元21歳喪女、"人生初彼氏"への所感

 人生で初めて彼氏というものができた。私は21年間と1ヶ月と19日間、告白したこともされたこともない、筋金入りの喪女であった。
そんな元喪女の、振りも落ちもないただの雑感なので、時間に余裕がある方は暇つぶしにでも読んでいただきたい。

 今までも人並みに好きな人ができたりはしていたが、特に進展することもなく、乙女ゲームで言うところの友情エンドを迎えていた。
彼氏は震えるほど欲しかったが、同時にときめきメモリアルGS2を周回することや、友人と遊ぶことで間に合ってもいた。

 そんなこんなで拗らせ喪女であった私だが、先日転機が訪れた。前々から仲良くしていた友人から告白された。恋愛感情かはわからないが彼に対して好意があったので、交際の申し出を了承した。かくして、私の喪女人生は終わった。

 なまじ20年間も彼氏がいなかったもので、嬉しい気持ちの反面、不安な気持ちがまだ多く残っている。いままで無責任な日々を謳歌していた私にとって、彼氏という存在は憧れであり、同時に自由を失う枷だと思っている節がある。これは、この人だからとかではなく、初めて彼氏ができたとしたら相手が誰であれ感じていたことだと思う。

 突然だが、男女の友情の成立派/不成立派には埋まらない溝がある。私はガチガチのマジで成立派だ。それゆえ男友達も少なくはないし、よく遊びに行っていた。綺麗事を言うつもりはないが、男も女も一人の人間だと思っている。同じ人間なのに、なぜ男女になると責任感がつきまとってしまうのか?女同士の仲と同じようにはいかないのか?そういったやり場のない疑問は絶えないが、言ってしまえば"生物的にそういうもの"だから仕方ない。
こうは言っているが、浮気や不貞は絶対にNOである(もはや生理的にNG)と思っている。そういった一種の融通の利かなさと、男女の友情成立派という一種のおおらかさが反発しあい、自由のないような錯覚を起こし、不安を生じているのではないかと分析する。

 さて、私は乙女ゲームが大好きである。子供の時から少女漫画に触れ、乙女ゲームをプレイし、ジャニーズを応援し、舞台俳優を追いかけていた。一言で言うと、順当にずっと男性が好きである。しかし、上述した男性たちは、当たり前に誰も私に直接は干渉してこないのである。言ってしまえばそれが喪女たる所以なのだが、私はその環境に居心地のいい思いをし続けていた。鳥かごの中の鳥を、外側から眺めているだけで良いのである。鳥は観測者のことなどに目もくれず、美しく羽を広げているだけで良いのだ。(昨今しばしば話題にされる、性の搾取だと言われたら何も言い返すことはできない。)
いざ私が"恋愛"の当事者となると、白鳥にならないタイプのみにくいアヒルの子(もとい私)が鳥かごの中に入ったような違和感を覚える。一方的に観測することに幸せを感じていて、もしかしたら自分がその立場になることをもともと望んでいなかったのかもしれない。

 映画や漫画では"ドキドキ"することを望んでいたはずなのに、自分のこととなると、ただの"動機動悸"でしかない。数日前Twitterで「2年間付き合った彼氏がほしい」といった内容のツイートを見た。まさに同感であり、やはり私には、付き合いはじめの湿っぽい空気が合わないのかもしれない。今日寝て起きたら2年付き合ったことになってればいいのに。と思ってしまう。でも、彼氏はそうは思っていないだろう。このような思考を繰り返すたびに、彼氏への後ろめたさだとか申し訳無さが肥大していき、また頭を抱えてしまうのだ。

 平たく言うと、荷が重いのだろう。そしてこの、私の漠然とした不安は、慣れるのか慣れないのかもわからない、「暗闇の中を歩いているような感覚」なのかもしれない。20歳になるか、ならないかのあたりから、人と付き合って世帯を持っている人への尊敬は膨らんでいったが、この不安感を皆通過しているのかと思うと更に畏敬の念は増すばかりだ。どうしようと悩んでもどうしようもないので、ただ時間が解決するのを待つしかないのかもしれない。今は。

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