子どもたちの変化を考える その5
2014年の頃の話で一つ思い出したことを。当時小学部に2人の兄妹が通っていた。彼らは4人兄弟でさらに下に2人の弟妹がいた。大抵お母様が、そして時々お父様がヴェルファイアで送ってきた。
教室の外で生徒たちが来るのを待っていたのだが、いつもその兄弟たちが車内で暴れているのが見えた。顔よりも逆立ち状態になって足が見えていることが多かったくらい暴れていた。
「本当はチャイルドシートに座っとらなあかんのだよなあ」と当時一緒に働いていた10歳上の講師が私に話しかけてきた。「まあでも無理だよな。4,5歳の子をじっとさせておくのは」
私も「そうですね」と返事して、隣の女子大学生講師も頷いていた。「あれくらい元気がある方がいいですよね。兄弟たくさんいて楽しそう!」
今だったらこの会話は成立しない気がする。「注意すべきですかねぇ」「警察に捕まるぞ」「今時あり得ませんね」それくらい私たちもルールに厳しくなったというか、遵法意識が高まったというべきか、スマホの写真や動画で一発アウトの行動を慎むようになったというべきか。10年で感覚が変わっている。
スマホが塾生の無視できない割合に広がってきたのもこの時期だ。当時の所持率は3割くらいだったであろうか。高校生で7割くらいだった気がする。一気に広がったのがパズドラだった。ガチャの排出率が高い日はどこかソワソワしている生徒が増えた。授業中にその時間が合致するのでどうにか一瞬だけ触ってはダメかを聞かれたのもこの頃。誕生日プレゼントやクリスマスプレゼントが現物ではなく、ゲーム内の有料アイテムだった生徒の存在もこの頃は驚いていた。
2015年の中3は一層そんな傾向が強まっていた。彼らの中で流行っていたのが「イナズマイレブン」だった。男女ともにそれなりに人数がいた。コミックを持っていた生徒がいて貸してもらった。渡された瞬間「ハッ?」と思った。コロコロと書いてある。「ジャンプやマガジンじゃないのか?」と思わず驚いた。読み始めた。面白い。しかし「これは小学校低学年向けじゃないか」という思いが頭を支配した。2013年,14年の中3世代はスクールカーストが高めの生徒が多かった。それでも私たちの頃とは異なる違和感を覚えた。2015年の中3世代は学校でもあまり目立たない子が多かった。そういう子たちはこんな娯楽を楽しんでいるのか、この幼稚性はどう説明したらよいだろうか?と考え始めていた。
2007年~10年頃は生徒の人間関係、特に男女の関係について悩み云々を聞くことが多かった。付き合っていない生徒からも「モテないんですよ。悩みます」というような相談を受けることはままあり、中学生の多くの前提に「モテたい」という心理があったことは間違いなかった気がする。それがこの2013年~15年頃には大きく減った。というか恋愛相談を受けた記憶が無い。一人だけやや奔放に付き合う女子がいたが、男子が聞こえない所で「ビッチ」と呼んでいた。理由を聞くと以前の男子と別れてから1か月で他の男子と付き合いだしたからと訊いて、(数年前の女子生徒たちだったら3割がビッチだな)と思ったことがある。
またこの時期のもう少し下の学年で、授業前にモノを取った取らない、壊した壊していないのトラブルが起きた。ただ確かにそこには破壊されたシャープペンがあった。壊された側は「あの2人が勝手に取って壊した」と訴えている。他の生徒たちの証言を含めて、この2人が何かしら行ったことは間違いないと判断し2人に話を聞くが埒が明かない。反省する態度が見られないので保護者を読んで面談することになった。主犯格のAのお母様は最初は粛々と私の説明を聞いていたが、突然涙を流しながら「息子は発達障害なんです。だから衝動が抑えられないんです。許してください」と懇願が始まった。Bのご家庭は夫婦で見えており「先生、障害なんですよ。生まれつきで止められないんです。だから許してあげてくださいよ」と話し始めた。「許すも許さないも本人たちが否定したままですし、先方のご家庭がそれは判断することだと思うんです」と私が話すと「障害者を排除するんですか!」と先ほどまで涙を流していたAのお母様が激高し始めた。ここから数十分は独立して以来最大の修羅場だった。結局ここで保護者達が激しく暴れたことと、被害者生徒が「今後同じ教室では勉強できない」ということで退塾処分とした。
この出来事は私の心に影を落とした。「発達障害」という言葉と何となくの特性は知っていた。しかし人のモノを取る衝動性とか、親御さんがあんなに泣いたり激高したりするものなのかと疑問に思い勉強を始めるきっかけとなった。
数か月後に小学部に新しい生徒が面談に来た。面談のスタートはお母様からの一言だった。「うちの子は軽度の発達障害です。病院にも月に一度かかっています。そこの担当の方にこちらの小学部のチラシを見せたら『合っているんじゃないか』って話になったので、息子と一緒に今日来たんです」と隣のまだ小さい子と目を合わせてニコッとしている。
ほんの数カ月前のお母様は「息子に発達障害と知れたら私は死にます。もし退塾理由にその言葉を入れて彼に伝えたら先生の命も無いものだと思ってください」と言われたのにこの違いは何だろう。
結局この生徒は、体験授業を通常の生徒の倍の期間、有料で行った。特性は算数がメチャクチャ好きで国語がとんと嫌いという部分にしか感じなかった。そしてこの後通い続けてくれて10年にわたって私の指導を受けることになる。
2016年3月。私の家庭の問題や一緒に働く講師の健康問題で今の場所に移転することになった。続きはその6で。