いじめられていた話と心の持ちよう

相互フォロワーさんのいじめについての記事を読んでいたら、私の中3クラスでの状況とめちゃ似ていて、封じ込めていた記憶がフラッシュバックしたので、その時のことと乗り越えるための心の持ちようについて書こうと思う。(なかなかにドロドロとした感情を綴っていきますので、お気をつけください)

私が通っていたのは地元の公立中学で、中3のクラスは荒れてない静かなクラスだったが、そこにはめちゃくちゃ陰湿な女がいた。最初は主犯格の女3人から、周りにバレないようにこっそりいじめられるようになった。理由はわからないが、ある日突然に始まった。たしか5月末のこと。
 
具体的には、行動を監視され、ちくいち陰口言われ、笑われ、孤立するように仕向けられ、噂をクラス中に吹き込まれる。物を落とされるとかわざとぶつかられるとか。

そのうちにジワジワとクラス全体にそういった空気が広まり、仲良かった人たちからも掌返しに無視されるようになった。受験期に厄介事に巻き込まれたくないからか、誰もが見て見ぬふり。 

クラスの担任は初任者で、おまけにクラスに不登校の子(元から学校に来ない)もいたものだから、先生も目の前のことにいっぱいいっぱいで、忙しそうだった。一生懸命ですごく優しくて良い人だったので、先生に私のことで面倒をかけたくなくて、孤独が好きな子を装って、いじめられてることを必死で隠し通した。親にも言わなかった。

結局、卒業間近(たしか2月?)になって、先生がようやくイジメに気づいて対処すると、私に向けられていたヘイトはイジメ主犯格3人の方へ向かうようになり、主犯格3人が学校を休むようになった。 (ここでもまたクラスの掌返し)
 
ちなみに、私は中学3年間で1日しか休まずに学校に行った。(高校は皆勤賞)

こうした経験を経て、実のことを言うと、意地悪女たちよりも、イジメさえなければ良い子だったであろうクラスメイトたちが同調圧力に流されて掌返しをしていく姿に、人間の怖さを感じた。窮地に立たされた時の、生物としての生存戦略を感じるというか。こういう過去のせいか、未だに人間に対して「どうせこの人も…」って先入観から入ってしまうし、なかなか心を許せない。良くないことなのはわかってる。  

中学時代にいじめてきたのは生徒だけではない。私はピアノが得意だったけど、中1のときにクラスの前でピアノ弾いてから、その場にいた音楽の先生がその日を境に私に辛く当たってくるようになった。あからさまだった。クラスの多数決で私に伴奏が決まったときも、それに納得いかないのか担任を呼び出して「あの子にだけは伴奏させたくない!」とごねていた。(音大には似たような経験した子が多かった)       

そんな感じの中学時代を経て、高校に入ったので高校では心を閉ざしていつも一人行動していた。

中学卒業の頃には、人に頼らないで済むように自分でなんでもどうにかする術が身についていたし、体裁が気にならなくなっていたので、ぼっちに抵抗がなかった。それに、1人がなんだかんだ気楽で好きなのだ。中3〜高3までは、学校で一言も口を開かず、家に帰った日もあったと思う。(ちなみに、中1中2は楽しかったです)

高校と大学では集団イジメみたいなのを見なかったし、経験しなかったけど、それは音楽学校で自分のことに忙しい人たちの集まりだったからだと思う。 集団イジメはないけど、面と向かって嫌なこと言ってきたり、マウント取ってきたり、嘘のレッスン時間を言ってくるような人、蹴落とそうとしてくる人はザラにいた。 ただ、それはイジメではなく、性格悪いだけ。

高校は女子クラス、3年間クラス替え無しだったので、口喧嘩、嫉妬、派閥争い、陰口は当たり前にあったし、怖い先輩(案外良い人だったりする)もいたけど、集団で1人をターゲットにして粘着質にいじめるみたいなのは見たこと無い。(先生が特定の子に八つ当たりしている状況は何件かあって、生徒たちはその度にそういう先生を軽蔑していた)

そんなわけで高校と大学ではいじめとは無縁だったけど、それ以外では私は必ずと言っていいほど所属するコミュニティの中で、スケープゴートにされてきている。 小4と中3の時クラス内でいじめにあって、就職してからもお局的な人に必ずターゲットにされる。まぁでも一時的なものだったりするので、ある程度時間が経てば過ぎ去ったりもするから、転職して新しい集団に飛び込むというのはなるべく避けたいのだ。 

学校時代にいじめられても屈せずにスルーしてきた経験は社会に出てからも役に立つもんだなと思っている。

もともと私は個人主義で共感性も低く、人からどう思われても気にしない性格なので、いざ仲間はずれにされても普通の人よりダメージが少ない気がする。(NT型のメリット?)      

私のことをイジメてくる人間のために、悲しんだり、傷ついたり、私の感情を消費するのは時間の無駄。それに、「嫌がらせ」は相手の問題であって、私には無関係なので、そうした悪意を私のこととして捉えない。何言われてもあーそうなんですねって適当にあしらって、私の内部には取り込まない。あくまでも相手の問題として、私とは切り離して考える。
とにかく、意地悪な人に自分の心をあげないこと。

そうしていると、ダメージ受けずに済む。
同じ経験でも、とらえ方と心の持ちよう次第で気持ちは変わってくる。

今このnoteを読んでくれていている人の中に辛い思いをしている人がいたとしたら、ぜひ参考にしてほしい。私はこの考えでこれまで病まずに生きてこれた。   

自分に対する罵倒も相手の問題としてとらえると、滑稽に見えてくるのでおもしろい。よく「強くていいですね」っていじめてくる人に言われるのが謎。

私は因果報応は求めないし、残念ながら、必ず報われるなんて綺麗事この世にないと思ってるけど(歴史を見ても) 。

だけど、見ている人は見ている。だから、解らない人に解ってもらう必要はない。自分は間違えていないと思うのなら、何を言われても平然としてればいい。 自分の思うように正しくあり続けたら、そのうちそれを解ってくれる人がいると思う。     

私がこれまで生きてきて気づいたのは、「自分が普段人のことを扱っているように、自分も人から扱われる」ということ。
 
人の欠点を許さない人は自分の欠点も人に許してもらえない。人に厳しくしていると、自分も人から厳しい目で見られる。

自分が他人に対して向けている態度は、いずれ相手から返って来る。

だって、私に意地悪してきた人を好きになれないし、その人が困ってても助ける気持ちになれないでしょう?

だから、自分が扱われたいように人のことも扱うべき。相手にだけ求めるのは都合良すぎる。   

これを自分の中の教訓にしている。

私は媚びたくないし、同調圧力にも巻かれたくない。中立でありたい、一匹狼で良いと思って生きている。あと、人に意地悪したり嫉妬するぐらいだったら、される側でいる方がマシです。


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