話し合うことを求めあうこと
今日父は死んだ、連絡が来たのだ。慌てることはない。ただ、死んだだけだ。
照りつける陽光はアパートの壁を焼き、三階の部屋を暖め続けた。空は全く陰影による趣も、グラデーションによるうつろいも感じさせないくらい青く、グラフィックボードで映すにはすぐに白飛びしてしまうような色合いだった。風は生を満喫し、焼けただれてしまいそうな光さえもその成長に変えた緑も、鼻の奥にすっと入ってくる。それは成長の限界を知らず、「今の私、いつも限界なの。」と、叫び跳躍するのだ。
「今日、父が亡くなりました。はい。はい。失礼します。」
握ったスマートフォンは固く握りしめるのではなく、ずいぶん軽く握っていて、落っこちそうであった。耳の汗が画面を滲ませ、反応が悪く、切るまでに間があった。不快だ。
「職場の心理室に電話したなら、早くいかないと。準備して。私も行くから。」と言いながら、すでに職場の印刷会社に連絡した婚約者の春子は寝室のクローゼットの中を覗き込みながら、式場に向かうためにふさわしい落ち着いた色味で、装飾性の少ない紺のワンピースを選んだ。
私たちは準備を急いだ。ベットの下からキャリーバックを出し、葬儀に必要な礼服一式を並べ、ハンカチ、靴下類の小物なども並べた。彼女はデニール数50くらいのストッキングと、おばあちゃんから形見で貰った小ぶりな真珠のネックレスを用意した。
「ねえ、ストッキングこれでいいかな。」
「いいと、思うよ。」足先に毛玉がある。
「出先でも買えるから、とりあえずもってくね。それとハンドバック。黒はあったかな。」と、半分独り言のようであった。
彼女は急いでいると、あらゆる扉を開けっぱなしか、少しあいた状態で過ごす癖がある。トイレは閉めてほしいと心では思っている。彼女の心境として、そこには目的の探し物があった、もしくはそこには探したがなかったことをわかりやすくしているのかもしれない。それを彼女には今まで訊いたことはない。尋ねたくなる時はだいたい、急いでいる。そんなことを訊いたら不機嫌になるので、言わないでいるし、言う必要もない。
彼女は父と一度だけ面識がある。父は寝たきりで、覚醒していることを瞬きとバイタルでしか確かめられず、意思の疎通ができない父にである。父は私が誰かもわからず独り言で毎回「死にたい。」と告げる以外に他は言わなかった。その日は、看護計画の都合上、電気カミソリによる整容は行われていなかったが、シーツの頻繁な交換に全身清拭を行ってはいるようで、丁寧な看護をしてくれているようであった。ただ、褥瘡による患部から発される匂いは、乾いた塩素系漂白剤の匂いと洗濯用洗剤の強いにおいの中にはっきりと感じることができた。
白いシャツにジーンズ姿の春子は個室のドアを開けると、すぐに振り返りゆっくりとドアを閉めた。私も入るとすぐに尿が入っているパックを確認する。そこにはほとんど入っていなかった。ただ、パック交換をしたことがベットサイドの用紙から確認できた。部屋は酸素呼吸器による音と、バイタルを計測する機器が規則正しい音を響かせていた。
「お父さん、わたしあなたの娘になります。どうぞ、よろしくお願いします。やっと会えましたね。この人とお父さんがどんな関係なのかは詳しくは知りませんが、わたしのお義父さんです。ですから、その義理というか、なんというか礼儀っていうのかわからないですけど、そういうのを大事にしたいんです。だから……挨拶に来ました。」そう言うと、近くにあった丸椅子に座ると父の顔を見つめたあと、匂いのありかを探るように体を観察し始めた。
「もう、行く。」
「来たばっかりじゃん、ちょっと側にいる。」と、言ったので私は同じように座って、医療機器と父の着替え以外なく、白い壁紙と蛍光灯が照らす機能性だけを求めたこの部屋に腰を下ろした。そこは生かされていることから逃げることができない者の部屋としては完璧であった。しかし、医学と看護学以外の要素が欠けていた。
