【エッセイ】ギブ ミー チョコレートだった日々
少年たちはもう何年も甘い物など口にしていない。その前に、ろくな食事すらしていないのだ。
「一度でいいかな腹いっぱい食べてみたいなぁ」
叶うはずのないことはわかりすぎるほどわかっていたが、言うだけで空腹はいくぶん紛らわすことができたのだ。
「毒が入っているかもしれないから、食べるんじゃない」
たしなめるおふくろの言葉が薄れていく。
甘い香りの誘惑に勝てず、ニトログリセリンをなめたことがある。
「少しなら平気だ」
少年は、米兵が置いて行ったチョコレートを指でこそぎ、なめた。毒は消え、全身に甘さが行きわたった。
しばらくして、不発弾処理の作業員募集があった。
進駐軍に行けば、またチョコレートがもらえるかも。報酬より何よりも、チョコレートの誘惑に負けて募集に応じた。
日本軍が持っていた手りゅう弾などの爆発物は一旦、GHQが回収し、信管が外され、海に捨てられる。信管を外した爆発物を海に運ぶのが、少年の仕事だった。
さらにGHQでも仕事をすることになった。米兵は、少年たちに優しかったと言う。頻繁にチョコレートや缶詰をくれたのだとも言った。
GHQでの少年の仕事は、草むしりなど雑用だった。1日8時間拘束され、昼休み1時間のほか、午前と午後に30分ずつの休憩があった。
給料は、日給。
「普通の会社の倍くらいはもらった」
仕事は楽だったし、楽しかった。
米兵たちが語気を荒げるのは、ただ1つ。彼らの背中にいるときだ。
「NO! NO‼」
米兵たちは、日の丸を欲しがった。日の丸を持っていくと、米兵は大喜びし、大量のチョコレートや缶詰を惜しみもなくくれたのだ。
金銭をもらうこともあったのかと尋ねると、「それは聞いたことがない」とのことだった。
それでもGHQで働く日本人の多くは、日の丸を持って行き、チョコレートや缶詰に換えていたそうだ。
飢餓状態の日々を過ごしていたのは、元少年の老男性も同じだった。けっして豊かな環境にはいなかった。それでも、日の丸を持っていくことはなかった。理由を尋ねると、答えた。
「日の丸に拝んだりもしていたから、それだけはできなかった」
もっとも米兵が欲しがるのは、絹の日の丸のみ。綿などの場合は受け取らなかった。
なぜ米兵は、日の丸を欲しがったのか。
「日本製の絹は、首に巻いたときツルツルして擦り傷になりにくいと聞いたこともあるし、戦利品としての価値を見出していたとも聞いたことがある」
正確な理由は、謎だ。
日の丸で飢えをしのいでいたころもあった日本人。彼らを責めることはしたくない。日の丸を持たなくなった日本人の一人として、彼らを責める資格などあるとは思えない。