考えるって何?考えてるつもりだけどこれって合ってる?考えることが嫌いな36歳がたどりついた答え

めちゃくちゃ途中です。

私は考えるということが大の苦手で憧れの対象である。
私は考えるという行為が出来ていないから人生ハードだと思っている。
私は一時期、自分が世界で一番アホだと思っていたこともある。

そんな私がこの記事を書くのは世の中、考えられる人ばかりのものが👍が多く拡散され良しとされるこの世界が生きづらいから自分が賢くなるのではなくみんなに考えていない人(考え方がわからない人)のことを知ってもらって私が少しでも生きやすくするための啓蒙活動をするためである。

普通、自分の権威というのを見せて信頼を担保していくものなのだが私は自虐で自分の出来なさの信頼を担保していこうと思う。
私の自虐なので嫌いな人は飛ばしていただきたい。

人生で一度も100点を取ったことがない
小学校の運動会の50mは6年間、ずっとドベ
中学の時、毎日ひたすら勉強をしたのに偏差値は40
大学時代に友人から生きてて楽しいかと言われる
大勢の前だと喋れず、気持ち悪くなる

全部書くと多分、本一冊出せるので自分の印象に残ったことだけ書いた。
こんな感じだが実はいいこともある。

スクロールする前に10秒だけ考えて欲しい

私はこういうのはいつも0秒しか考えない










それは「人に希望を与えられる男」だと思っている。
会話の中で、タイミングよくこの自虐を3つほど伝えると相手は「こいつよりマシだな」と思ってくるのだ。
中途半端にバカではなく、もうバカなのだ。
話が変わってgive &takeは聞いたことはあるだろう。
takeの鬼である私はgiveをどうするのか。。。
相手の荷物を持ったり喜んでパシられることによって今までの人生をなんとかしてきた。
こんな私なので多分友達と言える友達も4人しかいない。


話がだいぶ脱線してしまった。
そろそろ話を戻そうと思う。

その前に無料でも有料でも閲覧数は0か1だと思うのでジュース代欲しさに調子に乗って100円の有料記事にしようと思う。


そんな私がツラツラと書いたわかりにくい文章をここまで読んで頂けていたら、私は感謝を伝えたい。お手数だがコメントで「ここまで読んだ」と教えてほしい。
コメントでありがとうと伝えたい。



では、考えられない私が考えた「なぜ自分の頭で考えなければならないのか」を考えていこうと思う。


私の記憶にはないくらい小さな頃に親が良かれと思っておもちゃ工場の見学に連れて行ってくれたらしい。
その時、私に感想を聞いたら「考える仕事がいい」と言っていたらしい。
冒頭に書いたような私だがどうやら小さい頃の夢は
「考える人」になりたいと親に言っていたらしい。

今では立派な印刷会社の生産現場で紙を黙々と積んでいる仕事をしている。
小さいころに「考える人」になりたがっていたのに

私ははっきり言って考えるの苦手だ。
もっと正確にいうなら考え方がわからない。
ずっと頭よりも体が求めることを優先して生きてきた。

でも、ものすごく憧れているので家には思考法の本が山のようにある。
この苦手意識はすごいもので小学生高学年頃から感じていた。
そこからずっと考え方もわからないのに考えるのである。
もはやそれは考えていないのである。

わからないことが多すぎる
しかもどうやって考えればいいのかもわからない
結局、直感だけで生きてきた
そんな私は現在、飲食店で働き、現在は印刷会社で働いている
語弊がないように言っておくが飲食店や印刷会社で働いている人が考えていない人とは言っていない。
私の経歴がそうだったってだけだ

結論から言うと考えることはとても大切だと言うことを36歳にしてようやくわかった気がする。
36年間ずっと直感だけで生きてきた。←考えながら頑張って生きてきたつもりなのにな、、、、
しかし、そうするとどうだろうか、、、
私の場合は人に流され、将来に期待して生きてきた。
なのでなんとかなるだろうと思って生きてきたが、どうやら徐々にどうにもならない感覚が襲ってきて寝れない日々が続いた。そしてどうにもならない現実が目の前まできた。と感じた2024年

