フォッサマグナ 日本列島を分断する巨大地溝の正体
はじめに
本書は、フォッサマグナとはそもそも何なのかということから、フォッサマグナの発見、なぜできたのか、はたまたフォッサマグナは他にあるのかということまで書かれており、著者の考えも交えている。
フォッサマグナとは
フォッサマグナ(fossa magna)とはラテン語であり、翻訳すればそれぞれfossa=大きな、magna=地溝という意味になり、その名の通り大地溝帯である。ただその範囲は現在3000m級の山々が連なり、溝とは程遠い。本書ではなぜこのようになったのかを含めて解説している。
フォッサマグナとしばしば混同される用語として糸魚川静岡構造線がある。これはこれはフォッサマグナの西縁部にあたる断層帯であり、複数の断層が連なっている。フォッサマグナという領域に対して、こちらは線である(広がりを持たない)。
ここからは箇条書きで書いていく。
・発見者、命名者はエドムント・ナウマン(ドイツの地質学者。ナウマンゾウに名前を残す。)
・基盤岩(大陸地殻を構成する、一番古い部分)までの深さは6000m以上に及ぶ(掘削調査で基盤岩まで到達していないため詳しくはわかっていない)。
・西南日本と東北日本を分断する。
・中央構造線が日本を横断しているが、フォッサマグナでいったん消える。(フォッサマグナの方が遅く形成されたたため)。
・西縁は糸魚川静岡構造線だが、東縁は明確に決まっていない(いくつかの候補はあるが、明確に決まっていない)。
・北部フォッサマグナと南部フォッサマグナに諏訪湖を境に分けられる(南部と北部では成因が全く違うため)。
南部フォッサマグナ・北部フォッサマグナのでき方
ここも箇条書きで書きたかったが、少し説明が長くなるため項目を分けた。
フォッサマグナの形成は、日本のでき方と大きくかかわってくる。。ここでは観音開き説を紹介する。数千年前の日本は現在のユーラシア大陸東縁にあったが、1500万年ごろに東北日本が反時計回りに、西南日本が時計回りに回転し現在の日本列島の位置に移動したとする説である。これは岩石中の地磁気の向きから考案された説である。この説で日本が”逆くの字”に曲がっていることが説明できる。
しかしなぜ日本が移動したのか。それを解決する説の一つとしてオラーコジン説がある。これは上昇するスーパーホットプルームが大陸に接する際、テーブル状の地形である卓状地が断裂を生じるというものである。このとき3つの断裂を生じることが多く、そのうちの2つはどんどん裂け目が拡大するが、1つはあまり拡大せず、最初断裂は120°でほぼ等間隔だったが、Tの字型になっていく。発達していった断裂が日本列島で、あまり拡大しなかったものがフォッサマグナになった。
そして日本が現在の位置に移動してきたころとほぼ同時期に、フィリピン海プレートに乗って北上していた伊豆小笠原弧が本州と衝突した。この時沈み込めずに本州に加わった付加体が現在の伊豆半島である。この衝突によって陸地が隆起し、巨摩山地や丹沢山地などの山ができた。中央構造線が八の字に曲がっているのもこのためである。またプレート境界に位置するため、プレートが沈み込み溶け、マグマの供給が十分であったことから火山島であった(これは衝突前の海底火山の時からである)。
簡潔にまとめると北部フォッサマグナは日本海の拡大により形成され、南部フォッサマグナは伊豆諸島の衝突によりできたものである。
終わりに
フォッサマグナという言葉は高校の地理で出てきた用語の一つにしか過ぎない。フォッサマグナを通ることもほとんどなく、通っても地質を意識することはなかっただろう。しかし本書によれば今わかっていることとしては世界唯一の地形であり、フォッサマグナといっても北と南では全く違う。中央構造線についても調べ、機会があればnoteで書きたい。