読まずにはいられない2
前回、育児本で迷走したワタクシ。
今は、読まないのかというと・・・読んでいない。
栄養ドリンクを飲む前に、少しでも不調を感じたら心身ともに休む。
本を読み、お笑い番組を見てよく眠る。子どもと一緒に布団に潜り込む。
真っ暗にして、ビバ8時間睡眠💤
けれど、「親となったからには」と自らに課して、
読むようにしているものはある。
ノルマに近いものなので、苦しみながら読む。
でも、読みながら思うんだ。
現実の私と物語の母親は、似ているようで全く違う。
「よかった」と。
自分の行動ひとつひとつを物語の母親と照らし合わせる。
違うを意味する「✖」をカウントする、答え合わせだ。
読む内容は、母親の歪んだ愛情が含まれるもの。
(物語なので、最後は救いがあるものが多いので「愛情」と書くが、
そうでないものもある。)
つまり、教育虐待や育児放棄など虐待が含まれる物語の本。
知らなければならない、戒めの一つだと思って読んでいる。
ルポやノンフィクションは、独身の時は本当によく読んだ。
でも、今は読めない。手を出せない。
文字通り、本に手をかけられない。
本屋の棚から引っ張り出せない。向き合うのが、怖いんだ。
新聞の記事でやっと。でも、新聞記事になっているものは、必ず読む。
見てしまったから。文字が、内容が飛び込んでくるから。
朝から泣きながら読む。
記事の子どもは、いつの間にか我が子の姿にすり替わる。
マスカラもファンデーションも修繕不可能であることを覚悟して読む。
だって、私は母親だから。
世間では、同じ「母親」という括りにいるから。
私と「あなた」の違いは紙一重だったかもしれないから。
読者のみなさまは、どんな本を読みますか。
そして、どんな本は遠ざけてしまいますか。
それは、どうしてですか。
育児本を読まなくなったワタクシ。
けれど、ちゃんとしたい気持ちはある。
だから、こうなった。
本の世界が苦しいから、
現実世界ではできるだけそうじゃない世界を作り出したい。
子どもや連れ合いに提供したい、と
今日も自分と取っ組み合いながら付き合っていく。
最後に、読まれた方の中に不快な思いや、苦しい思いをされた方がいたかもしれません。それでも、ここまで読んでくださってありがとうございます。