がんばる気持ちよ、どこへゆく
ほんじつのおもひ
まちがった方向にがんばらない
こんばんは.
いつもみなさまのやさしいお言葉や、スキボタン、閲覧数などなどに、感謝しているりんです.
つながれるご縁って、ふしぎですね、うれしいですね.
(^-^)
一期一会のつながり、継続して頂いて続くつながり.
ぜんぶうれしい。
みなさまのおすまいの地域もどんどん寒さを増していませんか?
りんは寒さがこたえてあんまり動く気になれませんが、がんばりますっ.
――その、「がんばる」について、けふのおもひを記そうと思います.
正しさを押しつけたくない、という過去の自分の記事でちらりと書いたかもしれない.
正しいとか正義なんて、ひとことで言えるものではない.
だが、「いや、そりゃちょっと、違う方向でないかい?」というものも存在する.
◆がんばりすぎ、「 違 う 方 向 に 」
わたしがよくやる失敗.
(言うて、けっこう、あるあるやも、とも思ったり(^^;)書き古された内容な気がするんだよなぁ;;;)
わたくしごとから.
12月から取り組み始めた社会勉強がある.
それを始めてから、おちおち寝られないまま朝5時半に起きて、寒い中、車に乗り込み、3時間の勉強をおこなう.
あとは自由時間.
24時間のうち、21時間が自由時間.
最初はよかった.
けれど3週間が経ち、社会勉強を終えて帰宅した後、3~4時間のお昼寝をするようになった.
がまんできないほどの眠気ではないのに、いったん眠り出すと、時計の針が、すぱーーんと飛んでいるのだ.
お昼寝をすると、やりたいこともやれないし、行きたいところにも行けず、身体もしばらく重たい.
必要であっても、あまり効果的な睡眠とはいえないと感じる.
ついに今日、お昼寝から目覚めたとき、IF(イマジナリーフレンド)が「がんばりすぎ」と呆れたように言った.
IF:まーたがんばりすぎている.間違った方向にね.
自分の傾向を思いだし、「あちゃまー;;」と応じた.
あい。ごもっともです。苦笑
◆間違った方向?
がんばる方向、ベクトルの問題だ.
「失敗しないようにしなきゃ、がんばろう」
「指導者によく思われなきゃ、がんばろう」
「気遣いのできる人でいなきゃ、がんばろう」
等等.
思うに、勉強しに行く目的は、それなのか? というところ.
がんばるのは、本業(わたしで言うなら勉強)だけでいいのでは? というのが、わたしの考え.
むろん、「失敗しないように」「指導者に嫌われないように」という思いは自然なもの.それらとて、些末なことじゃないはず.
問題なのは。
問題なのは。
へ ん な 方 向 に が ん ば る こ と で 、
自 分 が 苦 し く な っ て し ま う こ と.
自 分 が 疲 れ て し ま う こ と.
わたしは自分の傾向を知っているので、物事を始めるときは、「がんばりすぎない、まちがった方向に!」と言い聞かせる.
「背伸びしない、こけるから」も、おまじないのひとつ.
ただ、ちょっと気を抜くと、「本業をがんばりすぎる」のではなく「本業以外をがんばりすぎる」.
◆とはいえ、よくある現象、という推測.
苦手な教科を克服しようと、昼夜問わず勉強して、疲れ果てて苦しくなるのではない労苦.
苦手な教科を克服しようと、昼夜問わず勉強して、少しでも成績が上がると、今度は成績や周囲の目を気にして猛勉強して、疲れ果てて苦しくなる.
多分、いくつもいくつも具体例を書くことができるくらい、よくあることだと思う.
◆がんばる「目的」と「本質」.
苦しい、きつい、と思ったときに客観的に考えるのは、なまなかなことではないですよね.
信頼できる相談相手がいるのなら、一緒に考えていって、たちまちどうしたらいいかわからんかったら、自分とおはなしするのは、いかがでしょう.
余裕があったら、「自分、がんばりすぎていないかな?」って自分にたずねてみてもよいかもです.
「がんばりすぎているよ、もうつらいよ」って自分から答えが返ってきたら、「じゃあ、どこにそそいでいるちからなら抜いてもだいじょうぶそ?」と、もういっかい尋ねてみてもよいかもです.
「そんなことない、まだまだがんばらんといけない」と答えが返ってきても、苦しいという気持ちがあるなら、自分ががんばっていることを書き出してみるとかφ(..)
そこからは、がんばらなくていいところを消去法で.
こんな方法はいかがですか?
ここまで読んでくださって、ありがとうございました.
みなさまが、よく食べて、よく眠れますように.
心身ほわわんで過ごせますように.
(^^)