【エッセイ】わが家にGHQがやってきた日
恐怖は、人を攻撃的にする。
「お前は、なんでもいから話せ。その隙に、俺が後ろから鉈(なた)で頭をかちわる!」
兄の指令は、有無を言わせぬものだった。少年は歯を食いしばり、両手の握りこぶしに力を込めた。全身の身震いを兄にさとられまいと必死になった。
少年は昭和5年生まれ。玉音放送を聞いたのは、15歳のときだった。
その年の秋、誰からともなく「村に進駐軍がやってくる」と言われるようになった。
進駐軍、いうまでもなくGHQだ。
村から1時間ほど歩いた市街地は、米国の爆撃で一面の焼け野原になった。悲惨な光景を、少年も兄も目にしていたのだ。
「奴らは米は食わない。パンを食うから麦は持って行かれるぞ」
村人たちはこぞって小麦を山に隠した。ついでに若い娘も昼間は、山に隠しに行った。
ついにGHQがやってきた。
肌寒かったのを記憶しているいうから、11月ごろだろう。
広い通りにジープが止まり、中から2人の米兵が降りたった。応対に出たのは、少年兄弟の「おふくろ」だった。
おふくろの両側背面には、少年兄弟がガードする。視線はひたすら、米兵の背中にあるピストルを凝視した。
ちなみに、背中にピストルというのがどうしてもイメージできない。しかし当時の少年であり、現在の高齢男性はなぜか「背中だった」という。ここは高齢男性の記憶を優先し、あえて背中ということで書き進めることにした。
「で、鉈は持っていたんですか?」
「いや、そう危害を加える気はないことは前もってわかったから」
ジープは大音量で音楽を流しながらやってきた。それも「踊りだしたくなるような」曲だったそうだ。
GHQ側もそれなりに恐怖を感じ、身を守るための方策を立ててやってきた。そう考えると、ちょっとかわいく思えたりもする。
GHQは、少年兄弟に板チョコを渡して、去っていった。
家に入ることはなく、「おふくろ」と立ち話をしただけだった。
不思議なのは、通訳のいないこと。もちろん、日本語も話していない。英語のできない「おふくろ」とどうやって会話したのか!?
短いとはいえ、米兵と「おふくろ」はなんらかのコミュニケーションをしていたのはまちがいないようだ。
偉大なり、「おふくろ」!
実演販売でトップ売上げを続けた人の話を思い出す。
「集まった人の警戒心をいかに取り除くか。自分は、それ以外、何もやっていない」
警戒心とどうつきあっていくか。
いまさらながら、大事な問題だと痛感するね。