父の薔薇
父にもらったミニバラが今年も綺麗に咲いた。
と書くと、ガーデニング好きのお洒落なお父さんを想像されるかもしれないが、残念ながら私の父はそのイメージからはかけ離れた人だった。このバラは薬局から来た「このハガキご持参で○円以上お買い上げの方にミニバラをプレゼント(数に限りがあります)」でもらったものをそのまま私にくれたのだ。
私の父は心配性でとても気の小さい人だった。大工をやっていたのだが母曰く外では借りてきた猫のようにおとなしい人だったらしい。外で言いたいことを言えない分、家ではお酒の力を借りて亭主関白を気取っていた。いつも母に偉そうに言っていたが母も勝ち気な性格だったのでひどい夫婦喧嘩もたびたび目にした。ひとりっ子の私は結婚して早くこの家から出たかった。その願いは遅くはなったが叶い子供にも恵まれた。
父は不器用ながら孫をとても可愛いがってくれた。仕事の帰り道にあるおもちゃ屋さんに寄ってはおままごとセットやぬいぐるみを買って来てくれて「あのお父さんがどんな顔して買ってるんやろなぁ」とよく母と顔を見合わして笑った。(もうその頃は自営での仕事が厳しくなり少し離れた土地の材木工場のシルバー枠で働いていた)
あの時期が我が家にとって幸せのピークだったと思う。
しかしそんな幸せもそう長くは続かなかった。
母が突然亡くなったのだ。
母はもともと持病を抱えていたのだが、そこに風邪をこじらせて肺炎で亡くなってしまったのだ。
突然ひとりになってしまった父。
家事など出来るはずもなく、私が通って掃除洗濯食事などのお世話をすることになった。
1年くらいは何とか平穏に過ごせていたのだが、段々とお酒の量も増え認知症の症状が出始めた。いろいろと私の手に負えないことも増えていき、宅配弁当を利用したり朝だけヘルパーさんに来てもらうことになった。
しかし楽になったのは私だけで、他人が家に入ってくるというストレスからか父は一気に認知症が進んだ。
妻は何処に行ったと探し回る、私をヘルパーさんと間違えて喋る。トイレがわからなくなる。夜中に徘徊して警察のお世話になったこともあった。
困り果てていたところ近所のケアハウスに空きが出て入居出来ることになった。しかしホッとしたのも束の間、帰宅願望が強く扱いにくい迷惑な入居者というのが職員さんの雰囲気からすぐわかった。毎日面会に行っては父をなだめ職員さんに謝り倒した。子供の小学校卒業の謝恩会の最中、施設から「この状態ではもううちではみれません」と電話がかかって来た時は本当に情けない気持ちになった。夜間は職員が少なくなるので父ひとりにかかりきりになると困ると言われ面会時間が終わっても父が眠るまで付き添った。何とか入居していてもらえれば父の安全は確保できる、そんな思いだった。
そうこうしているうち父は誤嚥性肺炎をおこし入院をした。そのまま施設は退去になり、病院のソーシャルワーカーさんに相談したが近辺に空きがなく、今度は車で1時間ほどの介護老人保健施設へ入居することになった。また施設に迷惑をかけないように仕事終わりに高速に乗り施設に通ったが、そこの施設は父のような入居者は手慣れたものでとても良くしてもらった。
そこでも誤嚥性肺炎をおこしたが系列の病院へ入院させてもらい療養型病棟を経てまた元の施設に戻ることができ本当にありがたかった。
そんな平穏な日々が続いたある日、仕事中に施設から父が転倒して骨折したと電話があった。慌てて駆けつけると父はきょとんとした顔でベッドに横たわっていた。元気そうで安心した。
しかし手術してリハビリしたらまた施設に戻れる、そう信じて疑わなかった手術の前日、父は誤嚥性肺炎と脳梗塞を発症してしまい、2週間後息を引き取った。
会話が出来た父と最後に会った日
「おぅ!よう来たな!あっ痛たたたっ!さっきから痛いんや!」
「お父さん!それは足の骨が折れてるから痛いんやで!」
「えっ!ホンマかっ!」
この会話がエンドレスで続いた。
このおかしくも楽しい会話が続く中帰るとはなかなか言い出せなかったが、もう外は薄暗くこれからまた1時間かけて帰って家族の晩御飯を作らないといけない。
どうせ5分後の会話も覚えていないだろうと思い
「ちょっと買い物行ってくるわ」
と言ってそのまま帰ろうとしたとき
「そうか、気を付けて行ってこいよ!」
この言葉が父との最後の会話となってしまった。認知症になっても最後まで父は娘のことを思う優しい父だった。
病院の相談員さんの話を今も思い出す。
「お父さんと看護師とのやり取りが本当に面白くてねぇ」
父のボケを看護師さんが上手にかわして漫才の掛け合いのようだったのだろう。
「ご迷惑おかけしてホントすみません」
「いやいや、人気者で癒しの存在なんですよ」
父が生きてきてそんなふうに言われたことなんておそらく一度もなかっただろう。最後まで家に帰りたいと言っていたのに、縁もゆかりもない遠い地で最後を迎えさせざるをえなかった罪悪感が少し薄らいだ。
母が亡くなるまで父との会話はいつも母経由で父とのかかわりはほとんどなかった。
それが、今までの分を取り戻すかのように笑ったり泣いたり怒ったり、いろんな話をして腕を組んで散歩もした。それは神様から頂いたような時間だった。
ずっと辛い介護だったのに、一秒でも早く逃げ出したいと思っていたのに、この父との時間が永遠に続いて欲しいと思った。(後から思うにあの多幸感はランナーズハイみたいなものだったのかもしれない。マラソン走ったことないので知らんけど)
人間とは不思議なもので過去の出来事は思い出補正がかかって素晴らしく感じるときがある。
父との思い出もそうで、実際元気な頃からいろいろと迷惑をかけられたし嫌な思いもいっぱいした。まわりのお父さんがどんなに羨ましかったことか。
けれども今思い浮かぶ父の顔はとても可愛らしく笑っている。
なんかホントにズルい(笑)。