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年の瀬は浅草で

浅草で人と会った。

改札まで迎えに行くと、すぐ近くに古びた地下商店街を見つけた。
どこまで続いているのかも分からない通路。照明によるものか壁の舗装はくすみ、白と黒のタイルは表面がザラついて黄ばんでいた。天井には大小様々な配管や金属突起が剝き出しで敷かれていて、左右にはディープな雰囲気を醸し出している店がいくつも並んでいる。

合流してからすぐ、商店街入口近くにある中古のDVD屋さんを覗いた。
ホームアローンやインセプション、ナイトミュージアムなど、一昔前に話題になった作品が500円程度の安値で売られている。
サブスクで視聴することが当たり前になった時代では実感することが少ないけれど、パッケージの傷み具合から意外と昔の映画である事に気付いてしまい、一気に老け込みそうになる。

奥に進むとタイ料理屋が目に入った。
毒々しい電飾の光が地下商店街の一角を照らしていて、サイバーパンク的な意匠すら感じる。久しぶりに来た浅草でエスニックなものを食べるのは何となく勿体ないような気もして入らなかったけれど、いつかその景色の一部になってみたいと思う。

一通り探検を終えてから昼食を食べるため地上に戻った。
事前にチェックしていた喫茶店まで、地図は得意だから任せて!と言って連れて行ったのに、目的地に辿り着いてみたら目の前には木組みの基礎しかなくて、一緒に大笑いしてしまった。
15時から営業するって書いてあったのに…

辺りを探してもそれらしき店が無かったから別の喫茶店まで行って、あつあつのエビグラタンを食べた後、珈琲を頼んだ。

苦い物が苦手で、ブラックコーヒーを飲めるようになりたいと言う相手に少しだけ飲ませてみると、数秒の間を空けて薄く笑みを浮かべながら美味しいと言った。強がりかと思ってからかったけれど、そういう訳でもなかった。

苦みを避けてきた結果、どのような味かを頭で整理する事ができず「よく分からないけどこれは美味しいかも。」と、未知の感覚に向き合っていたらしい。

珈琲にも色んな種類があって、例えば今飲んでいるのは酸味強めで苦み弱めコクは普通。苦みが少ないタイプだったから抵抗なく飲めたのかもしれないとコーヒーに関する情報を補完した。これから会う度に少しずつ珈琲を飲ませてみようと思う。

温かい珈琲は寒ければ寒いほど美味しい。

弱い陽射しで灰色っぽくなった街では、喫茶店から漏れる暖かな光が救いのように感じて、つい入りたくなってしまう。

店を出てから浅草寺に行っておみくじを引いたら「思い通りにならないことから酒に溺れたり、また悪い考えを起こしそうです。」と書かれていた。前回初めて会った時の私が正にその通りだったから、また大笑いされた。
おみくじってのは意外と馬鹿に出来ない。

この辺りは昼呑みが盛んな街らしく、陽が落ちる前から既に店からは酔った人たちの楽しそうな声が聞こえてくる。

夜はここにしようと店だけ先に決めて、気が赴くままに散策を続ける。

時間に余裕があったから、隅田川の方まで歩いて行くことにした。
碁盤の目のような作りの街だから、どこを通っても辿り着く。折角だから知らない通りを選んで歩いた。

途中で公園を見つけた。
相手がブランコに乗りたいと言った。
並んでブランコに乗って、ただ高くまで身体を揺らして、浮遊感や体に入ってくる風の冷たさを味わって笑っているだけ。
近頃は常に考え事や感情が同時多発的に渦巻いていて、けれどこの時は純粋に楽しいという感情だけが頭を占めていた事に後から気付いた。

隅田川沿いの遊歩道。
上下二段に分かれていて、上段にはギリギリ登れそうな塀があった。
迷わず飛び乗り、それから相手のことも引っ張り上げて、座って足をぷらぷらとさせた。
丁度、日の入り直後にしか見られないビーナスベルトが空をグラデーションに染めていて、その色の移り変わりを眺めながら内省的な話をした。
寒いけれど、川沿いとは思えぬほどに風は穏やかで心地が良かった。

どこに行くなら一人の方が良い?
美術館は作品に集中して向き合いたいから、音楽を流すわけでもなくイヤホンでノイズキャンセリングをして、自分一人のペースで見たい。
でも博物館なら、集中して向き合うというよりは展示されている化石や鉱物を見て、結びつけられたイメージや感想を共有したいという気持ちが出てくるかも。

映画も一人が良い。
少し安くなるからレイトショーを予約して、その代わり夕食は少しだけ贅沢な店を選んで、豊かな気持ちで座席シートに座って映画を楽しむ。観終えたら家に帰ってから何もせず余韻に浸りながら眠りに就く。

夏だったら、灼熱の外界から遮断された薄暗くて涼しい空間に閉じこもっている贅沢感を味わいたいから、昼前には入場して2本連続で見たりして、日が暮れて暑さが和らいだ頃に外へ出て、映画の中と現実での時間の流れのギャップを感じたい。

小~高のような同年代の人間40人が同じ空間に詰められる事の意味。
すぐに馴染んで楽しめる人はそのまま順応性を高めていけば楽しい場所になると思うし、自分のようにそうした環境が苦手な人にとっても立ち振る舞いを身に着ける唯一の場所として活用できる機会にはなった。
クラスという仕組み自体は嫌いだったけど、生きていくために必要な行程だったという事にして、大人になってから得られる自由を謳歌している。

冬が好き。
寒さや日照時間の短さから、多くの人は元気がなくなるものだけど、自分たちだけは寒くなるほどに活動的になって、気持ち的にも快活になっていく。冬を思う存分楽しみたいと常に思っているし、毎年楽しんでいる。

