これからの家族のかたち。子どもたちが巣立つまでにできることはなんだろう?
noteを始めて今日で100日だそうだ。
読んでくださる方がいてとてもありがたい。
私がnoteを始めたきっかけは岸田奈美さんのエッセイが読みたかったから。
そして自分でも書いてみたくなった。
一番最初に書いた自己紹介記事にはそう書いた。
では、なぜ書いてみたくなったのか?
自己紹介記事には書いていないけど、私には書きたい理由が大きく分けてみっつあった。
ひとつは私自身の経験や感じたことをどこかに記しておきたいと思ったこと。
もうひとつは、初めて私のお腹にやってきた息子への思いが成長するにつれ、溢れ出して止められなかったから、その思いの丈を小出しにしたかったこと。
それは人に見られる必要があるわけではないけれど、noteでいろんなクリエイターさんの記事を見て自分もここで書いてみたくなったのだった。
最後のひとつは、偶然か必然か、やってきてくれた2人目の息子のことについて私が悩むことや感じたことを整理していきたいと思ったこと。
2人目の息子、次男坊。
彼は、生まれつき片耳が聞こえなくて耳はユニークな形をしている。1万人にひとりくらいがかかる病気だそうだ。
日常生活は普通に送れて、保育園にも通っているし、兄の保育園に送り迎えでついていくとお兄さんお姉さんにと可愛がられていて、近所の人や親戚にもかわいがられて、とても平和に日々過ごしている。
家では何にでも興味を持って真似っこする。
すぐテーブルによじ登ったり、鉛筆やのりを使ったり、箸やままの食べ物を奪ったり。
とても意欲的だ。
言ってみればどこにでもある平凡な、いや、エキサイティングでスリリングな子育てをしている。
でもたまに思う。
私は、この子が困難に立ち向かう力を育むことができるだろうか?
幸せを感じる人生を歩めるようサポートできるだろうか?
周りの人と自分が何か違うと気づいて、悲しいことや辛いことが増えたら私はきちんと頼れる母親をやれるだろうか?
そのために何をしたら良いのか、考えてもわからずにいる。
分からないなりに一日一日を大切に生きている。
長男は左のおっぱいばかり吸っていて、右はいつもしぼんでいた。だから右からは母乳が出にくいと思っていた。たぶん、授乳に慣れない私は右利きで左に赤ちゃんの頭がある方が抱きやすかったのだ。
けれど次男は右のおっぱいを多く吸う。長男のときのしぼみを思い出すと驚くほど出ている。右から吸ったほうが聞こえる耳が外向きに開放されているからだと思う。
まだこんなにも小さいのに、自分にとって必要なことをちゃんとわかってやっていることに驚く。
膝に乗せて本を読む時は聞こえる耳の側に顔を寄せる。
長男の手を引いてベビーカーを押す時には長男は聞こえる耳の側で手を繋ぐ。
食事の位置は、聞こえる耳の側に家族みんながいる。
このような、次男が過ごしやすくなる工夫を見つけては実践していく。
笑顔の瞬間をたくさん見て一緒に笑いたいと思う。
この子の人生は一度きり。
このこと生きる私の人生も一度きり。
何ができるかまだまだ分からないけど、できることをしたいと思う。
noteに子どもたちのことを書く時、長男のことを書くのと何も変わらずに次男のことを書こうとするとそれはなぜか抵抗があった。
耳のことに触れないと次男のことを書いた気がしなかったからかもしれない。でも別に、他の人と違うことをわざわざ強調する必要もないとも思うから、もやもやしていた。
ただ私は、子どもたちに元気で幸せになってほしいと思っている。次男の耳のことについては上の子では経験していないことに立ち向かうドキドキを抱えている。
そんな気持ちを言葉にしてみたかった。
次男に会えて嬉しい。
私に母親が務まるか不安。
家族に幸せになってほしい。
言葉にするだけで肩の荷が少し降りる気がする。
子どもたちが巣立つまでに私にしたいのは、安心できるおうちという場所を守ること。子どもたちの心の中に暖かい場所をつくること。大変なこともがんばって、自信をつけて、その繰り返しを応援すること。
こう書くと、なぜだか、逆にプレッシャーを感じる。けれど書くことで覚悟が決まっていくように思う。
何ができるか見つけながら進んでいきたい。大袈裟に言えばより良い家族の居場所を作るための冒険。その過程でまた新たな記事が生まれるだろう。
すすめ、わたし。
一歩ずつ。
この先も書きたいことを書こうと思う。