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ファクトフルネスを読んで
FACTFULNESS(ファクトフルネス)10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣 https://amzn.asia/d/cI5kj7g
たまには読書感想文
久しぶりにファクトフルネスを読み返してみましたが相変わらず秀逸で好きな一冊です。本書の良さは、読者が全く世界を正しく認識できてないという気付きを与えてくれると同時に、では実際はどうなのか?どうして正しく認識できないのかを非常に丁寧に紐解いて解説してくれるところでしょう。コンテンツの「わかりやすさ」が求められる時代になり、書籍にしてもネットの動画にしても「これをやればOK!」「これは絶対ダメ!」のような白黒したインパクトの強い人を煽り立てるようなメッセージが多くなった最近です。最近の流れとは逆に、客観的な事実を元にして書かれているこの本は読んでいて内容や視点が新鮮で、自分がいかに普段、色んな思い込みを持って生活しているかを俯瞰できます。
内容も素晴らしいですが、要所要所にハンス・ロスリング氏の「人々の思い込みや間違った知識を修正して正しく世界を認識して欲しい」という純粋な熱意が感じられる点も私は好きです。もちろん書いてある内容は客観的なファクトを元に書いてあるのですが、それでもあれだけのボリュームの本を書き上げる労力や、ファクトを集めてくる労力を考えると著者の熱意を感じざるを得ません。
また著者であるハンス・ロスリング氏自身が、経済的にレベル3の状態から脱出し、レベル4になり、最終的にはカロリンスカ研究所の教授にまでなって行くストーリーも漫画のようでとても素敵です。カロリンスカ研究所といえばノーベル医学生理学賞受賞者を輩出している研究機関。その国際保健学の教授。気が遠くなる位、天高い所にいる人なんですがその彼が、過激なことを書くのではなくものすごく普通のことを書いているというギャップも面白いです。
10の思い込みについて。書籍の中では10種類の人間の認知のバイアスについてデータを元に解説されます。分断本能、ネガティブ本能、直線本能、恐怖本能、過大視本能、パターン化本能、宿命本能、単純化本能、犯人探し本能、焦り本能。先程も書いたように最近、流行ってる書籍やSNSやYouTube、マスメディアも、殆どがこの認知のバイアスを巧妙に利用して煽るものが多いですね。もちろんそうでないと興味を持ってもらえないというのもありますが、コンテンツが事実なのかを確かめるリテラシーというのは私達一人一人にかかっているのだなと感じますね。普段の自分はスマホのニュースやツイッターでかなり毒されているので、思い切り10の思い込みが入っていたなぁと思いました。
一方でどうしてこうしたファクトを認識させにくくする本能があるのかと考えてみると、ユヴァル・ノア・ハラリ氏の「サピエンス全史」が思い浮かびます。サピエンス全史は私は漫画版で読みましたが、買った当時はあまりに内容が面白くて面白くて忙しい当直の睡眠時間を削ってまで読んでいました。書籍の内容を簡潔にまとめると、生物学的なピラミッドの中ではかなり下の方にいる私達、ホモ・サピエンスが今日、ここまで反映できたのは「フィクション」を共有できたからということと、私達が共有するフィクションの内容は少しずつ変えていけるということです。この人々が共有するフィクションというのはファクトフルネスの10の思い込みを結構、使っているんじゃないかと思いました。というのもファクトフルネスに書いてあるような本能的な思い込みを刺激するようなセンセーショナルなフィクションがあれば人々はそのフィクションがもたらす価値を共有しやすいですし、それが共通言語になります。宗教や組織の中のルールも、そこに所属する人々に共有されるフィクションです。映画やドラマなどを見て感動したり共感するのも、そのフィクションの中に自分が共有できるフィクションがあるからでしょう。本来、自然界で食物連鎖の底辺で生きている動物としての「ホモ・サピエンス」単体にとってはあまり意味が無いものも多いでしょう。例えば隣人に頬をひっぱたかれたら反対側の頬も叩いてもらえなんてのは、全然、自然界では役に立たないでしょう。そんなことしてる間に猛獣に襲われていまいます。株式投資における「S&P500インデックスにひたすら積立とけ!」にしたって自然界では何の役にも立たないでしょう。しかし、ホモ・サピエンスが組織ないし巨大な社会を作る時にはこのフィクションはとても強力な力を持ちます。だからこそ組織を束ねる人はなにがしかのフィクションを作ります。神話に始まって宗教、法律、経済システム、会社理念、経営方針、みな巧妙になにがしかのフィクションを使っています。不祥事で話題になっている組織も、さぞ巧妙にフィクションを使って組織を作っていたことでしょうし、かく言う私だって今、たくさんのフィクションを社会や他者と共有しているから今、社会の中で生活しているわけであって完全にフィクションの外に出て生活することはできないわけです。(文字通り社会的に死にますね。)
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こうやって考えてみると社会の中で生活する私達、人間がファクトに基づいて正しく世界を認識するというのはそもそも論として難しいということがわかります。つまり常になにがしかのフィクションを共有してそれを信じて私達は日々、生活しているわけですから、そうすると事実を事実のまま認識するとか客観的に認識するというのは本能レベルで苦手なことになるわけです。
フィクションがフィクションなのかどうなのかを確かめるには地道にファクトをチェックをするしか無いし、それもそれで大切ですし、一方で社会の中で生きていく以上にはある程度のフィクションを信じるもしくは付き合うことも同じくらい大切だなと思いました。