個人的な良いインターネット論~Twitter阻害~
良いインターネット。それは時々見かける懐古的なテイストのある心惹かれるスローガン
でもこのスローガンは良くない(道徳的な善悪というより不快という意味)インターネットとの対称的な概念を成している。良くなさ。それは良いインターネットの片鱗を一度味わったことがあるから理解できる、現状への不満である。故に懐古的なニュアンスを持ちうる。
インターネットの用途はざっくり2つで言うと「調べもの」と「交流」だが
昔と今では社会が進歩したことでノリとかは全然違う。今は扱える情報量が増えて画像とかいっぱい貼れるようになったとかよりヌクモリティとかの内面的なものに注目する。昔、今っていう分け方ガバガバすぎだろ、何年代の話だよという突っ込みは勘弁してほしい。昔とは、ここでは廃れてしまった一時期あった良いもの、文化という意味で使う。今とは、昔なかった(弱かった)今ある(強まった)悪いもの、文化。
調べもの
昔
検索サイトで調べたいものを調べると昔は個人が書いていたコンテンツが中心に出てきた。個人の書いた文章にはこだわりとか個性やユーモアがあり、セーブデータを消すことで欲しいポケモンが手に入る裏技とかも載ってた
youtubeでも検索ワードを入れてアップロード日順にすればテーマに沿った素人が作った動画が並んだ。おっぱいで調べればグラビアくらいなら出てきた。ケーブルテレビのエロ番組の転載とかがたまに見れた。
今
検索サイトで調べると
個人が作ったコンテンツではなくSEO(検索エンジン最適化)システムによってjavascriptコテコテで良いレンタルサーバー使ってるなどを見て決める。内容の濃いテキストだけみたいなサイトより内容の薄いがグラフィックが良い自社のサービスに誘導するようなサイトが上に出てきやすい。
youtubeでは検索ワードでアップロード日順にしても最新じゃない伸びてる動画に、検索ワードすらずれてる関係ない動画ばかり、素人は見てもらえないから動画を作るのをやめちゃった。エロには厳しく、サーフ系ボディビルダーの方の面白動画は、警告もなしにその動画どころか高校のころから使ってたアカウントを無慈悲に消した(凍結ですらない)。性器は映ってなかったのに、まあ全身が性器みたいな激エロボディではあるが。
交流
これは5chからヤフコメ、テキストサイトまで範囲が広げるとややこしくなるのでsnsとかの話に限定する。といっても、ワイは昔のTwitterはやってないから肌感覚として知らない。憧れてはいるが。ワイがtwitter始めたのは2012年くらいで高校入学を機に実名をローマ字にして大文字と小文字を交互にしただけのアカウント名で、プロフィールには学校名とクラスを書いて同じ学校の人に分かってもらえるようにしていた平成の身内仕様であり、オタクとしてのハンドルネームも無かった。当時はアスペムーブadhdムーブは今より酷かっただろうが、下校時に所属している友達グループが一人欠けてると待つが俺が欠けても待たないくらい程度に仲よくしてくれる人はいたからオタクとしての素養は無かった。twitterはクラスメイトの近況を見たり渾身のギャグを内輪に向けて発信するくらい。
あと、高校1年頃は自宅にwifiが無く(wifiってdsのマリオカートのインターネット対戦のために挿すusbの棒だと思ってた)、スマホはあったが、契約時にauのフィルタリングをかけられたらしく、まとめサイトも5chも見れなかった。親にフィルタリング切ってというとエロいの見たいとか思われたらという自意識過剰がその状態を大学入学の機種変まで長引かせた。高2で家がwifi回線に変えたので、自宅内にいる時だけauの携帯回線のサービスからwifiに切り替わりエロも見れるようになったので機種変まで我慢した。フィルタリングでエロが見れない間、携帯回線でもtwitterとyoutube、dailymotionなら見れた。当時はyoutubeでおっぱい検索するとグラビア動画、dailymotionなら着エロまで見れた。そしてtwitterは乳首が見えた。
