、シリア内戦ではアサド政権を援助し、地中海東岸に達する「シーア派の三日月地帯」を形成した。こうした援助には、資金や武器の提供のほか、イスラム革命防衛隊などのイラン人、さらにアフガニスタンやパキスタン出身のシーア派を含む兵員の派遣も含まれる。イエメン内戦でのフーシ支援も含めて、イランは外国で「4つの首都(ベイルート、ダマスカス、バクダッド、サヌア)を支配している」(マイケル・ヘイデン米CIA元長官)状況になっている[12]。レバノンに至るイランの勢力圏に対しては「シーア派の弧」という呼称もあり、これを南のイエメンへ広げて捉える見方もある[13]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%B4%BE#%E3%80%8C%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%B4%BE%E3%81%AE%E4%B8%89%E6%97%A5%E6%9C%88%E5%9C%B0%E5%B8%AF%E3%80%8D%E3%80%8C%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%A2%E6%B4%BE%E3%81%AE%E5%BC%A7%E3%80%8D
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