それでも(尾張名古屋の地へ)生きていくということ
今日電車に乗った時、ふと思った。
わたしは愛知県名古屋市に住んでいる。
こじつけであり、ただの自分勝手な解釈かもしれないが、愛知県とは、愛を知る人が住む県というより愛を知らない人が多い県であるということ。
正直わたしも愛とは何か感覚も納得いく理由もわからない。
これは愛知県にとどまらず、恋愛や結婚に対する愛とは違う。
しかも恋愛も結婚もその人自身に対するものでなく、相手の年収や学歴、持ってるもの、立ち位置、ルックスや見た目などで判断したりされたり、好印象を与えるためにというモデルケースを作られ、個性を踏みにじってしまっている。
そこに愛があるのか?愛とは条件なのか?
恋愛も結婚も人の数だけルーツも物語も違うのに、
わたしはもう恋愛も結婚もしない。
愛もわからないだけでなく、これもマーケティングされており、わたしには価値がないからだ。
見た目がいい人より悪い人のほうが人生3600万円損しているという記事まで出ている。
平等でもないし公平でない、時間は平等でも人によって感覚も違う。
わたしたちはそういう場所で生きている。
わたしは発達障害だし精神障害だ。
正直生きるのに向いていない。
わたしたちは、幼い頃から親の育児や学校教育、テレビなどのメディア洗脳、社会人になっての常識や価値観を植え付けられた。
わたしは競争社会に負けた人間だ。
だが、意味のないことや本当の価値をわからないまま競ってきたこの世の中でも命を真っ当して生きるのだと教えてくれたのが社会学作家の秋嶋亮(前名:響堂雪乃)先生だ。
自由もお金も段々と奪われる世の中、残酷で優しくて思いやりある人間は報われず、人の金や権利を奪う人はのうのうと生きやすい破滅的逆転したこと。
愛とは何か、それすら答えれない自分だからこそこれから人々を見ていくのだろう。
あらゆる理論が飛び交う中でわたしたちは何かを疑い、洗脳や教育、上級人間に教えられた常識や価値観を取っ払う。
その舞台が尾張名古屋という地だ!
僕と同じように人生堕落した人もいるかもしれないし、うつ病で苦しんでいる人もいて、わたしはXでさまざまなツイートを見て、心を傷んだ。
リスカしている女性を見るとすごく苦しみや悲しみをなんとなく感じる。
最後にわたしは伝えたい、生きづらい世の中だからこそ
「バカにされても、バカになるな。」と。