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昭和の運転

最近昭和ブームが訪れ、ドラマでも昭和が取り上げられています。
昭和は64年の途中で終わりましたが、その年の世帯あたりの車の保有台数は、3世帯に1台程度でした。

今や1世帯に3台…  1人1台の時代です。

運転で昭和を振り返ると…

1980年台から急速に普及したAT車、普及前はMT車が主流でした。AT車では自動で変わるギアをガチャガチャと自分で入れ替えるMT車…

ギアを変えるためには、クラッチというペダルを踏まなければ出来なかったので、運転には両手両足が必要でした。

そしてチェンジに失敗すると「エンスト」エンジンが止まってしまい、車はその場で止まってしまうのです😓

運転が上手いか下手かは、チェンジの上手さで判断され、チェンジ中の振動がない人ほど上手いとされていました。

そして運転者同士のコミュニケーションも取られており

「先に行け」「ありがとう」「危険があるぞ」のお知らせにパッシングを使い

「ありがとう」のお知らせに、ハザードランプを2,3回点滅させていました。
(ドリカムの歌に「アイシテル」のサイン♪なんて言うのもありありましたね〜💕)

先が渋滞している時は、最後尾の車は自分の後ろに車がつくまで、追突防止のハザードランプをつけます。

直線でスピードが出る道だと、パッシングはこの先取り締まり(「ネズミ取り」と呼んでいました)をしているよ〜の合図なので、速度を落としたものです😆

これは誰に教わったのか…

職場でまだ運転に不慣れな新人の私には、先輩が指導役で着いたのですが、その先輩からこれらの暗黙のルールを教わりました。

父親から教わった友達もいました。

今これらのルールを使うと、若い運転者は訳がわからず戸惑います。
逆に我々にこれらをやられると、何?何?とオドオドします😓

令和の時代、教える人はもういなくなりました…

あおり運転、今や社会現象にもなり、法律も改正され、危険運転となれば罰金はなく、即懲役となります。

昭和もあおり運転はありました。
と言うか、日常だったかもしれません。

追い越し車線をゆっくり走ってると、トラックが右にウインカーを出しながら迫ってきます。

この右ウインカー… どけ!の合図です。

これで後ろに着かれたら、左の走行車線に進路変更しなければいけません。

1車線しかない道路でパッシングされれば、左に寄ってその車を先に行かせていました。

人の運転の邪魔をしてしまった時はクラクションを鳴らされ、拝む動作で謝罪を伝えると、「馬鹿野郎」と窓を開けて怒鳴られました。

運転者はミラーなどを使い、周囲の状況をよく見ていたので、これらの事に早く気づき、早い対応をしていたので、あおる側のイライラも短時間で済んでいたかもしれません。

しかし令和は…  ニュースで見る通りです。

運転者同士のコミュニケーションが無くなったからなのか、昔に比べて台数が増えたからなのか、運転者のレベルが落ちたからなのか…  原因はわかりません。

また、昭和を走っていた人は高齢となり、これもニュースで見る通りです。

なににせよ、車が便利で楽な乗り物という安易な考えが間違いです。

車は指1本で何人もの人を殺せる殺人兵器でなのです。
簡単に操作できるので、こんな事を意識しながら走っている人はほとんどいないでしょう。

その勘違いが事故を招くのです。

昭和のスペックからどんどんと車も進化しています。
ぶつからない車、避ける車、そんなスペックに甘んじて、簡単、楽だけが売りになってはいけません。

それらを使いこなすのは、最後は人間なのです。

令和にまたMT車が主流になれば、もしかしたら解決する問題も多いのかもしれないと考えてしまう、昭和の私でした。

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