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【消える魔球に遭遇した日】


早めの第二弾ということで、どんな話題をぶっ込もうかと模索した結果、ぶっちゃけ話系はまだ早いという結論に至り、抜粋した昔話にすることにしました。

さてさて、皆さんは

「おい、こんなの漫画でしか見たことねえよ‼️」

的な展開に遭遇したことはありますか?

これは僕がピカピカの中学2年生の頃の話です。

何を持ってピカピカと定義するかは人それぞれですが、僕の人生の黄金期はまさにこの時代で、喜怒哀楽どの感情も余すことなく曝け出していました。

そんな数ある思い出に囲まれた青春時代に、僕は野球部に所属していました。

周りと比べて少年野球上がりではなかったので、同級生のチームメイトに比べると、かなり実力差があったなと思います。

それでも、練習試合に一年の中で最初に出たのが僕でした。

理由は、「一番ベンチで声が出ていた」から。

実力なくとも、ただでかい声を出していたら報われる世界線がここにあった。

後の人生でこの世界線に出会したのは、キャバ時代のシャンパンコールくらいだろうか。。

それはさておき、そんな感じで、毎日練習に励んでいたとき、事件は起きた。

風で少々の砂が舞い上がり、僕の絶対防御のためにかけていたわけではないメガネの壁を掻い潜り僕の右目にダイレクトアタック❕👊

反射的に目を瞑れば砂は目に入ってくる。まあ当然の話なんですが、

だがしかし、そんなことで取り乱すわけないのでそのまま練習に戻ったわけですが、

「なんか違和感あるんだよなー」

違和感がなくならないので眼科に行って診てもらう。診断結果は原因不明で、とりあえず目薬を処方してもらった。

帰ってから目薬をさしてみた、翌日

「なんか物が二重に見えるんやけど」

後日、大きな病院で診てもらうと、「重症筋無力症」という目の筋肉の低下により、瞼が下がってくるみたいな病気だと診断された。

おまけに、斜視と言って眼球の黒目が真ん中からどんどん勝手に離れて片目だけ白目になってしまう症状と、もう一つこれが一番厄介で、見えている対象物が二重に見えることであった。

もちろん即入院、1年間に計3回の入退院を繰り返し、毎日大量のステロイドを服用、さらに副作用で骨が脆くなり、骨粗しょう症というサプライズまで受けた。

流石に、平井少年はベッドで涙しましたよ。

「なんでわいだけ不幸なんやーーー」みたいな全世界の不幸背負ってました。

最長1ヶ月に渡る入院期間は、小児科で過ごし、同室者が、5歳児と、生後数ヶ月の赤ちゃんという新たなサプライズを受けた。

とことん楽しませて、、くれるじゃないか。。。(耐)

夜中になると赤ちゃんの夜泣きを経験し、世のお母さん(お父さんもね)の大変さを身をもって知り、少し優しくなれた気がした深夜零時。

泣いても赤ん坊は可愛い。うそじゃないよ👶

そんなサプライズ合戦を潜り抜け、ようやく退院日。

1ヶ月ぶりに浴びた太陽の日差しは、熱く閃光を放っては、病み上がりの僕の目をこれまでかというほど突き刺す。

太陽からしたら、歓迎の意を表したかったのかもしれないが、とんだ迷惑である。

人生はサプライズの連続だ。

そんなこんなで最高の学校生活が戻ってきたわけだが、目の症状はまだ完治していなかった。

放課後、野球部の練習が始まり、バッターボックスに立つ。久しぶりの打席、球を打つ喜びを先取りしてバットを構える。

バッティングピッチャーが投じた、推定90キロのストレート、スト、、レート❓

ピッチャーの手から離れた球は、「え、もう一球隠し持ってた??」と、疑念を持つほどに、同じスピードで二つに分かれて投げ込まれた。

なんて球投げやがるんだ‥

平井少年めげずにもう一度トライしてみる。

また2球同時に投げられてると感じながら、あてずっぽで左側のボールを振り抜こうとした、そのとき‼️

フッ

↑(効果音があるとすればこんな感じだろう)

バットに当たるタイミングで二つに分かれた球が静寂の如く消え、

スパンッ

↑(脳内で美化してるけど多分こんな感じ)

そのままミットに収まった。

人生でまたとない不思議な瞬間だった。

物が二つに見えるのはこれまでの症状としてわかるけど、消えるところまでは予想外だった。

数ある球種を体験してきたわけではないが、あの球が人生において対峙した中でベストボールだったと言えるだろう。

命名するなら、稲妻のように分かれて幻のように消える、その名も

ライジングファントム⚡️

的な厨二チックな名前だろうか。知らんけど、

後日談ですが、練習試合で遠方に行った先でのバント練習の際に、また球が二つに分かれて親指に直撃した。

普通なら痛いくらいで終わるところが、薬の副作用で骨密度が低下していて、見事に骨が折れてしまったとさ。

目の次は、骨、、痛いよ、、色んな所がさ、、

そのまま公式戦には一度も出ることなく、せめてもベンチを熱くなるくらいまでに温めてやろうと思いながら引退を迎えた。

まあ今振り返ると、あの不思議な体験をできたことは怪我の功名だったとポジティブに受け取れる。

人生楽しいと思えることが多い方がいいもんね。

さらに余談ですが、そんなボロボロな当時の体育の授業でサッカーをすることになったのですが、僕はドクターストップをかけられていたので、先生から

「平井は、試合できないから一人でパス練習しとけ」

と言われまして、自分で蹴ったボールを追いかけてまた蹴っては、の繰り返しをしてました。

1人でパス練習 というパワーワード…😑

今思えばずいぶん酷なことを言う先生だったな、

僕はいじられキャラだったので、その状況を甘んじて受け止めていましたが、流石にその状況を可哀想と見かねた友達が、一緒に練習に付き合ってくれてP Kの練習ができるまでに昇格しました。

わーい!やったぜ!!

持つべきものは、辛い時に支えてくれる友だ!!

消えていなくならないでね。

平井中学黄金期エピソード(完)
↑ぜんぜん輝いてなくない?🤔

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