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ある日の雑記 #カフェ勉強の是非について

休日の午後、公園での散歩を終えた私は喉を潤し体を休めるためにカフェに入った。スターバックスである。
いつも通りほぼ満席だったものの、たまたま空いた席に座ることができて体を休めることに成功した。

カフェには2人掛けの席の他に、大きなテーブルがあり、四方に椅子が設置してあった。そこはおひとり様や並びで座る2人用かと思われるが、その日その席を埋めているのはほとんどがPCや本を広げて勉強や作業をする人たちだった。

休日というのに、ご苦労様です。

私の隣には、定年退職間際と思われる年齢の男性が2人向かい合わせに座っていて、同じく例のテーブルを見て話していた。
どうやら私の隣に座っている男性は長い海外赴任を終えたばかりで日本に帰ってきて日が浅く、はす向かいに座っている男性はずっと日本で働いていたようだった。彼らのどちらも、私の父と変わらない年頃にも関わらずエネルギッシュで、仕事の会話もなにやら高度で先進的で、やり手感がビシビシを伝わってきた(そして声も大きかったので会話が筒抜けだった)。

ひとしきり近況報告や仕事の話をし終えた後、私の隣に座っている男性が不快そうなそして大きな声でこう言った。
ここはカフェなのに、何時間も勉強している人の気が知れない。常識がないのではないか。そのせいで座れない人がたくさんいる、と。
たしかにレジには常に人が並んでいて、席が空いていないからとテイクアウトにしたり、何も買わずに踵を返す人もいた。
私のはす向かいに座る男性はまあまあ、と彼をなだめるような口調でこういった。
最近はこういったカフェでも勉強や作業をしていいですよ、と言う場所もあるんだよ。コンセントも用意されていたりするんだ、と。

それを聞いても、海外帰りの彼はまだ納得がいかない様子で、作業中の彼らをひとしきり眺めた後、それでも家でやればいいだろう。何時間も粘られたら迷惑だろう。などと言っていた。
彼らの会話は平行線で、アンチカフェ勉強派の彼は絶対にカフェで勉強をする人間の気が知れないようだった。(主に空席数を圧迫しているところに悪を感じているようだったので、もしかして今の席に座る前に少し待たされたりしたのかもしれない)
一方ではす向かいの彼は、時代なんだよ、多様性なんだよとなだめ続けていた。

先ほどもふれたが、彼らは声が大きかったので、すぐ隣の大きいテーブルで勉強や作業をしている彼らにもその会話は聞こえていたんじゃないかと思う。もちろんAirPodsをしている人もいたが。

私は自分だったら気まずくていたたまれないな、と勉強中の彼らの心中を察した。だからといって今席を立つのも会話を盗み聴いて相手の論を認めて敗走するようで癪だし、私だったらあくまでも聴いていませんよ、という風に取り繕って勉強を続けるしかないが、実際は勉強に1㎜も集中できないだろう、などと想像した。

一方で海外帰りの彼は、もし言い返されたらどうするんだろうか、などとも考えた。勉強をしている人たちは比較的若く、10~20代の男女が多く皆穏やかで知的な人種に見えたが、中には30代らしき若い男性がPCを広げていたりしたので、「あなたのほうがうるさいのでカフェの雰囲気を害していますよ」などと言われたらどうするのだろうかと考えた。
幸い彼らの中には私のような性格の悪い好戦的な人間はいなかったので、何も起こらなかった。

また、彼のいた海外(中国を中心としたアジアやアフリカなどが中心のようだった)の中にはカフェ勉強と言う文化はなかったんだろうか?
でもここまで持論を展開できるってことは、きっと今まで仕事で成功を収めて自信のある男性なんだろうななんてことも考えた。

彼らはそのうち飲み物を飲み終えて去っていった。去り際、トドメの一撃と言わんばかりに、まったくカフェで勉強なんて馬鹿げている、というような捨て台詞を吐いて行った。よほど許せなかったのだろう。
私は内心ずっと自分に関係ないことなのに勝手に気まずい思いをしながら、彼らのやりとりを盗み聞いていたので、あまり休めなかった。

それから数か月後、SNSで似た論争を読んだ。
どうやら自分の通っているスタバは席も空いていて勉強も禁止されていないのに、勉強していたら嫌味を言われたり嫌がらせをされたということらしい。
なるほど、カフェで勉強の是非はあらゆる場所で問われているのだなと思った。

カフェによっては長期滞在や勉強自体がNGとされているところもあるし、むしろそういった人のために自習室のようなエリアが設けられているカフェもあるらしい。

私自身、近所の席数が多いカフェが空いているときは本を読んだりちょっと勉強をしに行った経験が何度もある。
ランチとディナーの時間は混むのでその時間は外すようにしていた。

カフェといえば、友人と会話するためにもよく利用する。
その場合、1人で勉強するより何倍も滞在してしまったりする。あまりに長引いて気まずいとおかわりを頼んだり、別のカフェにはしごしたりもする。

そうか、結局程度の問題なのかもしれない。

そして私が行ったスタバは、そのコンセプトが曖昧だ。
スタバってどこを目指しているのだろう。
くつろぐ場所?勉強や仕事がはかどるクリエイティブな場所?本格的なコーヒーを楽しめる場所?流行の最先端?それとも変わらない味?愛想のいい店員さんと一瞬の会話を楽しむ場所?
正直よくわからない気がする。

住宅地と公園に面しているので、ベビーカーやペット連れの客も多く、テラス席もあるのでにぎやかな一方、家では集中できない人たちが自習室や図書館代わりに勉強をするのにちょうどいい場所にあったりする。
私のようにちょっと疲れて休憩したいだけの人も、友人どうしで利用して会話に集中したい人もいる。そのスタバは照明が明るいので勉強に向いているだろう。
もし店側が勉強をOKだとしているのなら、エリアを分けたりした方がトラブルが少なく済みそうだ。

薄暗いカフェならデート向けの店なのかと思うし、ソファ席があったりすると子連れには丁度いい。
しかしスタバは特定の誰かというより誰でも利用できる雰囲気が漂っている。(いいことだ)
だからこそ老若男女があらゆる目的で利用し愛されている一方で、今回のような混乱を招いているのかもしれない。


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