春子は、どうしてこのような状態になったのかを私に尋ねた。それは説明するのは難しいことではなかったが、優しい話ではなく、ロックのブランデーを一飲みにしたあとにくるはっきりとした内臓の負荷を感じざるようなものであった。
父は孤独に強いわけでも、自ら行動を起こして環境を変えて成功してやろうという性格ではなかった。どちらかと言えば、人の悪口を言わずにため込んでしまうような人だった。市の福祉課で働いていた三歳年上の母が定年目前に急性心不全で秋頃になくなってしまった。家計の所得は減ったし、母がなくなったことで心理的に弱ってしまい、酒量もタバコの量も増えてしまった。その間に気力はなくなって、彼は定年前の早期退職を受け入れて55歳で会社を去り、家に引きこもるようになった。ただ、その間に努力はしたらしく、その救いにルーテル派の教会に通っていたようだけど、それも長くは続かなかった。教えから父を助けようとする人はいたようだけど、彼が受け入れるには何かが足りなかったようだ。しかし、それが何かは私にはわからない。母が亡くなってから十年後、家の外でタバコを吸って立ち上がろうとしたときに脳溢血で倒れた。その時、こけて肋骨を折り、声が出せなくてうめいているのを通りがかりの人に助けられた。脳のダメージが大きく、寝たきりになってしまった。そしてその状態でほぼ10年が過ぎた。
彼女は改めて、その事を聞いた。しかし、その事に対して、何か感想を漏らすこともなく。鼻を軽くすすってから、左足首に右足を乗せパンプスどうしを二回たたいた。
「もう、行くかい。」
「うん、行く。さようなら、お義父さん。」と、言った後、来た時と同じように、静かに病院を去った。
荷物のパッキングの最中にも春子は二泊三日分の着替えを着々と準備していった。普段使っている乳液や、化粧品の使い切りを探して洗面台の下を荒らし、ないものはトラベル用に小さなスプレーボトルに詰め替えていた。いそがしい。わたしはまず、彼女が荒らした洗面台をかたずけてから、髭剃りと化粧水、乳液、シェーブング剤をポーチに詰めて同じアタッシュケースに入れた。
「ちょっと、そんな適当に入れないでよ~。うまく閉まらなくなるじゃん。荷物一緒にするんだから順番にしてね。」
「うん。」と、言い、赤いホーローのやかんを火にかけ、本を読み始めた。失われた時を求めながらのゲルマントのほうを、読み止したところから読み始めた。
彼女はパッキングを終えると、適当に選んでしまったワンピースに違和感を覚えてしまったようだ。とりあえず、ホットパンツにキャミソール一枚でタオルケットに包まっていた状態から、非日常的なお葬式に向かうために着替えたが、この服装がわたしの親類に会った時に不自然ではないかと思ったのである。わたしの親族は姉の家族と叔父一家に母方の妹が来るだけで、他の親類は亡くなったか、ほとんど縁が切れていた。その場の雰囲気にあっていることを気にしているからなのか、それとも、これからその少数のコミュニティの雰囲気と馴染めないことを服装から判断されることに不安を覚えたのかはわからない。
クローゼットから出し尽くした服の中から、彼女の納得する服を選び始めた。今着ているワンピースは装飾性は少なく、色味は少ないが生地にボリュームがあるタイプでドレッシーな印象を与えかねないと、彼女は心配した。服装どうしよう。と彼女はクローゼットのある寝室で唸っていた。次にパンツスタイルにしようかと紺のスラックスを合わせていたが、これからフォーマルな恰好をしなければならないと思うと、今からそんな服装はしたくないと頭ではなく心が拒否した。ああ~、っと叫びながら選んだのはノンカラーの七分袖の白シャツに紺のジャンパースカートを着て、オレンジのヘアピンでサイドを留めた。
