インナーチャイルド
見えない支配からの覚醒 ~結婚~
私は、元夫と結婚することは気が進まなかった。
お見合いして、マニュアル通りのデートをして結納へ進んだわけだが、どの時の私の気持ちも心から幸せだとか、嬉しいとかいう気持ちはなく、私の気持ちもまたマニュアル通りの対応をしなくてはならないのだろう、という部分があった。 そこには、母親への忖度、元夫への忖度、そして誰かを傷つけたくないという自分の弱さが作用していた。
しかし、結納の後に私のナニカが引っかかり、土壇場にきて自分の心に素直に行動に移した。
当時どうやって知ったか忘れたが、とある年配の女性で「見える」という方に占ってもらった。結果は相性は合わない、結婚は良くないという内容だった。
私は自信をもらい、母親に結婚の取りやめを訴えた。 答えは「結納を取り下げると、いくらかかると思うの?!」「親より占い師を信じるのか!」とお金がかかること、親への義理がないのかと脅され、支配下に置かれていた私は反論できず、丸め込まれた。
式場に招待し、出席してくれた友人たちは、好きな相手と恋をして、デートを重ねて幸せな結婚式をあげていたのに、自分の結婚式は幸せを感じなかった。結婚とはこんなものなのだろうか…、私にはこういう形しかなかったのだろうな…と結婚は仕事をこなすような感覚だった。
結婚式までにも色々あった。費用が想定外に重んだようで、母親からお金がかかると言われ引き出物の費用を抑えるために努力した。元々私も質素な挙式をしたかったのでその意見は良かったのだが、先方の母親が普通の庶民なのに、自分の家柄的に引き出物を減らすなんてみっともない、と文句を言う。
私の母親VS先方の母親という構図が生まれた。
そもそも、先方の母親が互助会に入っているからという理由で様々な制約が発生したことが費用が重む原因だった。私や私の親は相手の意思を尊重し、私は式場すら自分の好きなところを選ぶことが出来なかった。
結婚式当日、母親が会長を務めるお稽古のお弟子さん方が母親の娘ということで、実家から式場に向かう私へ はなむけの詩吟を実家の玄関で吟じてくれた。 私は母親の考えで結婚するようなものだったから、感謝の気持ちは薄く、むしろ恥ずかしかった。
対照的に、母親はサプライズと嬉しさで満足そうであった。
なんだかんだと押し流されるように進んだ結婚式。
高砂に座る私はなぜか悲しかった。友人による余興はもうヤケクソになって思い切ってやった。
それでも家庭を築こう、結婚とはこんなもんなんだと思い直して努力した。本当に努力した。唯一の救いは子どもが授かったこと。
相変わらず母親に支配されていた私は、子育てしながら働くことを応援されつつ、母親が思う配慮や気遣いが足らないと叱られることがままあった。母親が助けて協力してくれることはありがたかったが、私のためというより、孫のためにというのが大きな理由だった。 (それは私が支配から覚醒してから気づいた)
男の子だったことや、母親は自分の子どもは思うような出来ではなかったため、今度は孫に対して思うような利発な子どもに育てたかったのかもしれない。
私が親になって一番叱られたことは、子どもの卒園式の時、実家へ挨拶に行かなかった事であった。
確かに配慮は足りなかった。
夕方呼び出され、子どもは弟のところへ預け、私と元夫は母親に正座させられ、そして私は母親から感謝が足りないと厳しく罵られた。それでも怒りは収まらず、私は頭を何度も殴られた。何度も何度も。見かねた父親が制止するまで母親は私を殴り続けた。
私はもう好きにすればいい、と終始受け身に徹した。横にいた夫も止めに入ったが、誰も母親を止めることは出来なかった。 この時の私はすでに心が麻痺していた。肉体だけでなく、心も痛みすら感じなかった。
私が親に対しての感謝が足りなかったのだ、と私の思考はどんな時も自分が悪いんだ、と矛先はいつも自分に向けていた。
後々、母親は人づてで元夫の身の上に騙された部分があったことを知り、嫌だと言った私の気持ちを抑えつけて結婚させたことを多少後悔していたのか、支配の矛先のウエイトが元夫へ向いていった時期があった。 そして今度は元夫を教育しようとしていた。
結論、元夫は人は優しいがただ優しいというだけで、家族を持つ、親になるということに対しての意識がほぼなく、自分本位の人だったから教育しがいのない人だった。当然、母親の思うようにはならなかった。
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