【小説】嬲(なぶ)る37 太刀打ちできない力
二 逮捕
警察を難なくこなした袖子。そうはいかなかったのが、税務署と労働基準局だ。滞納税金と滞納給与。
税務署では、どこからか怒鳴り声が聞こえてくる。袖子だって、明日はわが身だ。トンチンカン一家の血筋を引く袖子だけに、そこまで察知していたかどうかは疑問だがな。
税務署での勝因があるとしたら、袖子は事実だけしか言ってないことだろうな。大抵の奴は、言い訳をするんだよ。苦し紛れのウソが混じる。
ああ言えばいい、こう言えば多めに見てもらえる、などなど。あちこちから入るダイム諸対策のウワサ話を駆使して事実にないことまでしゃべる。
袖子の場合は、経営経験がないだけに税務署対策のウワサなど知らないから、事実しか喋ってない。つまりつじつまが合っちゃうんだろうな。とくに、ひどい扱いを受けた形跡はないんだよね。
もちろん、支払わなくていいわけではない。ただ、払える分だけ払えるように分割案などが提示された程度だ。
それとて、払える当てはなかったんだがな。
労働基準監督署はそうはいかなかった。
***
「仕事に行けなくなるし、社会的な信用もなくなり、日常生活に支障が出ることになりますよ」
穏やかな口調と、丁寧な言葉遣いだった。ただ、その眼は何かを含んでいた。
袖子には眼の奥に潜む何かを察する余裕はなかった。
「しかたありません。できることは全てやったんです。そのうえでどうにもならなかったから、こうなったんです」
戸惑いの空気がわずかに横切った。
労働基準局の係官の眼の奥に含んでいたものは、刑事罰。逮捕もありうるというものだ。普通は、婉曲的に言えば、通じる。何とかしてお金を工面することになる。
しかし、袖子は金の工面できる当てなどなかった。
「借りられるところは、すでに全部借り尽くしているんです」
係官の眼の奥には、もっと意地悪な期待も含まれていた。
「倒産に備えて隠し持っている金があるんだろ。それを出せよ。逮捕されるよりマシだろう‼」
言葉にこそ出さなかったが、視線は一段と攻撃的になっていた。
「今、この時代に、私が自分で何を体験したか。それを知らせるのが、私のミッションだと考えているんです。社会的な信用がなくなると、自由のない日々が訪れようと、しっかりとそこに身を置いていくつもりです」
係官と袖子の間に流れる空気は一気に緩んでいった。
***
隠し金があるんじゃないかという疑惑だけは晴れたと思うんだよね。かといって、無罪放免、給料支払い免除、万々歳というわけにはいかない。
一滴の水も出なくなった雑巾を、ボロボロになるまで絞り出さされる。それも途方もなく大きく、かつ野蛮な力で。よく聞く表現だが、まさしく袖子に待っていたのは、そんな日々だったんだぜ。