裏垢を持つのは面倒くさくて作らなかった。クラスメイトにエロをフォローしてるとは思われたくなかったからしなかった。例外として当時ムッツリなクラスメイトがフォローしていた美女の画像を貼る手動bot、制服美女の宅急便と大人美女の宅急便があり(大人美女の宅急便は健全に混じって低確率で乳首現れる)それならクラスメイトもフォローしてるしいいかとフォロー。当時はアウトだと分からなかった。クラスの女にブロックされていた。まとめると初中期Twitterには身内とエロ閲覧のイメージしかない。
閑話休題この記事が好きだ。魚拓取っておこうかなと思えるくらいに。
「深夜クラスタ」に限らず、当時のTwitterはまだまだそのような部室的な居心地の良さ、プライベートの独り言を呟ける懐の広さがあった。
2010年に日本語版Twitterでリツイート機能が公式採用され、2011年の東日本大震災での情報収集が使われてから、日本においてTwitterは情報収集/発信の巨大なプラットフォームとして定着していった。2013年にステーキハウス店員が店舗の冷蔵庫の中に入った写真を公開して炎上した事件があり、その延長線上に炎上と議論の続く、現在のパブリックなTwitterがある。
ここに登場する深夜クラスタとは肌で味わったことが無いからつかめないが、次のにゃるらの抒情的な美化されたエッセイにはこみ上げるものがある。
とはいったものも結局はこれかもしれない。
そして、Twitterユーザー自身にも原因はある。「今のTwitterは息苦しい!」「かつて青春だった、あの素晴らしいTwitterを返してくれ!」そんな不満の声は絶えない。けれど、それは当時のあなたの年齢、そして当時のネット社会だからこそ存在し得た楽園なのであって、全く同じTwitterを今再現したところで、あなたの期待に添うものにはならないだろう。
今でも中高生はハッシュタグとか診断とか界隈とかを作ってうまいこと繋がり見つけて居心地のいい場所を自分たちでやってる。おっさんがそれに入れないだけ。おっさんが昔のTwitterの時代にタイムスリップしたとて、今と同じく入れないのが現実かもしれない。ただどうあれこうした理想像は明るいインターネットの未来に夢を見るための原動力として握りしめたい。
私にとってのTwitterとは、直接リプライや引用リツイートで見知らぬ人と議論をするのではなく、まさに「俺が何を書いても、それを本当に共感してくれる人は一人もいない」と考えているような独り言を呟き、それに対して「わかる」という反応が返ってくる「かもしれない」深夜のインターネットだ。
だれかが自分のツイートを見てくれてるかもしれない、逃げ場のあるネットならなんでも言える。同類がいる。年齢によらず、ハッシュタグやら承認やらのネットの深層へ到達せずともこれらの安心を享受できる。それが良いインターネットだろう。
一応自分なりにdiscordというものを解釈した記事
引用ばかりで申し訳ない。こうした良いインターネットを目指す試みとして、discordというゲーマー向けのトークアプリとみなされるカスタマイズ性にいち早く着目したインターネットをこよなく愛するオタク系ライターの方(サーフ系ボディビルダーという称号と違ってこれだけではそんなに絞れないですよね)がはじめた。ここでurl貼りすぎるとヤフー知恵袋の手抜き回答かと突っ込まれるので気になる人は「ユクーリしていってね」で自分で調べてクレメンス
昔はTwitterが他者と繋がる空間でしたが、今や一般人であれ発言に気をつけなければならない監視社会が進み、若者たちが「どこで仲間を見つけて孤独を薄めれば分からない」と困惑している様子は見ていて悲しかった。今のTwitterが「なにを推しているどのような人間か」を主張すること前提での繋がりも多く、そこまできっちりとせず、身内だけで固まることもなく、な雰囲気が形成し難い。その需要があったからか、手探りで作ったサーバーに多くの人が集まり、分からないなりにチャンネルを整備していった
