見出し画像

もし村上春樹が中小企業診断士だったら~「実務従事をめぐる冒険」

「あなたが何を気にしているのかなんて、興味はないけど」
手に持った封筒から一枚の白い紙を取り出しながら、彼女は言った。
「時間がないの。早くこれを提出して」
 
僕は彼女から受け取ったその紙を眺めた。
「実務従事研修の申請書のようだね」と僕は言った。
その言葉は、彼女を少し苛立たせたようだった。
 
「あなたは中小企業診断士の実務従事制度を、くだらないものだと思っているのね」 彼女は時計に目を走らせて言った。それは時間を見るためではないことは明らかだった。
 
「でも、そんなこと誰だって知っているの。中小企業診断士は5年間に実務従事ポイントを30点稼がなければならない。本業でポイントを取得できるプロコンや、副業をやっている人なら簡単だけど、そうじゃない企業内診断士は、知り合いの会社に頼みこむか、実務従事研修を受けなきゃいけない。頭を下げたりお金を払ったりしてポイントを集めないと、診断士資格は維持できない。
それって無意味なシステムじゃないかってあなたは言いたいのね。でも、そんなこと誰だって当たり前って思っているのよ。そう、経済産業省でさえもね」
 
「経産省も。やれやれ、それじゃ意味がない」と僕はつぶやいた。
彼女は、慎重に言葉を選ぶように言った。
「でも、それが中小企業診断士というもので、あなたはそれを理解して診断士になった。私の言っていることはわかる?」
 
そう、それが中小企業診断士というものだ。この世界ではそれがルールだという事実は、僕をひどく疲れさせた。
実のところ、僕は世の中の色々なルールを受け入れきれずにいた。それは、僕がまだ子供だということだろうか。
 
「ひどいね」
僕は冷めきったコーヒーを飲み干して、もう一度、彼女から渡された実務従事研修申請書に視線を落とし、そして、希望担当欄の「財務分析」に大きく印を付けた。やれやれ。

解説
(中小企業診断士 左近潮二)
 
村上春樹の小説に出てくる主人公の「僕」は、どこか浮世離れしている。都心の瀟洒なマンションに住み、サンドウィッチの作り方に並々ならぬこだわりを持つ。洋楽マニアで回りくどい表現を好み、特定カテゴリーの女の子にはモテる。個人的にはあまり友だちになれないタイプである。

一方で主人公の「僕」は、自分を取り巻く理不尽な状況、立ちふさがる堅牢な壁に抗い続けるタフな一面を持つ。『海辺のカフカ』の一節を借りるなら、“外からやってくる力を受けて、それに耐えるための強さ”を持っている。状況を力ずくで排除するわけではないが、それを受け入れるわけでもなく、あくまでも自分のスタイルを静かに貫く。
浮世離れしている主人公ではあるが、そんなハードボイルドな姿が、読者の共感を呼ぶのだろう。
 
著者は本作で、村上春樹的な表現で中小企業診断士の実務従事制度について述べるという、まさに冒険的な試みを行っている。
「彼女」に語らせているその主張はいささか露悪的だし、何なら実務従事研修には、村上春樹的表現で言うところの「案外悪くない」部分もある。
しかし私は、著者が「ポイントどうするんだ問題」という壁に対し、遊び心をもって果敢に抗おうとしている姿勢について、一定の評価を与えたい。

でも、実務従事ポイントも理論政策研修も、面倒くさがらず、取れるうちに取っておいた方がいいと思う。私の言っていることはわかるね。

いいなと思ったら応援しよう!