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子を産むのが信じられないと言われていた私

娘の恋愛に、感情を引っ張られすぎる愚かな母親である。ハッピーなまま話が進むのか? と思いきや、今度は別の問題が出てきたとか。詳細は全くわからないが、またヤキモキしてしまう。いい加減、本人たちに任せておけばよいのだ。しかし、心の平静を保つのは、なかなか難しい。親子分離ができてないんだろう、私は。

上の娘を出産したとき。産院では、産まれた赤ちゃんは、別室に集められていた。そばに赤ちゃんがいないので、夜中の授乳をしないですみ、母親は体を休めることができる。しかし、今まで四六時中胎児と一緒にいた私は、寂しくてたまらなかった。夜、一定の姿勢でなければ寝れなかった日々は、お腹の出っ張りを不自由に思っていた。それなのに、お腹が空っぽになった途端、私の心も空っぽに。

母乳が胸に溢れてくると、胸が痛くなる。子を産むと、母親の体がこんなふうに変わるのか。胸に充てたタオルがじわじわと母乳で濡れていった。タオルを洗って干しながら、我が子と離れ離れになった私は、一人部屋で涙を流すばかりだった。

夜中でも、産んだ我が子と一緒の部屋にいたかった。ずっと顔を眺めていたい。
昼間は我が子にお乳を飲ませようと、乳児室に移動する。乳首を持っていくと、力強く唇で吸い付いてくる。しかし、まだ飲む力が弱いのか、母乳の出が悪いのか、すぐに唇の動きが止まる。飲み終わると、ゲップをさせて、体重を測る。それが終わると、自分の部屋に帰る。その繰り返し。

母に、「◯子が子どもを産むなんて信じられないよ」とよく言われた。本ばかり読んで、生活感に乏しく、夢見る少女のようだったのだろう。
ふわふわしていて、世間知らずなところは今も変わらない。でも、我が子がこんなにも愛しく、心配性な母親になってしまったのだから、人生はわからないものである。

いくつになっても、どこにいても我が子は永遠に心配なんだろう。自分以外に、こんなにも気になる存在ができた。それが親になること。
子どもを信頼し、見守りたい。それが親になること。

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