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経緯

 作文を書くのは苦手だ。


 作文というよりは文章に認めることだろうか。何せ文字にしろ言葉にしろ、自己表現をするのは苦手だ。


 なのになぜ私は今文字を打っているのだろう。理由は単純だ。日本語と向き合うためだ。
 ある大人に大学卒業までに勉強すべきことを聞いた時に、こう言われた。

「日本語の正しい使い方を学んでほしい。日本人は外国語つまり英語は熱心に文法やら語彙やら勉強するのに、母語である日本語にはそのような努力をしない。けど将来社会に出て必要なのは日本語力なんだ。」

 その通りだと思った。表現が稚拙だけど、文字通りそう思った。まさに自分がそうだった。


 幼少期から英語は好きで勉強してきて、英作文だって褒められることが多かった。英検準一級のライティングで満点を取れたのは生涯の自慢とも言えるだろう。


 しかし日本語はどうだ。

 小学四年生の頃、作文講座とやらを自分でしてみたいと言った。当時中学受験を視野に入れ始めたタイミングで、某通信塾のいつものセットに付いてきたチラシ。「カレーのおいしさが伝わるような食レポをしてみよう!」のフレーズにまんまと釣られたのだ。3年間頑張ってみたけど、お世辞にも上手とはいえない文章だったと、今は思う。

 結局、大学受験勉強の最後の最後まで得意だとは言えなかった。論説文は内容が明示的で答えが見えるから好きだった。小説とか、主人公がいて感情の揺れ動きを読み取れ的な文章は、娯楽として読むのは好きでも、解くのは苦手だった。感性がズレているのだと常日頃感じていた。


 というわけで、自分の感じたことや思ったこと、生身の人間対人間では言葉にしないような、自分の奥底にある思想を文章にして、記録に残そうと思ったわけだ。
 誰にも見せない自己完結型だときっと怠惰な私は続かない。誰か見るかもしれない、誰も見ないかもしれない。そんな意識を持って文字にすることで、自分という人間を誰かに伝えるための練習をしてみようと思う。

 ちなみに名前の由来は至極シンプルだ。ネットに転がってる動物診断をしてみたら出てきた「穏やかな狼」タイプ。なんとなく「な」がない方が語感が良い気がして、/odayaka-okami/にしてみた。流行りの性格診断は何年経っても変わらず論理学者(INTP)。私の狭い現実世界では、同じ人と出会ったことがない。狼だって、時には仲間が欲しいものだ。

 そんな弱くて矛盾だらけな自分を、少しずつでも表現していけたらと思う。


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