僕という人間について
僕は自己開示要求が強い。他人に自分という人間を知ってほしいと思っている。何が理由でそうなっているのかはわからないから、いつか気づけたらいいと思う。悩み事に尽きない人間ではあるけど、配慮してほしいとは思ってない。知っておいてくれたらそれでいい。正直、僕の中身を見た人が僕に対して悪意を向けるんじゃなければどうでもいい。
僕についての評価
僕の人生は平和で穏やかだと思う。劇的なドラマや生い立ちがあるわけでもないし、悩みはあるけど人に同情されるほどのものじゃない。そんなんだから、悲劇の主人公になってみたいと考えては平和ボケに気づいて自己嫌悪したりする。友人に「自分の尻尾を追いまわす犬みたい」と言われた時は上手いこと言うなぁ、なんて感心してしまった。
MBTI診断をすると、いつもINFJだ。答えのない問題に正解を見つけようとして、底なし沼にハマって病むという生き方がデフォルトだったりする。客観的に見れば何一つ不自由のない、平和で、少なくとも不幸ではない人生を送っているはずなのにどうにも生きるのがしんどい。真面目とか頑張り屋さんとか、そういう評価をされることが多いし自分でもそう思うけど、何事も行き過ぎは良くない。どうも僕は、考えすぎてしまうから窒息する。融通の利かない頑固者、というのが自己評価だ。
自分の生き方とか、他人から見て自分はこうあるべきとか、人に喜んでもらうためにはこうしなきゃいけないとか、きっと周りは僕についてそんなに気にしてない。それは分かってるけど自分のことを偏見で縛りがちだ。だから真面目って言われるのかな。
会話は綱渡り
言葉は呪いだと思うし、僕にとって会話は綱渡りに似た感じがある。とにかく人と話すのは苦手だ。自分のことなら話せるのに、「○○さんってこういう人だよね」という話題は本当に言葉が出てこない。仮にその内容が好意的なものだったとしても閉口してしまう。
僕はたまに、「窓住と話してると元気が出る」「落ち着く」「安心する」と言われることがある。すごく嬉しい。照れる。でも、「そう見せてるだけで実際はそんなことない」と感じたりもする。
素直に受け取ればいいのに、それが下手くそだ。だから何が相手にそう思わせたのかを自己分析して、その通りの自分になろうとする。「元気な人」とか「居心地のいい人」とか、相手の中の窓住像を装う。で、疲れてダウン。なにやってんだろうって思う。なんならちゃんと装えているのかも疑問だし、バレてるような気もする。
多分、そういう人間だから人のことを決めつけてしまうのが怖いんだろうなと思っている。誰かと話していて、「○○な気がする」って言葉の終わり方をされると少し安心したり。
僕は他人の意見や感想について肯定も否定もしたくないから、「あぁ、そうなんだ」「確かにそうかも」で終わらせたいし終わらせてほしい。もちろん、そのうえで自分の思うことを話したりはするんだけど。でもそれは主張するというより提示する感覚に近いから、言わなくてもいいかってなることが多い。僕の意見が反論に聞こえて、相手を不快な気持ちにさせたくない。
そして流れる沈黙。もっと軽やかに人とコミュニケーションがとりたい。
螺旋にならない悩み
歴史は繰り返すと言うけど、アップデートされるのが普通じゃないかなと思う。敵キャラがちょっと強くなって再登場、みたいな。愉快なことに、僕の悩みはアップデートされることのないままグルグル同じ高さで同じところを回っている。
僕の悩み事は自分の生き方に関するものが多い。落としどころをつけられたものもあれば、そうでないものもある。普遍的な悩みだけど、僕は見事に足をとられて危うく死にかけた。未だに溺れてる感じは否めないけど、なんとか生きてるのでよしとする。
女性になれない
分かりやすい悩みを挙げるなら自分の性別について。肉体的に女だから女だろうって意見を否定することはできない。でも否定したい。かといってトランスやノンバイナリーに自分をカテゴライズしたくない。
僕のジェンダーに関しては下の記事にもまとめてるので、気になったら読んでくれると嬉しい。
本当にいつから悩んでいたのか忘れるくらい昔から悩んでた。「性別なんて関係ない、あなたらしさを大切に」そういう記事を読んでは、「やっぱりそうだよね」なんて納得。そして時間が経って再び違和感を覚えて苦しむ。幾度となく繰り返して、僕は最近やっと自分のノンバイナリーって性自認を受け入れることができた。
性別なんて関係ないと言いつつどうしても自分が女性に思えなくて、そんな風に性別に固執する自分が嫌いだった時期もある。そんな時にふと関係なくないじゃんって思った。気にしないでいることが僕にはできなかった。