これが恐ろしすぎて

このどうにもならない現実は僕をさらに考えるという行為から遠ざけた。
言い訳が半端なく出てくる。
今は仕事が忙しいから
今は家族が大切だから
とても都合がいい言い訳が湯水のように湧いて出てくる

少し話が変わって
私は18歳からタバコを吸っている
30歳くらいからタバコを辞めたいなーと思って6年が経った
ずっと気合いが足りない、覚悟が足りないと考えていたつもりだった。本当は考えもせずにやめたいなー(やめれたらいいな)と思っていた。
これが人生で初めての内省をしてみた。
(もちろん、これが内省なのかもわからない)

問い「なぜタバコがやめれないのか」
そのためにはなぜタバコを吸うのかということを答えなければならない
それは気分が落ち着く、気分転換になるといったことだ

ここで注目したいのは気分転換だ
気分転換も2種類あると思っている

一つ目は
何かをやる前に気分転換
タバコを吸ってない人はわかりにくいと思うので
学生時代を思い出して欲しい
定期テストの前に勉強をしなければならないのに
部屋の掃除、偶然目に入った漫画本、今の時代ではスマホの動画といったところだろうか、

多分、みなさんこう思っているはずだ。
これをやってからやろう!

すなわち今の自分を捨てて未来の自分に期待して今を放棄しているのだ。と私は考えた。
本当にそれをやってから満足がいくくらいやろうとしていたことができればそれは気分転換と言えるだろう
現実はどうはだろうか、、、
自分で考えてみてほしい。
もっと考える余地は残されている。
なぜ自分は自分の未来に期待したのか。
期待して素敵な自分になっているのであれば今のままでいいだろう

ただ、少なくても僕は考えもせずに未来の自分に期待して生きてきた僕は少なくても期待していた素敵な自分にはなっていない
そもそも素敵な自分も考えていないので当たり前なのだ。
今、こうして書いている今も苦悩している。

ただ、なぜ自分がタバコを吸っているのかと言うことがぼんやりとわかってからタバコを吸う自分に向き合うことができ始めた。

次に2つ目である
やった後の気分転換だ。
今、僕はやった後の気分転換でタバコを吸っている。
そうするとどうだろうか、
やり切ったと思えることをした後でないと自分は本当に吸いたいと思っていないことがわかったのである。
一日一箱だった男が今では一週間で一箱になったのだ。
とても僕は喜んだと同時に自分に絶望したのである
そう、タバコは一箱20本入っている。
一週間で一箱ということは1日約3本だ。
3回しか自分が納得いく行動をしていないのだ。
寝る7時間を引いて17時間
平均5時間くらいに一回しか自分にとって充実感があることをやっていないと気づいたのである。
さらに5時間のうちにどれだけの時間が集中できていたのであろうか、
もしかしたら10分かもしれない。
ちょっと自分に対して考えるということをしただけでこれだけのことがわかったのである。
このような考えを僕以外の他の人は平然とやっていたのかと思うとさらに絶望だ。
気づく機会は実はたくさんあったのだ。
大学の時にテスト勉強を一緒にやっていためちゃくちゃ優秀な友人(喫煙者)は2つ目のやった後の気分転換を無意識にやっていたのだ。
僕は少しでも問題が解けないとすぐに吸いたくなる。
友人はどんなに難しくても問題を解き終えてから吸うのだ。
これを目の当たりにしていたのに私は気づかなかったのだ。
そう、考えるを放棄していたのだ。

ただ、注意して欲しいことがある。
タバコは今を投げ出して未来に期待するためというのはあくまで僕の吸い方だ。
他の人がこれに当てはまることはまずない。
一緒なわけがないのだ。
私とあなたは全然違うのだから。

ここまでだけでも僕は考えるという行為の素晴らしさに気付いたわけだが
なぜ考えなければならないのかはまだ解決していない。
なぜ、考えるという行為が良しとされているのかが解決できていない。
考えずに生きていきたいのだ。
この気持ちは揺るがなかった。

僕は考えなければ上にいけないこの世界が大っ嫌いだ。
ここでいう上というのは年収が高かったり、コンサルタントやプロジェクトマネージャーだ。人に言えば「凄いね」と言われそうなことだ。もう、僕の偏見の塊の意見だ。反対意見は星の数だけ出てくるだろう。
上に行くためには考えなければならないのが嫌なのだ。
もしそうであれば36年間考え続けなかった僕の人生が否定されているような気がして僕には耐えられなかったからだ。

なぜか、、、それは「考えるのが苦手な人はみんなからすごいと言われることは出来ない」ということだからだ。
運動が苦手
勉強が苦手
掃除が苦手
などなど

一度は聞いたことがるだろう。
でも、思うかもしれない。
他に良いところを伸ばせばいいじゃないかと

でも、考えるのが苦手なんだよね!
あなたならなんてフォローしますか?