どう。と聞いてきたので、いいんじゃないか。と、私は言ったが、そういうんじゃないのよ。と内心思っていることが、もう一度姿見の前に立ち、ベットの上に並べなおした服装から、その事がわかる。
春子は姿見に写った自分を見た。目は大きく丸いが横に目じりが切れ、眉は太め、鼻筋は通っているが低く、口はそんなに大きくないが唇がすこし厚いので全体が大きく見える。丸顔のショートヘアで、158センチで胸はDとFの間。自分をじっくり観察した後、紺のワンピースを35歳の時に買ったのが二年前である。それが経った二年で着ていくことに違和感を持つようになってしまったのが驚きであった。どうしてだろう。メイクも流行りのカラーを取り入れて、ブラウン系も入れてるし、顔も自分的には童顔で、まだいけると思っていたのに。
自分の生活をつらいと思ったことはない。26で一回結婚したが三年くらいでダメになってしまった。特に原因があったとは思えない。ただ、特別な感情を抱いて結婚をしたわけでもない。25歳の時に、大学で付き合った人と別れてすぐ、友達に当時の結婚相手を紹介されて一年後、結婚した。お互いに気遣って生活していたと思う。家事も分担してたし、会話も多かった。ただ、わたしは仕事が忙しくて、彼に対して気遣えなかったのだと今は思う。彼だって仕事を持っていたけれど、それでもありがとうってちゃんと言ったり、ときどきケーキやコーヒー豆を買ってきてドリップしてくれたこともあった。わたしはそれがなおざりになっていたのかもしれない。でも、彼が子どもが欲しかがっていた。もちろん、結婚する時にお互いに話し合って、結婚したけれど、それでも内心はずっと欲しがっていて、気が変わらないかとも思っていたと思う。だから、私が28の時に中絶したときはケンカになった。私としてはまだ、早いと思っていたし、避妊していたのに偶然できたことに対して彼に不信感を抱いてしまった。避妊だってピルでも飲まない限り絶対なんてないのに。それで彼が中絶をしないでほしいとお願いされても、中絶するといって、優しい彼に納得してもらって中絶した。だけれど、それがいけなかったんだと思う。わたしの体なのだからと強引に言ったことは、二人の事だっていうところを見失ってた。だから一年後、お互いにやっていけないなって思ってやめたんだなって思う。それに後になって、中絶したことに後悔して、子どもをつくることにも積極的になれないで結局この年齢になってしまった。
それでも今、35歳の時に行った語学系大学の公開講座で彼と知り合って、婚約してる、不思議。
もう、この服で行くかよし。と、彼女は頭の中で指差し確認する自分を想像し、ジャンパースカートの裾を払い、髪のサイドを確認した。
キッチンに行くと彼は本を読んでいる。お湯が沸いていることに気づいてないようだ。
ちょっと、お湯。と強い口調で言われたので、すまないと謝ってからやかんの蓋を開けると何も入っていない、熱いやかんができあがっていた。失敗。
「準備はできた。」
「うん。」と、返事が返ってきたので、こう提案した。
「今から出発したところで、向こうに着くのは暗くなる少し前だ。どうせ車で行くのだし、昼食を食べてからいかないか。あと三日はまともなご飯が食べれない。これから出る食事は味について文句を言ってはいけないものばかりだ。もちろん言ってもいいが、それを言ってもより気分が悪くなるだけだ。いいかい。」
この人の悪いところは、まじめな事を言うときはすこし皮肉を交えるとこね。「いいけど、そんなこと思わないし、当然言わないよ。」
彼は椅子から立ち上がると、冷蔵庫の中身を開けて、覗いていた。二人分の食材は、ほとんど作り置きにしてしまうか、冷凍できるようにしてあるので意外と少ない。それに、今日が買い出しに行く日だったので食材がほとんどない。
「ごめん、パンしかないけどいい。」
「いいよ。」
