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私のこと


ずっと自分がやることに自信がなかった。


この程度だと失礼じゃないかとか、相手にこうしてあげたいけどやったら迷惑かもしれないとか、本当はこう言いたいけど怒らせてしまいそうだからやめておこうとか、


先を勝手に妄想して防衛線を張って、動くのをやめてしまう。


私が何かすることで、相手に迷惑がかかるんじゃないかってずっと思ってた。


元々私は自分に正直で、ストレートに発言するタイプ。



思ってることと言ってることが違うなんて気持ち悪いし、楽しくないのに笑うなんて意味がわからないって子どもの頃は思ってた。

でもだんだんそれじゃダメなんだって思う経験が増えて、相手に合わせる方がラクなんだって思うようになって、そしたらよそ行きの自分が出来上がった。


どんなに理不尽に感じても、自分が悪いんだと思った。


確かにラクだった。感情を無視するってこんなに平穏なんだって知って、ずっとこうして生きていこうと思った。


でも気づいたら、自分の本音がわからなくなって何がしたいのかもわからなくなった。


人からのミッションをこなすことばっかり得意になって、出来ない自分は価値がないと思った。


自分で自分の価値を感じられないから、人の意見ばっかり取り入れてた。

きっとこの人の意見は、私なんかより私の可能性を広げてくれるに違いないって信じた。

でも……。


ある時、このまま年を重ねて自分に何も残らないのは嫌だと思うようになった。


何かできるようになりたくて、気になったものを次から次へと習うようになった。

何か身につければ自分に自信が持てるんじゃないかと思って、習うことを目的にしていた。


学んでも学んでも足りない気がして、この程度じゃダメだっていつも思ってた。


「もうアウトプットの時期に来てると思うよ。」


「私はそう感じる。試しに何か書いてみたら?どう繋がるかなんてわからないし。今私に話してくれたこと、共感してくれる人いると思うよ。」


先日受けたアートセラピーのセッション中、
アートコミュニケーターであり私の英語の先生でもあるM 先生にそう背中を押された。


書く………え、私が!?


びっくりしたけど、なぜだかすっと心に入った。



あ、そういえば…私が先生を知ったのは、たまたま見つけたお店のHPに載っていた、先生の寄稿エッセイを読んだことがきっかけだ。


とても読み心地の良い言葉選びと内容で、どんな人が書いているんだろうとプロフィールを読んだら、何と英語を教えてらっしゃる!



ずっと英語の先生を探していた私は、ぜひこの方に教わりたいと思い、すぐさまメールを送ったんだっけ。


確かに、何がどう繋がるかわからない。



私が書いてもいいのかな?って不安に思うけど、一人でも共感してくれる方がいたら嬉しいなと思い、noteを始めます。
















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