プロレスラーの決め台詞に勝手に侍の面影を感じる
プロレスラーには決め台詞を持っているレスラーがいる。
試合で勝った後にマイクパフォーマンスというものがあり、そこで今の対戦相手に対してとか、今後の対戦に繋がること等を言って盛り上げる場である。
決め台詞のある選手はそのパフォーマンスの最後をこの決め台詞でしめる。
棚橋弘至選手であれば「愛してまーす!」
(6分20秒ぐらいから)
内藤哲也選手であれば「ロスインゴベルナァ~~ブレス、デ、ハ、ポン!」
(3分20秒ぐらいから)
AEWにいってしまったケニー・オメガ選手であれば「good bye and good night!」
(1分55秒ぐらいから)
そして私の推しレスラーの決め台詞は
「僕は、逃げない、負けない、諦めない、そして裏切らない」
飯伏幸太選手の決め台詞だ。
(3分45秒ぐらいから)
飯伏幸太選手プロフィール
↓
この言葉は飯伏選手がファンへの約束と同時に、自身に対して言い聞かせている言葉なのであろう。
だからプロレスの決め台詞の割にはとても重い言葉である。これは格言である。
飯伏選手の決め台詞は他の選手のそれとは方向性がちょっと違う。この格言を決め台詞に使用している飯伏選手は根が真面目で真っ直ぐなんだろうな、と思う。
飯伏選手は破天荒キャラと位置付けられていて、プロレスがぶっ飛んでいるだけではなく、至る所での発言もぶっ飛んでいる。プロレス大好きでのめり込み過ぎている小学生がそのまま大人になっている感じだろうか。中学生ではなく小学生。
飯伏選手のぶっ飛びエピソードは新日本プロレスの公式HPには載ってないが、Wikipediaには一部載っている。
そんな飯伏選手がこの重い格言を決め台詞としている。もっと"映える"ようなキラキラした言葉だって良かったはずである。でもこの軽々しく口にはできない言葉を選んだ。
ここが飯伏さんが”プロレスラー飯伏幸太”であることの根底だと思う。
昨今はいろんな自己啓発本やネットでは
“がんばりすぎないでいいよ”
”負けを認めることで新しい道が開ける”
”相手に期待しすぎない”
といったように「あ、それでいいんだ」と思わせてくれるような言葉がよく目につく。
もちろん「一生懸命がんばろう!」という方向の指南もあるが、上述したように『穏やかにゆるゆると自分を大切に生きていきましょう』というものがとても多い。むしろこっちの方が多い気がする。
日本は、「一生懸命がんばろう!」の勤勉真面目が美徳とされる文化がずっと根付いていた。
でもその文化のせいで、バランスを崩して病気になったり、人間関係が上手くいかなかったりすることが今多く発生している。
だからそれとは逆の”ゆるゆる”が脚光を浴びているのだと思う。
昭和生まれの私もその文化が身に沁みついてしまっているので、『自分を大切にゆるゆるでいいんだよ』と言われても、なかなかすんなり消化できなかった。
昔一緒に仕事をしていたアメリカ人が、私のことを「ジャパニーズサムライ」と形容したぐらいに、私はこの日本古来の美徳を全うしてきたので、尚更今になって許可された『ゆるゆる』が難しかった。
しかしそんなサムライな私でも、歳を経て社会で色々な辛い経験を積み重ねていくと、
「逃げて、負けて、諦めた方が人生は楽に生きられる」
という結論に至った。自分の中で"ゆるゆる"が消化出来るようになった。
だから飯伏選手が、「逃げない、負けない、諦めない」を自分に言い聞かせて、且つ公約の様に決め台詞に使用していることはすごいと思うし、昔サムライだった私にはこの決め台詞は耳が痛い。
テレビ番組で、好きな人の声で目覚めるのが一番心地よい目覚め方をする、といっていたので、私は飯伏選手が「逃げない、負けない、諦めない」と言っている声をアラーム音に設定したことがあった。
そうしたら、飯伏選手の声の心地良さよりも、この格言で自分を叱責されているような感じになり、朝から非常に気分が重くなった。
それぐらい、この決め台詞は人に突き刺さる格言なのである。
だからこの格言を決め台詞に採用し、それを実行している飯伏選手を尊敬するし、元サムライとしてとても応援したくなる。実際とても応援している。
飯伏選手が実際の私生活でも、"逃げない、負けない、諦めない"を実践しているかはわからない。でも間違いなくプロレスに置いては「逃げない、負けない、諦めない」を実践している。
そこにサムライの面影を感じる。
(むしろ私生活ぐらいは、逃げて、負けて、諦めていてくれよ、と思う。そこぐらいは力抜いてくれ、とも思う)
プロレスは非日常の世界である。あるレスラーは「ファンタジーの世界」という表現をしていた。
日常の実生活ではちょんまげを落とした元サムライの私は、プロレスというファンタジーの世界で在りし日のサムライの面影を見させて貰っているのかもしれない。
だから私はプロレスが好きなのかもしれない。