なんか何をやっても手に負えない感じが伝わってくる。

僕、本当に考えるということに対して学ぼうとしましたよ。
本も買って、頭が柔らかくなるやつもやって、Udemyも受講して、グロービズもたくさん聞きました。

人は言うかもしれない。
努力が足りない。

もしくは僕をもっと絶望に叩き落とす言葉を言うかもしれない
考えれていない
考え方がわかっていない

それがわからなくて僕は苦しんでいるのである。

じゃあもっと考えようと思って考えれていたらこんなに苦労しないのだ。

僕みたいに考えられない人は本当にやっこい存在だと僕は思っている。
考えられない人は一生懸命考えたつもり(人の言葉)が全てだと思い込んでしまうのだ。
人の言うことを聞かないのである。
そして、一所懸命考えたつもりは自分を少し肯定しているからもっとやっこい。

考えることになんの意味があるのだろう。
本当に年収を高くしたり、みんなが憧れる役職に就いたり、ひろゆきみたいに論破するために人は考えるという行為が必要なのだろうか。
僕は学者でもない、そこら辺にいる疲れた顔をして満員電車に乗っている印刷現場で働いている中年である。(お腹も出てきました)
もしそうだったら僕は考えるという行為はやっぱりいらない。

でも、ここで終わらせたらどんなに僕は救われるだろうか。
終わらせられないのから困っている。
なぜか、、
純粋にこの世の中に生きづらさを感じている。
もう一度いうが本当に生きづらい!

この生きづらさを考えていないからという前提で今からつらつらと書いていく。
そもそも考えるとはいくつか種類がある。
論理的思考
抽象的思考
直感的思考←どっちやねん
分析的思考
創造的思考
批判的思考

Chat GPTに聞いただけで軽くこれくらい出てきた。
一つ一つが深すぎる。
もう論理的思考だけで何百冊の本が出ていて何万社のサイトに求める人物として書いている。
これが書いてあるだけで僕は応募をしなくなる。
書いてなくても求められるのよね、、、、

論理的思考ができるようになれば生きやすくなるのか?
と思ったら抽象的思考が大切と言われる。

僕が生きづらいのはそのせいなのか?
何がどうなったら生きやすくなるんだ?

もうわけがわからない
本当にやだ、、、、

でも、まだ終われないので続ける。

ここでいう生きやすさとは「今」を生きれることとする。
日々、充実しているということになるだろう
充実しているとは自分の過去の人生に自信を持って生きれるということではないかと僕は思っている。
過去の人生に自信を持つということは自分の行動に納得しているということではないかと思う。
納得する時はどういう時だろうか。
それは自分で決めて自分からその道に進んでいるということではないだろうか。

自分で決めるということはその時2つ以上の選択があったということであろう。
もう、今日は寝てしまおうか、それとも転職活動をしようか。

今週は仕事が忙しいから今日やってしまった方がいい
今日は眠いから今やっても進まない

これは僕からすると考えていないのだ。
僕が言いたいのは
「今週は仕事が忙しいから今日やってしまった方がいい」
と考えてしまうのか
「今日は眠いから今やっても進まない」←実はそんなに眠くない時が多い
と考えてしまうのか

ここを考えなければならない。
僕はここを考えてこなかった結果、直感で生きてきたと言えるのだ。
なぜ自分がそう思うのかを考えなければそれはその場その場で思ったことをやっているだけでそれは自分であって自分でないのだ。

36年間、なぜ自分はそう思うのかに立ち向かわなければならない。

何か行動をしようとした時に自分はなぜそのような行動をしたのか

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