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"イイ推し"のおかげで人生に光と道が出来た

11/4はイイ推しの日(1104=イイオシ)だったそうだ。

私も40歳を超えてから堂々と「私の推しは!」と言えるような推しが出来た。

それ以前は"推し"という言葉に正直あまり良いイメージを持っていなかった(ゴメンナサイ…)。

"推し"に繋がるものとして、"オタク"とか、"熱狂的過ぎてちょっとイッちゃってるファン"のイメージが私の中にはあった。

しかし、いざ自分に推しが出来るとそのイメージは180度変わった。

推しは人生を前向きにしてくれる!
(但し、適度な距離を維持すれば)

推しが出来るまでの私は、ちょっとしたトラブルのせいで光が見えない真っ暗な人生を彷徨っていた。いや、立ち止まっていた。
そこからちょっと脱却しても、常に後ろ向きな思考と共に生きていた。

長期的な未来にも短期的な未来にも、なんの楽しみも感じられず、見つけられず、他人も自分も大嫌いであった。

神様が目の前に現れて、"生きる"か"死ぬ"か好きな方選んでいいよ、と言われたら即答で"死ぬ"を選択するような日々を送っていた。

そんな中"推し"を見つけられた。

推しがいると
次の推しの発生まで心に楽しみを保有できる
推しががんばっていると自分もがんばろうと思える
推しが辛そうだと心配になる
推しが楽しそうだと自分も楽しくなれる

推しがいることで自分の中に感情の波を起こせているのである。

感情があるとは人間らしく生活出来ていることである。

推しが出来たことで、今まで『無』であった人生が『動』をおびてきたのである。

これはもう推しに感謝である。

そして、これは子供を持つ親の気持ちと一緒なのかもしれない。

私には子供がいないので、子供がいたら感じるであろう感情を、推しに感じさせて貰っているのである。

ちょっと怪しい思考の人っぽいけど、その辺は適度な間合いをキープしていて、まだ理性が働いているので大丈夫だと思う。
(推し活に散財してないし、ネットで過激な書き込みもしてないし…)

"推し"とはあくまでもこちらからの一方的な認識の元に成り立つ存在であり、推し側には何の調整機能も無い。

だから、"イイ推し"になるか、"悪い推し"になるかは推している側次第である。

昨日"イイ推し"の日だったので、自分の"推し"を今一度距離間含めて振り返ってみたところ、私の推しは私にとっては"イイ推し"であった。
よかった。

「オタクになれるものがある人の人生は幸せな人生である」
と聞いたことがある。
推しもそれと同じ。

私の真っ暗な人生に光を灯し、道を作ってくれたのは、間違いなく私の"イイ推し"である。

今は、目の前に神様が現れて"死ぬ"と"生きる"を選んでいいよ、と言われたら、しばし考える人生を生きられている。





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