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伝達する文章

noteで投稿していくにつれて、読者に自分の文章が伝わっているかどうかを意識しだし、最近モヤモヤしていました。

そこで何が読みにくい文章の原因かを考えてきました。ド素人ですから、間違いも多数あると思いますが、ご容赦ください。

文章は5W1Hと言われる。今回はここからWHYを除き、動詞を足した、
・いつ
・どこで
・なにを
・だれが
・どのように
・どうした
の六つに絞って話をしていく。

まず、これらの順番を決めよう。

動詞は最後に来るだろう。
では、他のはどうだろうか。

たとえば、接続詞は必ず一番前に来る。

主語は接続詞の後に置くと、文章の意味がはっきりしやすい。

動詞の前に様態がくるのは、少しくどいのではないだろうか。

などなど、これらを総括するに順番は、
1、接続(いつ)
2、だれが
3、どのように
4、どこで/なにを
5、どうした
となる。

そして、接続とだれがの間に、必要であれば読点を入れると分かりやすいだろう。

だが、ルトの場合のみで、動詞が途中で切れていれば並列と考えるべきだろう。

接続の部分には文章そのものを持ってくることも可能だ。

その場合、接続内の主語はガ、外の主語はハが対応すると違和感がない。

接続内の主語は後ろに持ってくると、些細な読みにくさも無くなるだろう。

くわえて、接続がある場合、動詞はひとつ過去に戻るとまったく違和感がなくなる。

喩えを出そう。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」
とは、川端康成が書いた雪国の冒頭である。
これはかなり有名な一節だが、ではこれを私の考えた法則にのっとって分解してみよう。

国境の長いトンネルを抜けると、の部分が接続である。これは汽車という主語が作者独特のリズム感によって消された形だ。

後半の主語であるソコハも消されている。そして、後半部分の雪国であったが、これは時制的に雪国だ、でも文としての意味は通っている。ところが接続のあとのため、過去形に変え、若干の違和感までも隠しているのだろう。恐らく既に雪国に入ったという情景を暗に想像させるために、モウなど、本来あるべき言葉も省いているはずだ。

したがって省かれたと思わしき部分やその他諸々を復元するとこんな感じである。
「国境にある長いトンネルを汽車が抜けると、そこはもう雪国だ」
雪国を場面の形容詞として使い、印象付けた一節には感服だ。

もう一つ例として、
「パンを浮かない顔でかれは今朝に食べた」
の文章も、やはりどこか雑然としている。
これを直すと、
「今朝、かれは浮かない顔でパンを食べた」
と、こっちのほうが少しばかり違和感が払拭されたのではないだろうか。

と、見切り発車で考えてみた案だが、意外と役に立つかもしれないと、勝手に思った。

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