冷凍庫から小分けにした下茹のホウレンソウを出し、次いで冷蔵庫から作り置きのトマトソース、スライスチーズ、卵二個、牛乳、バターを取り出した。
まず、六枚切りの食パンにトマトソースを塗り、チーズをのせトースターに二枚入れる。やかんを火にかけ、一食分のホウレンソウをバターが溶け切ってあったまったフライパンにいれると同時に缶詰のコーンを入れ炒めて、二枚の皿に均等に持った。お湯が沸くとポットにそのままティーバックを入れ、トースターを三分に設定して焼く。フライパンは拭かず、ボウルに卵と少量の牛乳、塩コショウを振ってスクランブルエッグを作り、ホウレンソウのバター炒めのわきに添えた。そこまでで二分。調理器具を洗ってさらに四分。その間にティーバックを抜く。手を洗って拭き、トーストを出してさらに乗せ、フォークを添え、キッチンからテーブルに移した。
春子は白いバレルマグカップを二つマルテーブルに並べ、やかんを持とうとした。
「あつ。」反射で右手を振り上げた。
「だいじょうぶ。」と、ピンクのミトンを渡した。
それぞれのマグカップにお茶を注いでから、左手のミトンを鍋敷きにしてテーブルの中央に置いた。
二人とも籐の椅子に座り、いただきます。と言ってから、食事を取り始めた。
「春子さん、ケチャップいる。」
「いらない。今さ、ゆっくりでもないけど、ご飯食べてるじゃない、それって変じゃない。」
「何か、変かな。」
「だって、お父さんなくなったんでしょう。わたしの父も大分前になくなったけど、悲しかったよ。」
「うーん。正直に言うと、安心しているというか、肩の荷が下りたって感じかな。前にも言ったと思うけど、父が寝たきりになってから事務仕事というか、経済的な処理って全部やってたんだよね。法定代理人になって、母の遺族年金と父の厚生年金、それと生命保険だね。実家を手放したり、入院手続きなんかぜんぶやった。姉はいるけど、ほとんど寄り付かなかった。姉も金銭的に厳しいときは助けてあげたり。父の入院日なんかは全く足りないってわけではないけど、正直持ち出しもあったよ。大きいお金は立て替えたりとかね。そんなのだから女性と付き合うにも、デートの約束よりも病院に行く予定を入れざるおえなかったり、父の存在で交際を途中で断念した人もいたよ。だから、ホッとしているところはあるんだ。まだ、相続手続きとかあるけどね。それでも幾分か気持ちは楽だよ。やっと結婚する。春子さんもいる。お父さんには悪い気持ちはあるよ。いい思いでもあるし。それでもね、春子さん。それは子どもの頃のことでね、失ってしまったんだよ親の存在に無邪気でいれる時は。それは別に父が寝たきりで、何も言わない父の命を引きずっている子どもの自分をやめないと、自分でいられなさそうになったからなんだよ。
「ごめん、つらい話させて。大変だったね。」
「もう、おわったことだから。さ、食べよう。」
食事を続けた。彼はお腹が減っていたのか、わたしよりも素早く食事を取って、紅茶をすすり始めていた。それは、どんどんと口の中に食べ物が吸い込まれているようで面白かった。ただ、最初の一口を飲んだ後、吐く息は非常に長かった。
「これ、おいしいね。ただ、生のサラダがないのはつらいね。」
「そうだね、しかたがない。そういえば、はるこさんのおとうさんの話聞いたことがないな。急性心筋梗塞で、もう亡くなったのは教えてもらったけど。」
「そうね、なくなったのは私が中学生くらいのころだから。お父さんがなくなった歳にも私、近くなったね。その前に食べきっちゃうね。」
「うん、それと音楽をかけていい。」
彼女の了解を得てから、最近買ったCDコンポでエイナウデイのセブンデイズウォーキングをデイワンから再生した。音を下げた。
彼女は自分のマグカップに紅茶を注いでから、話始めた。
