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【小説】嬲(なぶ)る 26 悪女パターンはいろいろ
五 ありがちな悪女沼
勤め人は誰でも、自分の将来に不安を抱えている。クビになる不安はもちろんだが、ミスをしたときの左遷、同期との出世競争に負ける、減給、上司からの叱責……数え上げればきりがない。
「お前はいいよ、藤枝クリーニングがあるもんな」
藤枝クリーニングが大きくなるにつれて、衿子の亭主も、そう言われることが増えたと思うぜ。
結婚当は街角のクリーニング店にすぎなかったので、亭主も家族の生活は自分で背負う気でいたはず。
しかし大きくなるにつれて、世間は亭主を跡取り娘の婿養子と見る。いずれは、後継者になるもんだとな。
何回も言われていると、亭主もその気になるってもんだ、人間だもんな。
そんなこともあって、衿子は亭主を簡単に入社させた。しかも、専務として。
そもそも財産も収入もない藤枝姓を名乗り、いつしか婿養子と見られていたことも負い目を感じていた。
亭主の嫌がることはさせず、すべて自分で担っていた。自分の手に負えないことは、親父に頼っていた。
自宅を新築したときもそうだし、子育ても何かあると実家に頼っていた。
会社のことも同じだ。
順調なときはいい。かといっていつまでも順調な時は続かない。
バブルが終焉を迎えようとするなか、しだいに衿子の手に余るようになっていった。
親父にナイショで運んでいたことも多くなり、親父を頼っても話がかみ合わない。亭主に相談しようにも、元々、何一つ商売にはかかわらせていなかっただもんな、ムリってわけさ。
***
衿子は、袖子にもこぼすようになる。
「全部終わったころ帰ってきて、『どうなった?』って言うだけ。何にもできない人だったなんて思わなかった」
資金繰りに困った衿子は、夫に相談した。
「しょうがないよ。今まで何もさせずに来て、急に相談されても困ると思うよ」
袖子は同調しなかった。
「そんなふうにさせたのは、お姉ちゃんなんだからね。人が嫌がることは一切言わないで、いっつも自分だけいい子になろうとするんだから」
「あたしだって一生懸命にやってるのよ。嫌なことは全部、あたしに押し付けて、あたしばっかり責めないでよ」
自分を被害者の立場に起きたがる衿子の習性が、袖子は嫌いだ。
「お姉ちゃんのやり方だと、人は育たない。だから卒業しても東京にいて、この家には帰らなかったのよ。あたしまでダメ人間にされたくないもん」
***
衿子みたいな女、意外に多いんだよな。それも良妻賢母と言われる女にな。嫌がることはしないし、耳に痛いことも言わない。だから人に慕われ、頼りにされる。
良妻賢母って、悪女だと思うぜ。
街中を見てみろよ、子どもは母ちゃんの側を離れないから、父ちゃんは1人寂しく荷物持ちをしてる。
気の毒で見ていられないよ。他人事じゃない! おいらだって悪女に騙された亭主の一人なんだ。
昔の人はよく言ったもんだ。「若いうちの苦労は買ってでもしろ」ってな。若くなくても、苦労は買ったほうが得だよ。身につくよ。
おいらの推奨銘柄を買って損することは珍しくないが、苦労が買いなのは間違いない。
断っておくが、外れても自己責任だ。苦労が苦労のままで終わってしまう奴もけっこういるからな。
袖子も、その一人だがな。