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週末回顧(2024年8月19日)

今日は日曜だと思っていたけど、今日は月曜日でした。週の振り返り日記の二週目なのに早くも曜日を間違えてしまった。過去は変えられないので月曜日の朝に書いています。

今週は水曜日まで実家に帰省し、木曜から京都に帰りっていう感じの一週間だった。行ったことは動画クリエイターさんの動画編集と取材編集の続きと実家に帰省していたので実家から京都に戻ったこと。

やっぱりベテランの動画クリエイターさんの添削はかなり厳しい。だけど、これを求めていたのでかなり楽しい。やっぱり僕はこういう最後まで諦めずに良いものを作ろうとする方が好きだ。

今週は自分の中で将来についてしっかり考えることが出来た実感が得られた週だった。

常に自分は将来についてどうするべきかの考え事を日々行っていて、実際友達とかに「自分は考えていると思う?」と確認すると大体はそうだと同意してくれるので多分考えている方なのだと思う。

でも、普段は考えるだけ考えて、結局何も解決の光が見えないのがデフォルトだったが今週の一週間はかなり光まで見えた。

恐らく大きな要因は久しぶりの帰省という物理的な環境の変化と家族や小さい頃からお世話になってきた方々の身体の変化だと思う。思考は環境の変化で大きく変わるなと改めて学んだ。あと一人になること。

普段生活している京都は大好きな場所で常にいろんな展示や新しい建築やサービスがあって凄く自分の価値観を洗練させてくれる有難い環境だけど、最近は観光で訪れる方が多すぎて、若干観光地化してて市内のド中心に住んでいる僕にとっては常にテーマパークにいるような感じがして息苦しさも多少ある。まあでもこんな経験を出来るのも日本だけでなく世界から見ても京都くらいかなと思う。そう思うと楽しくなってくる。

それとは反対に実家のド田舎の僕の実家の町はランニングの道中で見かける人、家に訪ねてくる人の大体が以前見たことがある顔ばかり。

しかも向こうから大体話しかけてくる。京都に来る前はこんな環境で過ごしていたんだなとやられた。

お互いないとこねだりだとは思うけど何かこういう環境ベースが前提で幼少期を過ごしたから今の価値観が強くあるのかもしれない。

子育てで大切なのは常に子供の傍にいることで、常に自分の傍にいてくれる=愛情が与えられていると子供が認識する。それで初めて自分で何かをしてみようと思えるし、利他的な精神になると勉強していたのでまさしく自分はそういう環境だったんだなと事実として理解出来た。

そんな僕の幼少期を支えてくれた方達が最近体調を崩して入院したり、亡くなったりしているのも帰省をして聞かされた。帰省中にも幼稚園の頃からお世話になっている方が緊急でヘリコプターで運ばれたりしてた。命には別条はなかったらしくひとまず安心。あと家族もご飯が以前より食べられなくなったり手術予定だと聞かされたりして、いよいよ自分が支える側になってきたなと。卒業式があるからそれまでの学生生活が価値化して思い出になるように生きるとはこういうことでこれを否定したり悲観的になってはいけない。寂しさは敵ではない。

そんな一週間。

今週インプットしたもので印象的だったのは「Mommy」というカナダ映画。画面の比率が1対1という画面比で常に構図が最高に綺麗。ずっと一つの写真集を見ているような気分にもなった。余白を残した正方形の比率の映像はよりプライベートな表現になるなと思った。映画の構成は実際の公共医療政策の改正がベースで、その改正の目的が映画の物語を視聴すれば理解出来るという形。子供との時間も大切にしたいという気持ちと今目の前で解決しなければならない金銭トラブルとの狭間で常にもがく母親の様子が観ていて辛い。社会性とデザインの比率に偏りがない方がやっぱり好きだ。社会性を持ったデザインを出来るようになるためには同時に社会に対しても好奇心を持って勉強し続けないとな。


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