好きより嫌い
自分の頭を埋め尽くすいろんな感情を分解していた時にふと気がついてしまった。
「嫌い」という感情の強さと、その可能性に。
目の前に大好きな人がいたとする、その人のことが大好きで大好きで仕方ない時、人はなんとかその相手に好かれようとするし、もし、そんな相手の「好き」になることが出来て、頭の片隅に自分が存在出来るとしたらそれ以上の幸せはないだろう。
なのに、人の人生に及ぼす影響を考えると、「好き」よりも「嫌い」の感情の方が明らかに強い。
好きにはきっと終わりが来てしまう。
日々目まぐるしく変わる環境や、私たちを取り囲む現実や、年齢や、慣れといった難敵達は、いとも簡単に私たちの「好き」を奪っていく。
あの時は、一生この「好き」を大切にできると思ったのに。
絶対にずっと「好き」だと思ったのに。
あんなに大事にしていた「好き」は呆気なく溶けてしまった。
そして次の「好き」にはきっと勝てない。
対して、嫌いだったり憎しみが混ざり合った感情は決して忘れられない。いくら「嫌い」が増えようとも、ずっと「嫌い」でいられる。それはもう、今の「好き」を掻き消してしまいそうなぐらい。
そうか。いまの「好き」はいままでの「嫌い」に対して出来る、たった一つのささやかな抵抗なのかもしれない。
沢山の「嫌い」を積み重ねて、同じ「嫌い」にもう二度と出会わないように行動して、「嫌い」に見せ付けるように反対側に「好き」を作る。
それとも、「嫌い」は人生の教科書で、教科書に載ってない未知の感情を「好き」と錯覚しているだけなんだろうか。
「好き」の気持ちが綺麗なまま溶けてしまったあの人より、「嫌い」過ぎるあの人の方が記憶に残っているなんて、私の人生を形作るなんて、皮肉なものだ。
今日も、自分に蓄積された「嫌い」に触れないように自分を厳威に守りながら送る1日が始まる。
その中で沢山の「好き」を作るとしよう。