子猫の避妊手術といのちのパワー。
2024年6月4日火曜日晴天。
生後7ヶ月になる飼い猫、すあまの避妊手術をした。
前々から動物病院の先生には「生後半年過ぎたら避妊手術しましょう」と言われていたが、色々手続きやら何やらで時間がかかってしまい結局生後7ヶ月で手術をすることとなった。
手術をすると決めてから色々なことを頭の中でぐるぐると考えて、自分で集められる情報は手当たり次第に集めた。
「猫にとって避妊手術は本当に必要なのか」「猫が避妊手術で死んでしまう確率」や「手術の麻酔の後遺症」など、次々に浮かぶ心配事を片っ端から検索していった。
人間の病気を調べるときなんかもそうだけど、インターネットで情報を集めると大抵不安な気持ちが膨れあがっていく。
でも。そうと分かっていても、調べずにはいられなかった。
理性的には避妊手術による病気予防の効果も知りながらも、私の中の感情的な部分が「あの小さくて可愛いぷにぷにとしたお腹にメスを入れて何かあったらどうしよう」とどこかストッパーがかかってしまう。
数字では失敗する確率は数千分の一かもしれない。
でも、万が一何かあったら全て選択した飼い主である私の責任だ。すあまの天使みたいに可愛い命は全てもう私の責任なのだ。
調べては不安な気持ちになり「きっと大丈夫」と思いながら「でももしものことがあったらどうしよう」の繰り返す。
そんなふうに考えても答えの出ないことをぐるぐると考えているうちに手術の日はあっという間にやってきてしまった。
手術当日の朝。
いつも通りすあまが私の上に乗って顔をぺろぺろ舐めるので目が覚めた。
これは「お腹すいたよご飯ちょうだい」の合図で、いつも私がスマートフォンで操作して自動給餌器から餌を出すのをすあまはよく知っているのだ。
いつもなら、顔を舐めてくるすあまをくしゃくしゃ撫でながらすぐ餌を出すけれど、手術前なのでもちろん何もあげられない。
昨日夜から餌はあげていないからすあまはきっと腹ペコだろう。
いつまで経ってもご飯が出てこない給餌機を不思議そうに眺めているのでこちらの心がキリキリと痛んできた。
「手術が終わったら、たくさん美味しいご飯食べようね」
そう言って、かわいそうだと思う気持ちに踏ん切りをつけ病院へ行く準備を進めた。
病院へ運ぶキャリーは、普段から部屋に置いてあるのですあまはなんのためらいもなく中へ入ってくれる。キャリーの中で毛布に身をくるみ、自分だけの守られた空間に安心しきっているようだった。
病院までは歩いて5分。すあまの重さを腕に感じながら、なるべく車通りが少ない道を選ぶ。
病院へ着くと、すあまは少し身を縮こませているみたいだった。他の動物の匂いや自動ドアの開閉音を感じているのだろうか。
ひととおり手術の説明を受け、同意書にサインをして先生にすあまをあずける。先生はすあまが生後3ヶ月の赤ちゃんの時から見ていてくれていて、とても頼りがいのあるベテランの先生だった。
先生も看護師さんもすあまのことを覚えてくれており、毎度連れていくととても可愛がってくれているので丸1日の手術でも安心して任せることができた。
手術はお昼頃からで、終わった時点で連絡を入れてくれるようだ。また、手術中何かあった時にも連絡をくれるとも言われた。
すあまがいない間、どうせだったらすあまがいる時にはできないことを、と思い家中のあらゆる窓を全開にして換気をした。家の中をかける心地良い温度の風が気持ちよかった。
在宅で仕事をしつつ、病院の方向に向かって祈るような気持ちで唱えた。
どうか手術が無事に終わりますように。元気に家に帰ってきますように。
それから電話が来たのは13時過ぎごろだった。
無事に手術が終わって、すあまも元気。夕方迎えに来てくださいとのことだった。
先生の声に安堵しながら、残りのタスクを頭フル回転で片付け、急いですあまを迎えに走った。
先生からは手術の経過や、帰宅後の過ごし方について説明をしてもらった。そして、すあまから摘出した卵巣を見せてくれた。私はそんな覚悟をこれっぽっちもしていなかったので少し身構えてしまった。
でも、ちゃんと見なければいけない気がした。
銀色のトレーに乗せられたすあまの卵巣の第一印象は「小さい」だった。管が2つ、八の字に分かれている。
今朝ますあまのお腹の中にあった臓器だとは頭では理解しつつ、なんだか現実味が湧いてこなかった。
でも、これですあまは完全に自分の子供を産めなくなったのだ。
この小さな臓器を摘出したことが正解になるかどうかは今はわからない。でも、将来正解だったと思えるように、私にできることは全てしなければならないと強く思った。
先生が臓器の写真を撮ってもいいですよと言うので、言われるがまま写真に収めた。
ひととおりの説明が終わり、看護師さんがエリザベスカラーと包帯でお腹を巻かれたすあまを連れてきてくれた。
すあまの目は、いつもみたいな好奇心に溢れたキラキラとした光がなくて、うつろだった。まだ麻酔が効いているのか目を合わせているのに、目が合っていないような感覚。
先生達に手術のお礼を言い、無事手術を終えたすあまをキャリーに入れて慎重に家へと連れて帰る。行きよりも臓器は1つなくなっているのに、なんだかとても重たく感じた。
家に帰って、すあまの弱っている姿を目の当たりにした私はショックを受けた。病院内では病院特有の緊張している感じがあるからわからなかったが、家に帰ると痛々しいほど弱っているのがわかる。
ふらふら、よろけてしまって足がおぼつかない。
エリザベスカラーの距離感も掴めておらずドアにぶつけてはびっくりする。いつもの特大ジャンプも廊下ダッシュも夢のまた夢みたいな弱り方だった。
横になるのも辛いのか、座ってぼうっとしている。
昨日はあんなに元気だったのに、変わり果てたすあまを見て思わず涙が出てきた。
病気予防だったとはいえ、すあまが今、とても苦しい思いをしているのには違いがない。それを選んだのはすあまじゃなくて、私だ。
飼い猫にとっては飼い主の選択が全てなのだ。ペットを幸せにするのも不幸にするのも全部飼い主だ。
私はこれだけすあまに痛くて怖い思いをさせたのだから絶対に健康に幸せに育てなければならないと、この弱くてちっこいすあまを見て固く決心したのだった。
次の日、すあまは朝から元気にご飯を食べ、昨日と比べて断然回復していた。
まだエリザベスカラーを壁にぶつけてはよろけてはいるが、しっかりと歩き、私をちゃんと目で捉えて、頭を撫でろと頭突きをしてくる。
フードを出すと、食べにくそうにしながらもしっかりと飲み込んでいた。
昨日あんなに弱っていたすあまが、今日こんなに元気であればきっといつも通りの廊下ダッシュもすぐ見られそうだ。
まさに生命のパワーだと思った。
私はこのちっこくて力強いパワーを隣に感じながら、これからもすあまと一緒に生きていく。
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