逆に夏はとても憂鬱。
外に出るだけで熱さと湿度が身体に纏わりついてきて、動けば自分の身体から出た汗と熱気で余計に暑くなる。蒸散によって涼しくなるようにプログラムされた発汗という機能も、ヒートアイランド現象で蒸されたこの都市では何の意味も為さない。
それに陽射しが長いのも嫌いだ。仕事を終えて外に出ても、一日はまだまだこれからですと言わんばかりに、太陽が照らし続けてくる。

読書の楽しさと危険性。
厚さ数センチの紙の中に広がる一つの世界へ入り込むことによって、頭の中から余分な情報を押し出すことができるけど、例えば誰かと会う前の電車で読んでいて中途半端な所で中断されてしまうと、口調や態度がその世界観に引っ張られてしまう危険性を孕んでいる。

海に行きたい。
隅田川沿いは微かに海の匂いがした。
もちろん夏の海などではなく、冬の海を眺めたい。
弱々しく手で掬いたくなるような冬の陽射しを浴びながら、波の音の中で綺麗な色をした貝殻を拾いたい。

雨は好き?
雨の日は頭が痛くなるから好きではない。
でも、頭も痛くならないしジメジメとした湿度さえ無ければ、嫌いじゃない。さっぱりとした雨があれば良いのに。
さっぱりとした雨って何だろう、今月はまだ雨を見ていないけれど、冬の雨だったらさっぱりしているかもしれないと話していたら、本当に雨が降ってきた。

気付けば辺りも暗くなってきて、お腹も空いてきた。
私が愛用している傍から見たら黒い棒でしかない電気カイロをそれぞれ一本ずつ持って、肩を震わせながら中心街へ向かった。

歩きながら目に入ったバーや居酒屋の看板やメニューを見て、中がどんな様子か想像した内容を話しながら、また通ったことのない道を歩いた。

途中で熱帯魚屋さんを見つけた。ガラス戸は結露していて、凍えている自分たちにとって最も必要としているものがそこにある事はすぐに分かった。

中に入ると狭い店内には水槽が所狭しと並んでいて、小さな熱帯魚たちが光沢感のある鱗を揺らしながら泳いでいる。
そして思った通り、熱帯雨林のような生暖かい空気が身体に纏わりついてきた。暑いのが苦手と話したばかりだったけれど、寒さで震えている時だけは例外。私は本当に我儘な生き物だと思う。

水槽を端から見ていった。
泳いでいる魚を見て、どうしてこんな色をしているのか、模様が何に似ているか。同じ種類でもよく見ると一匹一匹顔が違う。

魚よりエビの方が目的を持って泳いでいるような動きをしている。次はあの葉っぱに付いた藻を食べようと決めてから移動しているように見える。そして細かい脚を懸命に動かしている様子は、魚よりも見ていて面白い。

植物も売られていた。どのような場所に生えているのかは見ただけでも何となく分かる。これは砂浜に生えてそうだと言ったら、品名を示すタグに小さく海岸植物と書いてあって得意げになった。

身体も暖まり、店を出ると雨もほとんど止んでいた。
もう冬のさっぱりとした雨がどんなだったか皆も分かった頃合いと見て、止むことにしたのかもしれない。

寄り道をしながらもようやく店に着いた。
店内は他のお客さんで埋まっていて、外のこたつ席が一つだけ空いていた。少し狭いけれど、横並びでこたつに足を入れ一息。
後で聞いた話では、こたつ席は昨日から用意されたものだったらしい。
何をするにもタイミングが全て噛み合う日。

熱帯魚屋さんを出てからもしばらく外を歩いていたから、着いた頃には寒さでまた震えていた。
まずは冷えた身体を温めるために、電気ブランのストレートを一気に飲み干す。
食道から胃にかけて熱がぽっと灯り、食欲も増進されたような気がした。

まぐろ梅水晶にまぐろかつ、塩辛、豚のこめかみハラペーニョ炒め、出てくる料理全てが口に合う。

キンミヤのジャスミン茶ハイやワイン、電気ブランを更におかわり。
お酒も驚くほど進んでいった。

そして冬と言えば鍋。
もつ鍋がやってきたから、合わせて日本酒を頼んだ。
冬の寒い夜に屋外でこたつに入って鍋をつつきながら日本酒を煽る、こんなに贅沢な年の瀬があって良いのだろうか。

席から見える他店の提灯や、お客さんの楽しそうな声。
通りすがりに寒くないの?こたつだからあったかいですよ。という会話の応酬。居る人に通る人、皆がこの夜を楽しんでいた。

会計を済ませてこたつから出ると、足元がわずかにブレる。
人間失格でも「酔いの早く発するのは、電気ブランの右に出るものはない」と書かれるほどの酒をあれだけ呑めばこうなることは必然だった。

駅に向かう途中で商店街を通った。人の往来は疎らになっているのに、通りは不自然なほど煌々と照らされている。脇道にも光を伸ばして、どうにかして人を引き寄せようと足掻いているように見えた。
通りを抜けるにつれて、辺りの看板や広告のデザインが変化していき、文字も日本語に似ているのに何故か読めない字が増えていき、照明は橙色で光度の低い白熱電球や行燈に変わっていき、そんな幻想的な異世界に迷い込んでしまう空想をしながら千鳥足で歩いた。

深夜の浅草はどの街とも違った不思議な雰囲気で、来る度に何となく気分が高揚する。
これからも、偶然居合わせた少数の人間だけが独占できる景色であり続けて欲しいと思った。

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