”優しさ"や"謝罪"という名のアクセサリー
そんなつもりは無かったのに、結果的に相手にちょっと迷惑をかけてしまったかもしれない、と思う時が時々ある。
もしかしたら嫌な気持ちにさせたかもしれない、と思って謝ることがある。
この“謝る”という行動、なぜ謝ろうと思うのか。
「相手は特になんとも思ってないかもしれないけど、もし何か思ってたら、、、」
という発想がまず出る。その次に思うこととして
「謝ることで相手の嫌な気分が少しでも落ち着けばいいな」
か
「『私はそういうところわかっている人間なんですよ』と知らせたい」
なのか。
前者は相手が主役。相手への気遣い
後者は自分が主役。自分への気遣い
後者は自分を守るためにやっている行動である。
同じように『人に優しくする』という行動も、
”相手のことを思ってやっている”
のか
”自分を良く見せるためにやっている"
のか。
謝罪の場合も優しさの場合も、前者でも後者でも表面的な行動は同じであるが、動機が全く違う。
前者の動機の人は達成軸は相手なので、相手の状態が変わるまで続いていく。
後者の動機の人は達成軸が自分なので、自分が満足すればそれで終わる。1回謝った形跡、1回優しくした形跡が残せればそれでいいのである。
「謝ったでしょ?」や「謝まればいいんでしょ!」が出てくるケースはこちらであろう。
後者の人達にとっては、謝罪や優しさは自分を良く見せるためのアクセサリー。他人を利用したアクセサリー。
そういうアクセサリーで自分を『良い人』に見えるように着飾っている。人を利用して自分にニセモノの自信をつけている。
外側だけ着飾る。内面から出る魅力で自分を飾れないから。
自分がそうならないように気をつける。
そしてアクセサリーに利用しようとする人には近付かない。