推しへの共感力や親近感
相変わらず推しを推しています。
前回のnoteから1年半。最近、前回の「共感性羞恥」は違う感情なのではないかと考えました。そのきっかけは「観察者羞恥」という言葉を知ってからです。
詳しく解説されているURL
https://tamulog.hatenablog.jp/entry/2021/08/31/151040
確かに、相手は恥をかいてるわけではなく真剣に演じている訳で、何故か受け取りての自分が勝手に恥ずかしさを覚えているので「観察者羞恥」の方が正しい感情なのだと感じます。
さて、ずっと推しの観察者羞恥の虜になっている自分ですが、推しの沼にハマった本質は共感力や親近感が大きいのではないかと考えます。
先程観察者羞恥の話をしましたが、それは相手の行っていることを自分事に置き換えた時の羞恥だと認識してます。その自分事に置き換える行為が、共感力や親近感と結びつくと自分の中で特別だと感じてしまっているのではないでしようか。これは自問自答になりますね。自分の好きなキャラクターを演じているという親近感や演じている解釈などの共感部分がそう思わせられてると感じます。
自分は推しと縁があったコンテンツを履修するようにしています。その過程で推しの色目か新たに好きなキャラクターが増えるのは親近感なのかオタク特有なのかはわかりかねますね。
アイドルしてるアイドルが好きだった弊害でアイドルしてるアイドルソングがないと生きていけなくなったオタクの戯言でした。