多分、単純に自分が女性であることを否定するために他の性別が必要だったんだと思う。
女性に生まれて良かったと感じた瞬間は無いし、可愛いものが好きなのは自分が女だからだ、と思ったこともない。それが普通なのかもしれないけど、僕はそれで悩んだ。趣味嗜好でその人の性別が決まるわけじゃないから、「自分は女性なんだ。自分がセクマイなんて、絶対にそんなはずない」って言い聞かせてた。だって使うトイレは女性用だし、性別の記入を求められたときに「その他」がなければ女性に印をつける。こんなのがセクマイなわけないと思っていた。
でも、今は自分がノンバイナリーであることについて諦めている。僕を当てはめられる枠組みはここしかない。窮余の策というやつなのかもしれないけど、少しは楽になったような気がする。
人と話せない
聞くところによれば、僕は幼いころ吃音の症状があったらしい。言葉がつっかえて上手に話せなかったんだと母が教えてくれた。今の僕は、吃音が治っているのか、それとも日常生活に支障が無いから気づいてないだけなのか分からない。
言葉が出てこないことは多い。でもだからと言って吃音って言うほど困ってないから、しんどいなと思う時はあるけど医者に行くほどじゃないって考えている。
いっそ症状が重ければ楽になれるんだろうかって最低なことを思ったりもする。けどそれは結局、どもって上手く話せないキモい奴にされるのが怖いだけで、免罪符を欲しがっているに過ぎない気がする。それを自覚してるから多分これからも行かない。
プレゼンテーションとかは苦手じゃない。自己紹介も。言葉が準備されていたり、ゆっくり考えながらだったら話せるから。会話は綱渡りのように感じるって言ったけど、それは自分の言葉に慎重になりすぎているだけなのかもしれない。
今でこそ「話の組み立てが上手だね」と褒めてもらえることが増えたけれど、子どもの頃は「何が言いたいのかわからない」と言われることが多かったような気がする。考えながらでないと話せないのは、意外とそれが原因だったり。僕は伝わらないことが怖い。
わかりやすい話をするには順番と言葉のチョイスが重要だと思う。伝えるって大変だ。何から話すべきなのか、何を話すべきなのか、逆に必要のない情報はどれなのか。僕はそんなことを考えながら人と話すことが多い。ターン制バトルみたいな感じ。すごく疲れる。
もっと普通に会話を楽しみたいなぁと思っているけど、周りも僕と同じでターン制バトルで会話してるかもしれない。そう考えると、ただ単に自分は長考タイプのプレイヤーってだけなんだろうな。
螺旋にならない悩み
並べるとあんまり大したことで悩んでないような気がするから不思議だなと感じる。どうしようもないくらい苦しかったし、きっとまた時間が経てば深刻そうに悩むのに。
僕の悩みはパワーアップしない。考え方っていう武器もずっと木の棒から進化しない。それでも微々たるダメージを蓄積させていってなんとか倒している。持久戦というか我慢くらべと言うか。
僕が負けずに立っていられるのは家族や友人のおかげだ。自分が居なくなったらきっと悲しむだろうし、特に母親は自分自身を責めるかもしれない。それは嫌だなぁ、と思うから瀕死になったらさっさと逃げて、回復したころにまた攻撃してちょっとずつ体力を削る。
まだ何とか生きられてるから、もうちょっと頑張りたい所存。
僕という人間について
想定していたより随分と長くなってしまった。自分の好きなものとか書きたかったけど、また別の記事にまとめようかな。
エッセイはこれで三つ目になるけど、なんとなく今後はジェンダーや読書に関する記事がメインになりそうな気がする。僕の輪郭を作っているのがその辺だから、必然と言えば必然なのかも。
自分の考えていることや思ったことを言葉にするのは楽しい。赤い丸に輪郭線をつけてリンゴにする、みたいな。正体が掴めるような気がしてすっきりする。本当はリンゴなのにイチゴの輪郭線を描いてたってことも多いけど、どの線に納得できないのか考えるのも面白いなと思う。
誰かの記事を読むのも好きだ。自分の描きたかった線が見つかることもあるし、納得できなかったものが納得できるものに変わったりする。そうやって僕は自分に否定できるものを一つずつ消していってるんだと思う。一見何もかもが間違っているようなものでも、一点だけは正しいことを言ってるかもしれない。納得できる何かがあるかもしれない。それは自分にとっての新しい視点や価値観かもしれないと思えば、なおさら知りたいと思う。
他人を決めつけたり、否定するのが苦手。考えすぎて話すのが遅い。いつも同じことで悩んでる。僕はそういう人間な気がする。