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ミュージカル ケイン&アベル(東京公演) 松下ケインの魅力
シアターオーブでの公演を観ての松下洸平さんの感想。
まずはケインを演じる松下洸平さんには心から賛辞の言葉をお送りしたい。
今まで舞台で二度ほどしか拝見しておらず、ミュージカルでは初めてだったので未知数だった。
だが、今回の繊細な役作り、歌を通してた芝居も素晴らしい役者さんだと心をわしづかみにされた。
初日こそ硬い印象を受けたが、回を重ねるごとにケインの魂、感情が鮮明に見えてきて、公演期間半ばには大化けされていた印象がある。対立の炎が火に油が注がれたと思えるくらい熱を帯びていたことで、その前段の古き良き時代の無垢さや向こう見ずな様子がイキイキしてきて大人になる厳しさが強調されていった感がある。
生涯を追うストーリーなので、ます青年時代から瑞々しい演技で物語に引き込んでくれる。親しい人に少し舌足らずで話す様子など、愛され育てられたお金持ちのお坊っちゃんにしか見えない。唯一無二の親友マシューと大きな夢を叶えようと切磋琢磨する姿も微笑ましく、よき理解者で伴侶となるケイトとの出会いでは、みるまに恋に落ちる若者として瑞々しい。
一方、苦難にぶつかったときの芝居にも目を奪われた。
アベルの卓越した経営手腕を知ったときのケインの衝撃は客席にも電流のように伝わった。本当に助けたい、そんな真摯な思いが見えて融資を断らねばならない身を切られるような思いはいかばかりかと胸が痛かった。だが手を差しのべるすべはある、という決心にいたるまでの心象風景を松下洸平さんは精緻に届けてくれた。
「命ある限り」は本作品の大きな見所で流れる曲だ。ケインが決死の覚悟でアベルに手をさしのべるその心の声となる松下洸平さんの芯のある中低音は、ケインの揺るぎない心情を伝えてくる。公演期間前半のある時点から、怒りに燃えるアベルの声を制圧するようにケインが声を重ねるようになってきて圧巻だった。このドラマティックさを私たちはワイルドホーン作品で観たかったのだよ、と血が湧いた。
2幕では戦地でケインが生死をさまよい、マシューに語りかける秀逸なソロ曲がある。
こちらも回を重ねるごとに、ケインの心細さ、自らを支えてくれてきた人達への愛情が伝わってきた。銀行家としてのケインでなく、若い頃のケインの純粋なトーンなままなのがまた良かった。おそらく意識してだろうけど、そこまでの表現力があるのがすごい。歌声が伸びやかに広がるようになっていったのも、会場をケインの気持ちで満たしてくるように思われてとにかく心に響いた。
戦争から負傷して帰還したケインは自身の先行きを悲観するような姿で家族と再会するが、その悲観も日に日に濃くなっていった。力なく妻と子を見やるケインに過去の無邪気さは見えなくなっていた。また、アベルから銀行を守ろうと焦りで苛立つ姿は若い頃の攻めている感じとは一線を画し、心を閉ざしていくように見えて胸が傷んだ。
そうした変化を見せ始めたところで再びアベルとの対決になだれ込む。
「今が瀬戸際」で過去の高潔なケインが完全に消えて、プライドも己もかなぐり捨てアベルに挑む姿からは、そこまでに畏怖を感じていたことが伝わった。薄ら笑いを浮かべて声を震わせるほどにケインの気持ちを高めたアベルとの芝居運びは、前半ラストの血を滾らせてくれた場面と同じく見事と言うしかない。
息子とアベルの娘の仲はもちろん許さないの一点張りで「もううんざり」では憤りものすごい剣幕で反対する。吠えてすごんで言葉にならない恨みと怒りを共存させた歌唱に舌を巻いた。この場面も公演期間終盤には最高潮の猛り具合で、今までにない太く密度の高い声で歌われたのは迫力だった。共感を通り越して私たちから(二人の周囲の人々からも)もう届かない領域にまで二人の戦いは登りつめたのだと感じた。
「何のために」ではケインが多くの喪失感を抱えながら晩年を過ごしていた様子が窺えた。アベルに無言で敬意を示す姿と、艶は消えたがしっかり届く歌声から、自分に生きる糧を与え続けていたのは誰よりもこの人だったと観客を納得させた。
最後の最後、ケインが舞台上では見えない存在ながら離れ離れだった家族をしっかり結びつけたときの「君の名に恥じぬよう」を初めて聴いたときの感動は忘れないだろう。
自分の行いを省みつつ後続の人たちには囚われずに自分の道を進んでほしいという願いがこもった、ひたむきな眼差しと声に涙なくしては観られないのだった。
松下洸平さんが演じる生きたケインを観られたのは極上体験だった。
ここまで完成していたら大阪ではどんな方向に進化するんだろう。観られる毎公演を大切に拝見します!