ヒバも方便?
某新聞に「花を買っていますか?」というアンケート結果が。「はい」が68%、目的で一番多いのが「プレゼント」ではなく「お供え」。一方、買わない人の理由は「水替えが面倒」と「枯れるのが嫌」というのがほぼ同数でトップ。
なるほど、仏壇の花も夏場はすぐに水が濁り、毎朝水を変えてもすぐに枯れる、というか茎が腐ってまいります。なんと言いますか、バキュームカーの臭いと歯槽膿漏の臭いを足して2で割ったような強烈な臭いを発します。「美人はおならなどしない」という誤解と同じように花は常に香(かぐわ)しい匂いをふりまくものだと思っていましたのに。
冬場などは水を変えなくても何日でも持つのでありがたいのですが、仏教的には、奇麗なものを供えて仏様やご先祖さんに喜んでもらうというより、花が枯れる様を見て人生と同じであることを確認することが大切なのだそうです。
ところが先日、大通寺でのとある会議で見たこともない仏花を目にいたしました。まるで樹木のようで花は下の方に申し訳程度しか付いていません。顔見知りのK寺ご住職に「あの仏花は何ですか?」と聞きますと「あれか?あれはヒバや」「ヒバ?」
ネットで調べますと、「花のいたみやすい季節には、ヒバのみでお供えしてくださると良いでしょう」とありました。「枯れたら新しいものを供える」という理想と「造花に逃げる」という現実のハザマに見出されたこれぞ方便か。ちなみにヒバ(檜葉)とはアスナロのことらしい。ヒノキになれないアスナロを見て我が人生を思え、てか。
※方便: 仏語。人を真実の教えに導くため、仮にとる便宜的な手段
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