にゃるらの言葉からはネットの深層にいないと気づけないワイみたいな若者(あと15年は若者を名乗る予定)の存在がいるということを分かっていて、承認欲求を隠してるのはお見通しの上でそれを人間らしいと見守ってくれるような阿弥陀如来的な安心感的なのがある。彼がシナリオ書いたNEEDY GIRL OVERDOSEという作品はまぁメインは顔が良い女性の苦悩なんだろうけど作品に登場する配信のコメント欄とか2ch的な掲示板とかtwitter的なsnsのクソリプにオタクの存在を感じさせてくれたから好きである。ワイらにネットは友達の代わりのような大事なものであっても社会にネットは脇役であり、ネットですら脇役なワイらのような存在がいることを感じ取れる人は少数。
ワイらの人生に大なり小なり影響を与えたニコニコ動画がサイバー攻撃されるという精神世界を揺るがす問題もテレビは大谷翔平のことばかりで無関心。アニメで2ch的なものやtwitter的なものが映るときって炎上とかで安全なところからアイドルとかを叩く悪意を表現する悪役として登場する。そういうのも確かに一面としては存在するんだろうが、それだけじゃないオタクというものを描いた作品をワールドワイドな完成度で作り上げてくれたところに得難い価値を感じる。
話を良いインターネットに戻す。他にも良いインターネットを目指したストレスクラブという大型ディスコードサーバーはあるが、ルールに淫夢を名指しで禁止したり、アイコンにも制約つけてて細かくて息苦しそうと感じて即抜けしたのでそっちは語れない。
だが完璧な良いインターネットではないと思う
だれも社会や政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS
これはユクーリしていってねの前身のtwitter2のキャッチコピーでありユクーリもこの路線を引き継いでいると思う。政治とか現実のことから距離を置き好きな事を語るオタクであれ。これはにゃるらが我々に期待することだろう。
ずっと前にネットで見たうろ覚えな文章(にゃるらだったかは記憶が定かではない)に救われた。
話すのが苦手でみんなワイワイ話してる中に入れなくて友達ができない人へのアドバイスとして、オタクがワイワイする会話ができないのはそういうものだから。オタクはワイワイすることよりも好きなことを語ることで相手は好きなことを語るに足る相手だということで相手に好感を持ってることを伝える。それがオタクのコミュニケーションでそれでいいのだと。だからアニメやゲーム、好きなものを大切にしようと。友達なんて普通の人でも簡単にはできないんだから期待せずオタク続けた先に出会えるといいなくらいの気持ちで行こう。という感じだったかなぁ。
だが、アニメをsnsで語るのは非常に難しいことだと思う。現実空間において話振ってくる系の店舗(避けてるから知らん)とかなら自分の好きなアニメを知らないであろう人に向けて教えてあげることになる。それならあのキャラ何て名前だっけなーってかんじで大まかなあらすじ言って面白いよーあのキャラかわいいよー。これで十分だろう。
だが、snsで自分の好きなアニメを語った場合、それを見るのはそのアニメを見た後に、他人の感想が気になってキーワードでアニメのキーワードを入れて検索した人で、いろんな感想の質を吟味して興味深いだのわかる~だの思うわけで、キャラ名間違えたりしたらにわかであるとか思われる。それに加えてネタバレを避けたい人にも気を使わないといけない。
人の目なんて気にするなと思うかもしれないが、そうはいかない。特に男性は劣等感に敏感だという。禁欲の本に書かれていたのを読んでかじった程度の知識しかないが男性はテストステロンというホルモンによって、相手を格上か格下を感じ取るらしい。社会性動物として誰がリーダーかを決める上で格上格下を決めることが生存につながるからであるという。テストステロン値は成功体験、何かに勝つと上がり、自信と不安に負けない男性らしさと筋肉が手に入る。負けると下がり、劣等感とメンタル的な弱さが増す禁欲はテストステロンを高めるからモテるという結論で展開されていた。にゃるらを性的に消費してるわけではないので安心してね。
