彷徨う。
ここ数日、また気持ちが不安定。
不安定でも過度に怯えることもなく、
発作もないのは少し成長したのか。
このもやもやがすっきりと晴れる日は来るのか。
人々は救いを求め、神様という
目には見えぬ存在を創り、心の拠り所としている。
わたしも神社に行ったときは、
何処となく神聖な気持ちになる。
しかし、神様に祈っても
どうにもならないこともある。
希死念慮が顔を出してから数ヶ月。
わたしにとっての救いは死かもしれない。
ゴールがあるからこそ頑張れるように、
死があるからこそ、生きれるように思う。
死んだらどうなるのか、
怖くて怖くてたまらなかった幼年期。
でも今は死とともに歩んでいる。
危ない考えなのだろうか。
どのような状況でも、自分が欲したと思えというようなことをニーチェは言った。
初めは、年に2回も救急搬送される状況なんて
自分が欲したなんて言えるものか。と思った。
でも都合よく考えると、
発作が無ければ、あのままただひたすらに面白味のない、同じような日々を過ごし、好きなことをする気力もなく何となく生きていただけかもしれない。
ここまでくるのはしんどかった。ひたすらに。
薬が合わなくてご飯が食べれず点滴生活もしたりした。
だが、父と母の深い愛情を強く強く感じられた。
とても幸せなことと思う。
だいぶ回復し、復帰しようとした矢先に、
体調を崩し、救急搬送された。
今、振り返るとあの頃の自分には
復帰はまだ早すぎた。
こうでもしないと、わたしは無茶な道を進み
取り返しがつかなくなっていたのかもしれない。
また休むなかで、やってみたいこと知りたいこと
描きたい絵、読みたい本がたくさんで
新しい自分にも出会えた。
今はそういう時期と捉えて、生きる。
気分は不安定だけど、
それもまた過去になると何か分かるのかもしれない。
何も金持ちにならなくていいし、
高級品にも興味はない。
日々穏やかであり、
好きなことに時間を費やせることこそが
わたしにとっての幸せなのかもしれない。
自分にとってベストな生き方、働き方があると信じたい。