自分の性に固執する

 LGBTQとかセクシャルマイノリティとか、ややこしい。僕は女性の枠も男性の枠も居心地が悪くて、何となくここじゃないと感じるからノンバイナリーを自認している。だけど、本当は最近までそれも違うような気がしていた。もっとどうでも良くなればいいのに。


肉体と精神は別物ということ

 僕は一応、自分をノンバイナリーということにしている。女性にカテゴライズされると困るし、男性というわけでもない。体のつくりは女性なので、トイレや脱衣所は女性用を使う。
 ジェンダーマイノリティの話でよく出てくるのはこの問題じゃないかな。心は女性だから女子トイレが使いたいとか、ノンバイナリー用の脱衣所が欲しいとか。でも、これってすごく難しいよなと思う。
 例えば、女子トイレに入って来た自称MtF(体は男性で心が女性)が居たとする。見た目は完全に女性だけど体のつくりは男性。もしかしたら彼は本当に性別違和を感じているのかもしれない。でもそうじゃないかもしれない。女子トイレに入るために女装するやばい奴かも。
 犯罪に発展する可能性を否定できない限り、体のつくりに合わせて公共の施設を選ぶしかないんじゃないかな。そもそも隠れ蓑にセクマイを使わないでほしい。

僕がノンバイナリーを自認するまで

 冒頭でも書いた通り、僕は自分をノンバイナリーにカテゴライズしている。いわゆる男性でも女性でもないというやつだ。ただ、あくまでこれは心の話であって体は普通に女性のままで生活している。
 僕はノンバイナリーらしい悩みを持ったことがあまりない。そもそも性別は自分で「これ」と決められるようなものでは無いと思っている。僕はノンバイナリーになりたくてなったわけじゃない。そこにしか自分をカテゴライズできなかった、という方がしっくりくる。
 昔から可愛いものは好きだったし、それが高じてロリータを着てた時期もあった。女子トイレを使うことに抵抗があるかと言われたら、体の性別がそっちなんだから仕方ないよねで済ませることができる。
 こんなの、だれがノンバイナリーだと信じてくれるんだろう。だからずっと、自分は女の自覚が無いだけで性自認も女なんだと言い聞かせていた。自分は本当にノンバイナリーなのかって何年も悩んだし、そのたびに性別で悩むのはマイノリティへの憧れやただの気の迷いだと思い込んだ。ずっと自分の違和感から目を逸らし続けていた。
 まぁでも、だからこそ僕は自分をノンバイナリーだと認められたのかもしれない。自認した時は案外あっさりだった。死にたくなるほど悩んでるのに違和感が拭えないならもう否定できなくないか、というのが結論だ。いや、なんというか、本当に。
 ノンバイナリーな訳がないと思いつつ、自分は絶対に女性じゃないと感じていて、ましてや「男になりたい」と思うことはあれど「男だ」と思ったことなんて一度もない。だから正直、僕はシスジェンダーの気持ちもトランスジェンダーの気持ちもわからない。
 冒頭でも言ったけど、僕が自分をノンバイナリーにカテゴライズするのは「その枠しかなかった」というだけで、「男じゃないから女」と同じように消去法だったりする。

「異性になりたい」はトランスなのか

 僕は「男になりたい」と思うことがある。これも昔からちょこちょこ、自分の性別で悩んだときにセット湧いてくる悩みだった。「男になりたいなんて、やっぱりトランスジェンダーなのかも……」って本気で悩んでた。
 自分がノンバイナリーだと自認する少し前から、「なりたい」は願望であって違和じゃないと考えるようになった。だって男になりたいってことは、自分は男じゃないって思ってるのと同じだ。
 自分の性であれば体に付いているはずのもの(胸とか陰茎とか)が無いから違和感を持つのであって、ただの「異性になりたい」は変身願望なのだと思っている。だから僕の「男になりたい」も、ただ「他人にこっちの性別で見られたい」という表現でしかない。
 僕は肉体の性別も心の性別も選べないと思っている。それは僕がノンバイナリーになりたくてなったわけじゃないって部分が大きい。
 僕は女の体をしているけど、もし「自分は女だ」と思えていたらどんなに楽だったろうと思う。それかサクッとノンバイナリーを認められていれば、もっと生きやすかったのかもしれない。
 異性になりたいって気持ちはただの願望だと言ったけど、僕は体の作りでその人の性別を決めるような行為も好きじゃないなと思う。「陰茎があるから男」とか「無いから女」とか。もちろん多くの場合はその通りなんだけど、だからといってその人の振る舞いまで強要するのは乱暴だと思う。
 例えば、女性の体でも男性として振舞いたいならそれを許してほしいし、男性の体でも女性として振舞いたいなら許してほしい。
 その人の「こうしたい」「こう振舞いたい」を大切にできたらそれが一番だと思う。

自分の性に固執する

 性別に悩んでいる間、性別なんてどうでもいいじゃんっていうのが結論だった。そのくせ何度も性別で悩んでるんだから、そこに最も固執してたのは自分だなぁと思う。
 たまに可愛いものが好きという話や、男性キャラクターが好きという話をすると「女の子だもんね」と言われて居たたまれなくなる。自分を否定されたような、悲しい気持ちになってしまう。べつに男が可愛いもの好きでもいいだろ、と思う。そして「女性から見てどう?」と意見を求められて困ったりする。
 女性の気持ちも男性の気持ちも僕にはわからない。僕に話せるのは僕から見たその人でしかなくて、それは決して女性からの視点ではない。
 同じように「男として」「女として」「異性として」という言い回しも苦手だったりする。「男として魅力的な人は?」と聞かれた時は答えられなくて居心地が悪かった。そもそも男性として魅力的な人は人間として魅力的なんじゃないのか、と思う。
 例えば、「女の子なのに不潔でヤバいよね」って言われても「不潔な人は性別と関係なく嫌じゃないか?」と思ってしまってピンと来ない。いや、きっと輪をかけてヤバいって話なんだろうけど、別に女の子がみんな身だしなみを気にするわけじゃないし、男性だからと言って身だしなみに気を付けなくていいわけじゃない。
 性別じゃなくて「人間として」っていう枠組みで考える社会になれば、もっと生きやすい世の中になるのかな。


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