誕生日プレゼントに年齢制限、所得制限を設けませんか?
僕は物心ついた時から、両親に誕生日プレゼントを渡したことがない。
本当は渡したいのに照れくさくて渡せない、とかではなく「絶対に渡さない」という確固たる意志がある。自覚は全くないのだが、こういうやつは薄情者と呼ばれるらしい。薄情者を否定するつもりはないが、家族や婚約者に誕生日プレゼントを渡すのが普通、みたいな風潮は否定したい。
前提として、今回取り扱う「誕生日プレゼント」とは、何度も渡さなければならない関係性でのものを指している。友人間で数回プレゼントのやりとりをするくらいのことはしても構わないし、プレゼントという文化も良い側面はあると思う。
ただ、プレゼント選びを恒例行事にするには、難易度が高すぎるのではないだろうか?
実際、多くの人がプレゼント選びを難しいと感じているはずだ。
例えば、ゴルフ好きの父へのプレゼントを考えなければならないとする。ゴルフの備品で誕生日プレゼントの要項を満たせそうなのは、ボール、シューズ、ウェア、クラブ、バッグくらいであろう。ゴルフだけでは、せいぜい5〜6回分くらいの誕生日を潰すことしかできない。人間の趣味なんて普通は1〜2個くらいのものだ。趣味からプレゼントを派生させる作戦には限界がある。
18歳からプレゼントを渡し続けるとしたら、個人差はあれど約30個のプレゼントを用意しなければならない。相手が婚約者であれば、もっと多くなるだろう。
足りない…圧倒的にネタが足りないのだ!
ネタがないなら本人に直接聞けばいいんじゃない?
一見すると、打開策として成り立っているように見えるが、これこそが負のスパイラルの始まりだ。
子どもであればそれで良いだろう。子どもは欲しいものがあっても買えない場合が多いので、大人が代わりに買ってあげる日があっても良い。ただ、大人になってしまえば、欲しいものはすぐに買ってしまうのだ。
要するに、「ずっと欲しかったんだけど、自分では買えなかったもの(心の底から欲しいもの)」がない。あるとすれば、高い時計や家電、カバンといったプレゼントとしては重すぎるものになってくる。その費用を負担するだけの覚悟があるなら聞けばいい。ただし、それをプレゼントしてしまえば、相手に「お返しで高いものを買ってあげないといけないのかな」というプレッシャーをかけてしまうということを忘れてはならない。
実際、15万円で買ったプレゼントのお返しが1000円のリュックだったら腹が立つだろう。愛している人であれば腹が立たないと思っているような人でも、それが毎年続いていけばいつかは苛立ちを覚えるはずだ。
そして、お返しが同じくらいの金額、もしくはそれ以上だった場合はもっと大変だ。翌年の相手の誕生日にも同じ程度のものを渡さなければならない。この状況は、相手に気を遣いながら生きているタイプの人間同士でしか起こらないので、当人だけではこの無意味な負担の押し付け合いを止めることは難しい。
この状況を避けるためには、本人に聞かずに自分でプレゼントを選ぶしかない。
そうなった際には、以下の点に注意する必要がある。
①相手の好きそうなもの(相手のことをよく考えたのだと伝わるもの)
②安すぎず、高すぎないもの
③相手が持っていないもの、複数あっても困らないもの
④過去に渡したプレゼント、他の人のプレゼントと被らないもの
これらを破ってしまったら、「プレゼント」から「小さな迷惑」に成り下がってしまう。
趣味以外の切り口からこれらの要項を満したいのであれば、
わざわざ買うほどではないんだけど、あったらちょっと嬉しいかもなぁ
というものを探さなければならないのだ。
もはやこれは心労だ。年に1度という短いスパンでこれほどの心労を負わなければならない。そして、相手にも年に一回同じことをさせるようになる。
そこまでして誕生日プレゼントを渡す理由なんてあるのだろうか?
誕生日プレゼントという文化は、18歳以下の子どもに渡すため、そして、金持ち同士の悪趣味な道楽のためにあるのではないか?
誕生日の在り方を変える誕生日革命を起こしたいのだが、大きな声で文句を言ったところで、世の中が変わってくれないことなど分かりきっている。
それでも、諦めきれない僕は「自分の両親に誕生日プレゼントをあげない」ということを徹底することで、誕生日プレゼントという文化に抵抗し続けている。