ネットでアニメについて語ることは劣等感を刺激する。アニメを見ているときこのオープニング曲はあのキャラの感情を歌ってるんだということに気づいた、みんなにも教えてあげよう!としてnoteを開く。でも、文章書くのは初心者だから頓珍漢だったら恥ずかしいので他の人のも参考にしよう。歌詞、考察で検索…
あの曲は10話のこのキャラのこのシーンが印象的でそこは3話との比較で…すごい詳細に書かれた文章に出会ってしまった場合、ワイは尊敬と同時に劣等感を感じテストステロンが下がるだろう。
一方でにゃるらは文章が上手でアニメの感想文程度では劣等感を抱かせることはあっても抱くことは無いだろう。にゃるらとワイでは見ている世界が違えば良いインターネット論は違う。
そうした好きなアニメをその作品知ってる人に向けて語る水準の知能が無いオタクは劣等感を抱かずに何を語ればいいのか。
①クオリティ競争の場所を離れ低クオリティが許されるノリの場所
例えばTwitterの淫夢など。淫ク☆の合作動画とかカッティング先輩や音madは完成度高すぎるからダメ。画像リプとかペイントアプリで野獣先輩の顔で遊び30分で完成するようなやつで笑う世界。でもここも面白さという競争は一応あるから阿弥陀如来ほど広く人は救ってはくれない(友達が存在したら引かれる)
②考察とか感想文や考察は難しいから変化球オタクになる
アニメを見たら自分の恥ずかしいエピソード思い出した~このキャラおっぱい大きい~みたいな下品で自分のキモさを出すオタク的な文章路線。ナンバーワンでは無くオンリーワンのキモさを出す。面白さという競争はある(友達が存在したら引かれる)
③政治や社会に対して思っていることを言って批評しあったりする無数の政治のクラスタの一つに入る。
Twitterは自分に似た考えを持った人の集まるツイートをアルゴリズムで集めて束ね、(ネトウヨ、社会正義、表自戦士、男女論、反ワクチン)といった集合知のようなものが出来上がる。集合知を140字で文字圧縮する作文レースは競争だが、政治思想は集合知からひたすら離れる、つまりは逆張りする政治もある。逆張りすればは人の数だけ多様性が生まれるからお互いが独立した存在、主人公でいられ、救われる人が増える。(友達が存在したら引かれる)
③を掘り下げてみる。どう逆張りするのか。
例えば賃上げ。普通の人は賃金上がって欲しいと考える。最低賃金の引き上げではない賃上げがなぜ起こるのかを考えたら売り上げが増えたor機械を導入して機械を扱う高収入を増やし、それ以上にロボットみたいな仕事しかできない低収入を減らした。多数派のgdp成長論者にとって高収入が増えれば消費が増え、増えた消費を補うために減らされた低収入に仕事が生まれるから問題ないという。だが増えた消費を補うための生産とは何か、それは高級腕時計みたいな一点もので大量生産せず、したがって反復動作の仕事を生み出さないものやサービス業だったりする。故にロボットみたいな仕事できないワイには生きづらくなるわけで賃上げや経済成長という言葉を使う政治家と支持してしまう多数派を冷笑するのは逆張りである。中国では寝そべり主義として一定の支持を得る反経済成長派は日本ではまだまだクラスタになってないから集合知も出来上がってない。集合知が無いので逆張りとして成立する。多数派が支持しているもの、例えば日米同盟とか大麻取締法とか、そうしたものに反対するサブカルムーブはとても楽しいからおすすめである。こうして文章が次々沸いてくるように。逆張り政治で今流行っているのは「チーズ中道」というものである。暇ならTwitterを開いてチーズ中道というワードで検索して見てほしい。それはオタク的風貌の男性がチーズ牛丼を頼んでいることからオタクを表す「チーズ牛丼」と、政治の右翼左翼に対する「中道」を組み合わせたものである
