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ろくろの上にいる
おぎゃあと産声を上げたことから私たちの長いながい旅は始まった。
ぐるぐると廻る、この青く広大な球体に振り払われないように、必死にしがみつかなければいけない。「自分は何者なのか」なんて重い十字架をかせられて。
いつか心が堕落した時から、こんなことを思っている。
小さい頃、私は何にでもなれた。目を閉じて思いを馳せれば、宇宙飛行士にも、お花屋さんにも、仮面ライダーにだってなれた。
でもぐるぐる廻っているうちに、気づくのだ。
出来ないことや、なれないものの方が多いって。
「可能性は無限大だ」と言う人がいるけれど、私は心の底からそう思えない。
それでも、ないものねだりな自分だ。限られた選択肢の中で、あるかもわからない自分の姿を探している。
でもたまに、わからなくなる。自分の理想像が見えなくなってしまう。目隠しをされて、手探りしているけど、怖くて進めない。
自分はどこにいるのか、一寸先には何があるのか。ただ一つだけ分かるのは、「努力は極力したくない」「好きなことを生業としたい」という煩悩や理想だけ。
そんなことを馬鹿正直に口にしたら、大人は顔を顰めるだけ。理解なんてしてくれないだろう。
人はいつからか、現実と理想の区別をつけるようになってしまうんだ。重いかせられた荷物を取っ払ってしまえば、楽になれるのはわかってる。
訳もわからずしがみついているこの手を離せば、
理想郷へ飛べるかもしれない。
でも出来ないんだ。 私たちは臆病だ。