2023年1月31日『人生で初めて1ヶ月間毎日何かをやり続けることができた日』
2023年1月から水面下で始めた毎日投稿。
新年一発目に「毎日投稿やったりますわ!」と啖呵切っといてもよかったんですけど、自分の性格を知ってる以上、途中でくじけてしまう可能性が大いにあったため、啖呵は心の中で大切に眠らせてました。
しかし、今日のこの投稿を以て、noteの毎日更新1カ月目を迎えることになります。
「こんなんやったら自分のこと切っといてくれたらよかったやないすか!」
と啖呵に怒られそうですが、まさか自分でも続けられると思っていなかったので致し方ない。
すまん啖呵。あとで昇華したるからな。
昔から飽き性で、持続力のない、熱しやすく冷めやすい性格で、ツイッターでやってた顔雰囲気モノマネや、ラジオトークもてんで続かない。
ヘアカタログで三日坊主のモデルをやってるようなそんなこの僕が、手間も時間もかかるこのnoteを一か月も。
快挙。
快挙快挙。
快挙快挙快挙のシューリンガン。
嬉しい嬉しい。
ほんまに人生で何かを1ヵ月間毎日やり続けたことがなかったからなぁ。
むっちゃ強いて言うならまばたきと呼吸と排泄くらい。
高校でバスケ始めた時も、経験者の仲間に追いつくために早起きして、体育館にシューティングしに行ってたけど、毎日は続けられへんかったし。
そんな僕が、noteを1箇月も。
晴れの日も、雨の日も、風の日も、文字通り雪の日も。(よくぞ降ってくれた。ナイス1月。文章の重みが増す。)
バイトの日も、ライブの日も、ネタ合わせの日も、甥っ子来た日も、しんどい日も、眠い日も。
よく続けきった。えらいぞおれ。
みやっきーに「ファンの人待ってくれてるやろしなんかSNS使って毎日続けてみたら?」と常々言われるも、どうせ続かへんからとたかをくくりあげてたおれ。
成長したな。やればできるやんけ。
高校の頃のおれも、「やろうち思ったらできるやんね」と言ってくれてるはず。
傍から見れば至極当然のことかもしれませんが、僕からしたら大きな一歩です。
しかもだいぶ歩幅でかい。
難波から梅田まで「どしん」と一歩で歩いた感覚。
大巨人晃太朗。
ちょっと気分ええんで、一句詠ましてもらいます。
短歌です。
そうです。啖呵を短歌で昇華させます。
これが辞世の句になってもいいようにいきやす。
『おれ凄し 一歩で闊歩 御堂筋
折れずに過ごしし 日々の音(おと)かな』
どうすか?
鳥肌立ってる人おるんちゃう?
実はちょっと色んな意味とか技法(俗に言わんイミック)入ってるから何回も読み直して情景とか思い浮かべてみてください。
いけた?
もういい?
では、野暮ではありますが解説していきますね。
「おれ凄し」
おれ凄い、ね。
いやわかってるわ!殺したろか!てなった方、のちのち効いてくるからその青酸カリ捨てて。
「一歩で闊歩 御堂筋」
闊歩ってのは大股でゆったりと威張って歩くことすね。
この場合は、だいぶわがままな比喩なんすけど、大きく成長した僕が、一歩で「どしん」と大きな足音を鳴らして御堂筋を渡り切るくらいすげーこと成し遂げたぞっていう自慢と自信が込められてます。
ほんでこれも私的なことなんすけど、コールセンターのバイトに毎朝なんばから梅田まで30分かけてひーひー言いながら御堂筋をチャリで爆走して行ってる自分との対比と皮肉も込めてます。
これはむちゃくちゃ後付けで今思いついたんすけど、「闊歩」に「この音を耳”かっぽ”じってよく聞け」みたいな意味合いもいけそうです。いや無理やな。
で、
「折れずに過ごしし」
は、1ヵ月間折れることなくnoteを更新したよって意味と、
これ実は頭の「おれ凄し」と韻も踏んでて、「折れ(俺)ずに過ごし(凄し)し」て感じなんすけど初見で気づけたラップ好きのヘッズおるかな。
どうすか?のちのち効いた?ボディブロッた?
今でこそラップとかでよく聞く韻やけど、これ奈良とか平安時代くらいからある技法って考えたら凄いっすね。
で最後の、
「日々の音かな」
これは、どしんと鳴った重みのある足音が、1日で鳴らせるような代物じゃなくて、日々の積み重ねによって、1か月間毎日コツコツnoteの更新頑張ったから生まれた大きな音なんやでーみたいな意味です。
ほんで、最後にいっちゃんおされな掛詞が入ってるのわかります?
これ一番気に入ってるんすけどどやろか。
「日々の音かな」
「日々のおとかな」
「日々noteかな」
すごい?
我ながらよく書けた短歌だ。
コオロギが短冊に止まらないように大事にしよう。
この調子で2ヶ月目も頑張るぞう。
これからも引き続きご愛読、そしてちからこぶをご贔屓にお願いします。
今日のこと書きたかったけど、明日も朝からバイトなんで明日書きます。
売れるよ。
またね。