「中学三年の頃だったんだけど。5月だったかな、授業中に教頭先生が教室の外から手招きするの。こんな感じに。そしたら、その後に先生が私の側に来て帰る準備しなさいって耳打ちするの。それで準備したら、教頭先生についていくように言われて、歩きながら玄関に連れていかれたの。歩きながらお父さんが危篤だって教えてくれて。校門の前にタクシーが横付けされてるの恥ずかしかった。教頭先生がタクシーの運転手さんに行き先を告げてくれて、そのまま連れていかれた。その間、なんか頭が冴えてきて、どんな理由で死んだのかいろいろ考えちゃって。感覚としては短く感じてたけど、料金は五千円くらいだったかな。おばさんが病院の前で待ってて払ってくれた。でも、お金がないのにタクシー乗るの不安、今思うと。それでタクシーを降りから、病院の霊安室にいきなりいって。死んだのがわかった。その時は意味がわからなくて、感情が上手く動かなかったから、泣いてるママを眺めるの。そうすると、テレビを見てるみたいで、白々しく母親を慰めた。でも、実際そこにママがいて、泣いていて、触れるの。そこで初めて、お父さんが死んだのがわかったの。そこで悲しむべきなんだ。って気づくの。そこで涙がでちゃった。」
涙ぐんだ彼女はティッシュで目元を抑えた後、紅茶を口に含んでマグカップに残りの紅茶を注いだ。
「それでも、ちゃんと受け入れて、折り合いをつけるには大学後半になってから。おとうさん、サッカー好きでお父さんが好きだったサッカー選手とか、チームを聞くと泣いちゃうときもあるし、ひどいときは日焼けした男性見るだけでもダメだった。」
「そうだったんだ。君も大変だったね。」
「うん。」
「紅茶切れたけど、まだ飲む。」
「いや、いらない。」
二人とも紅茶を飲み切ってから、食器をシンクに移した。彼女はそのまま、洗面台に行って歯磨きをした。鏡の前で、目元が赤くないか確認していた。白熱電球のような赤い光の下で確認してもわかりづらそうだった。その間、私は食器を洗って、流しのごみを燃えるゴミに入れて、キッチンペーパーでシンクを拭き上げた。シンク周りを片付け、歯を磨き、うすいキャメル色のスラックスにブルーシャツに着替えていた。
彼女はファンデーションと目元を整えて、色付きのリップクリームでバランスを取って、鏡で顔の左右で凝視した。化粧ポーチにさっと化粧道具を片付けて、スマホと財布をハンドバックに詰め込み、鏡を見ながら彼に言った。
「準備できた。」
「うん。」
「あ、歯ブラシ忘れた。」
「わたしも。」
キャリーバックのファスナーを少し開け、押し込んでからまた閉めた。
「じゃあ、先にキャリーバック持ってした降りるから、その間に春子さん家の戸締りの確認と、家のごみまとめて、ゴミ捨て場にもっていってくれる。ガス栓は確認したから。」
「はい。じゃあ下で。」
私は鍵と財布にスマートフォンを黒い牛皮の小さな肩掛け鞄に詰め、サンダルを履いて、右手に革靴とラコックのスニーカーを入れたトートバックを左にキャリーバック持って三階からエレベーターを使って降りていった。
一階の駐車場に駐車してある、シトロエンC3のプルリエルに荷物を積み込み運転席で待っていた。
ごみをあつめて、ごみを玄関入って右側の寝室の前に一旦ごみを置いて、迎えののトイレに入って用を足した。トイレに隣の洗面台で手を洗った。左の袖口にトマトソースが飛んでいるのに気づいた。手間じゃん。食器用洗剤をつけて素早く落としてから、急いで黒のパンプスを履いて、鍵を掛けて305号室を出て、車に向かった。
彼女が車にやって来るまで待った。運転席で目を瞑って、腕を組んでいると、肩から力が抜けて、久しぶり深い息を吸えた。ただそれは、平日の海の家で味わう自分だけが休みを取ってしまい、その場で寝るしかなくなった悲しき夏休みを味わっているようだ。
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