『無人島には水と漫画とアイスクリーム』を読んで尾形の幸福を考える
私の推し、尾形
ゴールデンカムイの推しは尾形だった。多分。自信がないのは、彼が幸せになれると全く思っていなかったからだ。幸せになってくれ、と祈りさえしない気持ちをどうやったら「好き」の括りの中に入れられるかわからない。
それでも私は尾形に釘付けだった。どうあがいても幸せになれない魂が、少しでも安寧に近づける日が来ることを、生まれた意味を果たしたと思える日が待っていることを願っていた。
勇作がいた
最果タヒ『無人島には水と漫画とアイスクリーム』には、ゴールデンカムイについて書かれたエッセイが収録されている。「愛してくれた人が、自分を罰するためだけにいる幻なわけがない。」尾形だけに贈られた一文ではないけれど、私の中の尾形はこの文章を抱えてようやく昇華されたように思う。
唯一愛してくれた弟を尾形は殺したのだ、と私は勇作がもはや失われている点ばかりを考えていた。だから尾形は幸福になる機会をみすみす手放したのだと。それに比べて、この一文のどれほど優しいことか。確かに失われてしまったけれど、尾形を愛した人間は確かにいたのだ。いま、いないことよりもかつていたことの尊さが染みた。
尾形、もうあなたを愛する人はいないのだと、そんな気持ちで見守っていてごめんなさい。今はただ、あなたが愛されていたことが心底嬉しい。どうかあなたが、今いるその世界で少しでも満たされた気持ちになっていますように。