妹背山に万葉人を思う ~歌枕の地を訪ねて~【和歌山 かつらぎ町】
万葉の時代、恋しい人を思いながら旅人が見上げた「妹背山」。
和歌山県かつらぎ町にある「妹山」「背山」は、万葉集に15首もの歌が詠まれている有名な歌枕の地です。
2024年11月23日、かつらぎ町役場観光課からのご紹介で、山元(やまもと)晃先生が同行してくださり、紀州かつらぎ熱中小学校ライター部員3名で「妹山」に登ってみました。
山元先生は通称・やまげん先生。植物の専門家で万葉集にも通じており、『高野山町石道の草木花と寄り道 自然の扉世界遺産』等の本を執筆しておられます。
お会いするのは初めてだったのですが、とても親しみやすいお人柄で、植物初心者の私たちを楽しませてくださろうとする、明るいお気遣いを感じました。
そんな山元先生と歩く妹山は多様な植物に満ちた豊かな山でした。
多くの説がある「妹山」
現在も地図に載っている「背山」とは違い、実は「妹山」と名の付いた山はありません。
背山と並んで小ぶりに見える峰を万葉人は妹山と呼んでいたため、どの方向から見たどの山が妹山なのか、諸説あるのが現状です。
今回はその一説、妹山とされている「鉢伏山(はちぶせやま)」に登ってみました。
妹山の頂上へと登るルートは急な坂ではありますが、コンクリート舗装されており、比較的歩きやすい道でした。
途中、見晴らしの良いところからは紀ノ川や奈良への道筋がはっきりと見えて、
「この先をたどれば、住み慣れた都につながっている」
と、万葉人が視覚的に郷愁を抱いたのがよくわかる気がします。
万葉歌は歌うもの
山の道で出会った万葉植物にちなんで、山元先生は折々に万葉歌を詠唱してくださいました。朗々と響く声が木々や青空に吸い込まれ、言葉がのびやかに山の中を渡ってゆきます。
私たちは教科書や書物など紙に記された万葉歌を黙読することがあたりまえとなっていますが、こうしてのびのびと歌うことで万葉歌が息を吹き返し、この場に立ち上がってくるように感じました。
詠む心を体感
空を望む坂道にさしかかった時、山元先生は不意に
「この坂や」
と明るい声を出されました。
てっきり万葉歌が続くのだと思っていると、
「さあ、次は何を続けるかな?」
この場で俳句の合作をしよう、ということだったのです。
坂道の先には真っ白な雲が浮かび、直接空へとつながっているよう。
道々には赤く熟れた烏瓜(からすうり)が生っていました。
そうして皆の合作として、
「この坂や雲へと続く烏瓜」
が出来上がりました。
今日、このメンバーならではの言葉で妹山の風景を詠んだ特別な一句。
万葉の人々も道中、仲間とこんなふうに合作をしつつ、旅を楽しんだのかもしれません。
山頂には万葉歌碑
山元先生にさまざまな植物を教えていただきつつ、お昼過ぎには頂上に到着。鎮座する八幡神社に参拝して、ここまでの無事のお礼を申し上げました。
鳥居の手前には、万葉歌碑が建てられています。
作者は阿閇皇女(あへのひめみこ)。天智天皇の皇女で、この歌を詠む前年、夫である草壁皇子を亡くしています。
都でも有名な背山を実際に仰ぎ見た感動を詠んだ歌ですが、「背」には夫を偲ぶ心も込められていたのかもしれません。
秋の山野草
晩秋の妹山では、さまざまな木の実を見つけました。
山元先生に勧められ、ムクノキの黒い実を口にしてみたところ、まるで干し柿のような甘さ!
思わず二つ三つと、野鳥の気持ちでたくさん食べてしまいました。
何も知らなければ、山野草は通りすがりのただの草なのですが、名前を知り、ひとつひとつの特徴を判別できるようになると、急に身近な存在になるから不思議です。
宝来山神社へ
無事に妹山を下山した後は、ふもとにある「宝来山神社」へ参拝しました。
赤が基調の社殿は格調高く華やかで、豊かな樹木に囲まれた清々しい境内です。
創建は宝亀年間(770年~780年)、和気清麻呂(わけのきよまろ)が八幡宮を勧請したことが始まりだそうです。
この日は山の中の石段を上り、奥の宮へも参拝。山元先生を始め、皆でお参りをさせていただけたご縁にお礼を申し上げました。
ところで、宝来山神社の鳥居の手前、遠く背山を望める場所にも万葉歌碑が建てられています。
山元先生は、この石碑を揮毫した今は亡き女性のお話をしてくださり、日の翳り始めた空に向け万葉歌を詠唱してくださいました。
万葉人の心
今回の取材は、「歌枕の地を訪ねてみたい」という単純な好奇心から始まったものでした。
ところが、山元晃先生が同行してくださったことで、山野草の多彩さに気付き、はるか遠い時代、それを眺めながら山を歩いたであろう万葉人の心にも思いを馳せることができました。
山に入れば自分の足で一歩一歩進んでゆくしかなく、非日常の、ゆっくりとした時間を刻むこととなります。
ゆっくりゆっくり歩くと、次第に空が、風が、たくさんの草木が、かすかな声のようなものを発している……そんな気がしてくるのです。
万葉人はもっと自在に自然の声を拾い、自分の心を重ね合わせて歌を詠んでいたのかもしれないな、と、実感できる一日でした。
そしてそれは、山元先生の丁寧なご案内があったから気付けたこと。
単に歌枕の地を訪ねただけに終わらず、万葉人の心に近づける体験をどうもありがとうございました。
(ライター部:大北美年)