見出し画像

自分を守る方法は“正義”じゃない──今すぐ始める現実的な対策



こんにちは。
ニュースやSNSでよく見る「〇〇が悪い」「いや、それは被害者の責任だ」なんて論争。あれって、なんだかモヤモヤしませんか? 地震を“悪”だと言っても止まらないし、山から下りてきた熊に説教したところで引き返してくれるわけでもない。
要するに、善悪や理非を決めるのは社会的には大事かもしれないけど、実際の現象に対してはあまり役に立たないことも多いんですよ。今回はそんな「善悪理非の無力感」と、そこに足りない“対策”の必要性を、ちょっと風変わりなフレームワーク「交流通貨論」と絡めて考えてみます。


1. 善悪と理非──簡単な定義から

● 善悪

  • 善悪とは?
    道徳的に“良い”か“悪い”かを判断する軸。

  • 社会の多くが「これはダメ!」と認めれば悪、「これは推奨される」と思えば善となる。

  • 時代や文化、宗教などの背景で変わることも多い。

● 理非

  • 理非とは?
    論理やルール、合理性などに基づいて“正しいか間違っているか”を判断する軸。

  • 法的にOKかNGか、筋が通っているかどうかなどに焦点が当たる。

  • 善悪以上にドライな物差しでもあり、時に道徳とは食い違うこともある。


2. 犯罪は“現象”でもある──善悪だけじゃ止められない

● 地震を悪と決めても意味がない

たとえば、地震を“悪”だと言って非難しても、地震が止まるわけじゃない。自然災害は善悪以前の問題で、「起こるときは起こる」。
大事なのは対策や備えであって、「地震がいかに悪質か」を言い募っても防災にはなりませんよね。

● 暴れ熊に“道理”を説いても無駄

熊が山から下りてきて暴れているとき、正論をかざして「あなたは人里へ来るべきじゃない!」と言っても、熊には通じない。
この状況で求められるのは、退避方法や撃退法など、“現実的な対処”ですよね。

● 犯罪を止めるには、善悪よりも“現実の手立て”

「犯罪は絶対に悪だ! 許せない!」と糾弾するのは重要な姿勢です。ただ、それ自体が犯行を止める魔法にはならない。
泥棒は社会的に非難されてもやる人はやるし、SNSで拡散されても事件は起きる。善悪の議論は道徳的な意味はあっても、現場で被害を回避するためには不十分ってわけです。


3. 交流通貨論で捉える「善悪」「理非」の限界

ここで「交流通貨論」なるフレームワークを紹介しましょう。人がやり取りする価値を6種類の“通貨”に分けてみる考え方です。

  1. 現金通貨

    • お金や物質的支援など“経済的価値”

  2. 恋愛通貨

    • ロマンチックな感情や性的魅力

  3. 親愛通貨

    • 存在そのものを肯定する愛着、家族愛や深い信仰など無条件の愛情

  4. 信頼通貨

    • 誠実さ、協力、約束を守ることで生まれる信用や安心感

  5. 快楽通貨

    • 一緒にいて楽しい、気持ちがいいといったポジティブな満足感

  6. 社会通貨

    • 地位や名声、SNSフォロワー数など“社会的評価”

● 善悪や理非は“社会通貨”の領域?

  • 世間的に「これは悪」と判定されれば、その行為をする人は社会通貨を失う。逆に、「これは善」と評価されれば、社会通貨を得る。

  • つまり、善悪や理非の議論は社会通貨の高低に影響を与える。

  • でも、“現象”そのものを止めるかどうかは別問題。社会通貨が下がっても気にしない人や、動物・自然現象には意味がないわけです。

● 対策にはほかの通貨が必要かも

  • たとえば、現金通貨(お金)を使ってセキュリティ対策を導入する。

  • 信頼通貨を高めて地域で連携し、犯罪に備える。

  • 誰かが被害に遭ったときに、親愛通貨で支え合う。

  • こうした実質的な“通貨”のやり取りが、善悪論だけでは防げない部分を補ってくれるわけです。


4. ミニスカート論争で見える「対策」と「善悪」のすれ違い

● 「ミニスカートを履くほうが悪い」って何?

よく耳にする議論に、「ミニスカートを履いているから痴漢に遭うんだ」「いや、加害者が100%悪い」っていう噛み合わない主張がありますよね。
後者はもちろん正論。被害者に責任はない。でも前者の意見に耳を傾けると、「犯罪者がいる現実を踏まえて、自己防衛しよう」という趣旨の場合もある。
つまり、善悪を問うのは別として、「じゃあ、どうやって被害を避けるか」という対策の話と混ざっちゃってるんですね。

● 善悪を論じても被害は止まらない

いくら「加害者が悪い!」と叫んでも、痴漢が完全になくなるわけじゃない。それこそ暴れ熊に善悪を説くようなもので、すでにそういう行動を起こす人は“善悪理非”を気にしていない。
そこで現金通貨(防犯グッズ購入)、信頼通貨(仲間と連携して痴漢撃退)、社会通貨(周囲からの監視強化)など、具体的な手立てがセットで必要になるわけです。


5. 体験談──「善悪よりも具体的対策だ」と実感した瞬間

私自身、以前勤めていた会社で備品が盗まれる事件があったんですよ。オフィスで皆で憤ったんですが、犯人は捕まらないし被害は続く。結局、オフィスに監視カメラを設置して、入り口にキーを追加するなど、物理的な対策をするまで被害は止まりませんでした。
当たり前っちゃ当たり前なんですが、そのとき「盗みは悪いに決まってるのに、説教しても無駄だよね」と痛感したんです。善悪や理非の意識は大事だけど、それとは別に“現実”へのアクションがないと問題は解決しないんだな、と。


6. まとめ──正論を超えて“対策”に目を向けよう

  • 善悪を決めることは社会的評価(社会通貨)を動かし、秩序を保つのに一定の意味がある。

  • でも、現象そのもの、特に自然災害や動物、犯罪者の行動までは変えられない場合が多い。

  • だからこそ、いくら正しい主張や道徳的断罪をしても“無力”な場面があり得る。

  • 必要なのは、「じゃあどうする?」という具体的な対策と、それを実行するために交流通貨論が示す通貨(現金・信頼・社会など)をどう活用するか。

  • ミニスカート論争にしても、加害者を責めるかどうかとは別に、被害を減らすための工夫を考えることが、実はもっと大事。

結局のところ、熊に道理を説くより、熊スプレーを用意するほうが遥かに有効、というわけです。みんなで「悪だ!」と糾弾して結束するのも大事ですが、そこに留まらず、具体的な行動や備えに踏み出してこそ、本当の意味で安全や安心を手にできるんじゃないでしょうか。



いいなと思ったら応援しよう!