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詳しく解説すると長くなるので手短に言うと、中道名乗る人って芯が無いとか、なんかモラリスト気取ってうざいよねということに共感を広めるために広まった概念である。チー牛という言葉はいろいろあるが、オタクのようにインドアヒョロガリで身なりに無頓着だがアニメについて語ったりゲームが苦手だからオタクグループに入っていけずオタク名乗れない自虐として、共感を呼んで自虐として便利な言葉である。だが一方で自閉症的特徴、容姿がオタクな人への差別用語としても使われていて、辞めなよ!チー牛って言葉は差別用語でインターネットでは恥ずかしいことなんだよ!とこの言葉を無くそうというモラリストもいる。そうしたモラリストに対抗するサブカルムーブとしてのニュアンスがあり、今一部界隈で盛り上がってる。こうした逆張り的な営みを続けた結果完成するもの。それは一般人から見たら過激派とか陰謀論者といった、あまり良しとされないもの、社会悪になるだろう。だが、いいじゃないか、社会悪、社会ではなく自分として正しく生きるのはかっこいい。と思ってしまうのはアンパンマンを視聴している時もバイキンマンを応援してしまう逆張り根性だからだろうか。
①も②も③の立ち回りも現状のインターネットではバズによって見つけてもらえない。だからこれらが出来る良いインターネットが必要だが、
だれも社会や政治の話をせず、毎日みんなでアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS
でもここではチーズ中道について語ったりはできない。こっちはアニメの話とか動物の話とか、刺激臭のしない平和で楽しもうな。
そして、アニメの感想や考察を述べる環境に劣等感を感じてしまう人のためには刺激臭のある話題をできるようなチャンネル構成のある
誰もモラルの話をせず、毎日みんなで社会や政治の話をしたりアニメを観たりゲームをしたりして1日がおわるマジで楽しいSNS
をつくることが良いインターネットを完成に近づけるキーワードなのでしょうか。
そのためにはユクーリしていってねだけではなく良いインターネットを実現しようという試みが広がってほしい。そのための手段の一つが良いインターネットに語ることやディスコードの楽しい使い方を広めるためにこうしてnoteを書いたりdiscordサーバー運営したりすることがワイにとっての今のハマっている趣味である。一応リンク貼っておく。
https://disboard.org/ja/server/1201855762465554512
https://disboard.org/ja/server/1306452599943467018
良いインターネットを広めるため考察としてtwitter疎外という概念を言語化して終わる
Twitter疎外(twitterで起こる人間疎外)
人間疎外(アトム化)という言葉がある。マルクス主義者がよく使う言葉で人間の意志による自律的な協働よって成り立っていた生産が高度に機械化したことにより、労働者が自分の意思で生産を担っているという自覚が生きるために全体像が分からない複雑な生産プロセスの部品として身を置くことにすりかわり働きがいを失ったりプライベートの繋がりが希薄化して孤立したりすることを言う。物質の最小単位の原子になぞらえてアトム化ともいう。Twitterも自律的馴れ合いがアルゴリズムが高度化した結果、流行を探しやすくなりコンテンツの安定供給と引き換えにいいねをしてインフルエンサーに承認を提供することにすりかわったことで、馴れ合い的な繋がりが希薄化した。これは本質的に労働における人間疎外と本質的に変わらないと感じる。
むしろ仕事にやりがいを感じなかったところで、これを人間疎外だと怒るより、仕事なんて金を得るための手段だとなるべく考えずに割り切っていたい。マルクス主義者的な人は自分の仕事に誇りを持つような意識が高くて弱者男性性を感じない。働きたくない!もっと適当に生きていける社会を!というノリとはそりが合わない。
だがネットとは居場所のためにある。居場所のためにネットにしがみついても、バズってるのばかり見せられ、誰からも見つけてもらえない。作文レースの審査員みたいな視線で見つけてもらっても嬉しくない。疎外されている。そう感じることはとても悲しいことだ。
友達がいる奴は身内で楽しむから問題ないにしろ、フォロワーゼロの🤓は面白いこと書いても誰も反応せず、かといってリアルで孤立してる奴はネットくらいしかすることがなく、その結果インフルエンサーにいいねし、クソリプでいいねおこぼれ貰うがそこから🤓同士の繋がりには広がらず、賑やかしという部品になり、ネットの喜びを失い孤立感を強化する。
創作という生産手段を持つ有産オタク以外にはアライさん界隈などの界隈とか、繋がりを構築する手段は一応残ってはいる。だが、かなりうまくやる必要があり、大多数の人はたどり着けない。フォロバ100というハッシュタグを使う手っ取り早い手段はフォロワー数増やして遊ぶゾンビの呻き声で埋め尽くされて使えない。Twitterは政治ばっかり!という割に情熱を持ってマイナーな政治思想を持ってる奴は伸びなくて発信する情熱を失い、多数派はそんなに情熱持ってないので現実の政治活動は盛り上がらなくなる。どうしたらいいのか
良いインターネットを目指したクローズなDiscordサーバーを作るだけでは不十分で、Twitterとかのオープンな場所に良いインターネットの領域を作る必要があると思う。
そもそもなぜバズるのか
みんなはいいねが1つもついてないツイートにいいねを付けるのと、いいねが10万のツイートだったら後者の方が気楽にいいねできる。いいねが少ないと、嬉しくなった向こう側が誰がいいねしてくれたのか確認するから相手に存在が見つかることになる。それが楽しいが、同時に面倒臭いと感じるのがネットである。そうして伸びているツイートのRTボタンばかり押すとメジャーなコンテンツが前に押し出されているようになる。伸びているツイートを選ぶレコメンド機能がその流れを後押しする。だとすれば、一人一人が良いインターネットになるようにバズってるものをRTするのではなくもっとマイナーな素人臭いものに価値が評価されるべきと思っている。良いインターネットとは面白い「マイナー」で「なんか良い」ものを発掘することに愉悦を見出す人が増え、それを教えてあげようという気の起こる、それを必ず誰かしらが見ている人がいるという世界を目指すことがバズってるツイートのRTボタン、いいねボタンにカーソルが引き寄せられる力学に抗えるのかもしれない。ユクーリもワイのサーバーもそうしたマイナーなものを書くチャンネルがある。だがワイの鯖は人がいない😇。
結局、いいねの数ではなくいいねの価値という話になってくる。例えば知らん人にいいねしたらそこからアカウント遡ってきてくれたいいねの方が他人のバズったツイートへのリプについたいいねより価値があり、スパムやフォロワー増やしたい虚無からのいいねにはマイナスの価値がある。
そしてTwitterで知らん人に見つけてもらってついたいいねよりも、noteについたスキの方がワイは価値を感じる。スキを押して欲しいってことさ。
だがしかし、ビジネス商材っぽい感じのアカウントから来るスキはマイナスの価値を持つ。Twitterは他人のいいね欄が見れなくなったのもそれを加速させた。無名人が描いた絶妙なエロ絵にいいねしている人を見れなくなった。だがnoteはスキした記事が見れる。にゃるらの日記を読めば、それにスキしてる人の書いてる文章を探してネットサーフィンすることを楽しめ、そこから更に素人感のある文章を探して読んでみたり。
文章は、絵と違って誰でも書くし、書かなくても脳みそは絶えず言語化している。絵なら素人でも上手い絵を描こうとしてしまうが、文章は、何に興味があるかが伝わればいいし、オタクが何か言ってるのに安心感を感じるのでは無いだろうか。
エロと政治と淫夢を排除する方向できれいな「良いインターネット」を実現しようとする人とは棲み分けながら、汚い「良いインターネット」を実現しようではないか。バイバイキン