やる気のない旅行(タイ)の記録②ーWat Mahathat
アユタヤはバンコクから車で1時間ほどのところにある旧王都です。1767年にビルマによる侵略のために徹底的に破壊された古都。首のない仏像が延々と並ぶ廃墟の中にこの、仏頭が木に抱かれているのです。
「ビルマの人たちも仏教を信じていたようだけど、こんなにたくさんの仏像を壊してバチがあたると思わなかったのかね?」
「そうだね」
1767年というと日本では田沼意次の時代です。他国に攻め入った人たちはどんな気持ちだったんだろう?命のない石仏の首を一つ一つ落として楽しかったんだろうか?そして、見事に全部破壊し尽くしたのですが、その落とされた首の一つが木に抱かれ今も人に拝まれている神秘さと言ったらありません。
その場にはガイドさんがいて、この仏頭と写真を撮る時は、しゃがんで取るようにと言われた。つまりは自分たちの頭の高さが仏の頭の高さよりも高い位置にならないようにというのです。こういう敬虔な信仰心にちょっとじんときた。
この仏様は頭だけになってしまっても、いやむしろ頭だけになってしまったからこそ、木に抱かれながら今も戦争をすることの虚しさを訴えているのだろうか?そんなふうにきっとみんな思ったろう。
仏像はやはりその顔、顔立ちをみる。国や年代によって顔だちが違ってきます。ワット・マハータトの仏頭のお顔は地球の歩き方の写真では微笑んでいるように見えたけど、実際に見てみたら私にはもっと冷たい顔に見えました。怒っているように。そりゃ怒るよなとは思うけど。思うんだけど……。
一級品の能面というのは角度によって笑っているように見えたり、怒っているように見えたりするのだという。それと同じで仏の顔というのは角度や光の当たり方によって様々な顔に見えるものだと思うのですね。
この石仏を彫った人は、宗教心を持って丁寧に一生懸命彫ったんでしょうし、その、平和や安寧を祈る心を思い切り破壊してゆく行為というのは真逆のものですね。もしも破壊する側の人間も仏教徒だったとするなら、なんと愚かしいことか。
一流のアーティストがいて、平和を訴えるための作品として、所謂安寧と破壊を同居させるために安寧の象徴である仏像を破壊して一つのモニュメントを造る。そんなことはあり得るかもしれない。しかしですな、これのすごいところは、これは偶然こうなったということで、人間が造ったものではないということです。
仏様にあの世から叱られている気分になるではないですか。
その次にアユタヤにある涅槃像を見た。でっかい横たわった石仏が寒くないように布がかけられていて、心が癒された。これは、寄贈されたものだそうだ。お釈迦様は実存した人物で、彼のなした偉業により様々な伝説がご本人にくっつきましたが、人間だったわけです。亡くなってからこんなに長い時間が経っているのに今でもお釈迦様が寒いといかんだろと思う人がいて衣をかける。愛されていますよね?人間のこういう面は嫌いではない。
それから更に車で移動して、王宮跡とワット・プラ・シー・サンペット、当時の王宮の守護寺院跡へゆく。ここ、世界遺産。しかし、頼んだガイドはじめ我が家の他の3人は、さっきと同じじゃん。と言い張り、中に入る必要ないじゃん、金かかるし暑いし、とストライキを掲げた。(写真は中に入らなくても外からでも撮れる)
ここ、世界遺産なんですけど……
車の中からふと脇を見ると、象に乗った観光客が王宮の周りをヨタヨタとゆく。そして王宮周りの歩道にはクソでかい象のブツが落ちていた。
「象に乗れるよ!」
このままだと4対1で世界遺産を素通りするような格好で旅が過ぎてしまう。そこで、作戦に出た。
「乗りたいっ」
「乗りたいよねぇ」
中には入れなくても象に乗ってヨタヨタと(観光用の象は走らない)周りを巡ればあの歩道の上の象のブツを間違って踏むこともないし、ゆったりと旅気分を味わいながら世界遺産を外からとはいえ眺められるではないか。それに象の上には日傘があるぞ。(私だって炎天下の下、暑かった……)そこで、我が家の一番の権力者の息子を利用することにした。これも平安時代の摂関政治のようなものだ。
「じゃあ、乗るか」
あっさり旦那が折れる。おばあちゃんも秒で折れる。作戦は成功した。しかし、
「象ならここではない」
チーン
ガイドのくせに、中国人であるからして、どっからどうみても過去の遺物である廃墟に全く興味のない人が、世界遺産は見る価値がないという。
ふぎゃあああああああ!
最近の中国人は、高度経済成長の方達だからなのかなんなのか、文化に対して愛がない。愛がないぞ!金を産むもの以外にも重要な意義はあるんだぞ。しかし、正確にいえばアユタヤの廃墟は世界遺産なので世界中から観光客を呼び、金を産んでいる。しかし、象はここではない、ときっちり言い切るガイドに私の戦術は負け、自分は世界遺産の中に入れず、外から惨めに写真を撮った……
それから、暑くてたまらなくて一刻も早くホテルへ帰ってゲームをしたい、こいつも別の方向に現代っ子Wi-Fiがなければ生きていけません人間(息子)を宥めつつ、象に乗りにゆく。タイといえば象だろう。乗れるなら乗っとけ、象。
マーケット脇の象乗り場だったので、多分ここだったと思うんです。エレファントビレッジ。マーケットでシャーベットを、棒に突き刺さった氷菓ね、氷菓、を一人一本食べながら、冷たいものは絶対食べないおばあちゃんすら食べながら、つまりはそのくらい暑かったのですが、マーケットをちょい見した後に象に乗る。
息子と二人で乗ったんだけど、その感想は一言で言うと……
かわいそう!
でした。
「頭の上に足を置きたくない」
「うん。でも、ちょっと怖い」
結構高くて気持ちいいんだけど、どうも、象は乗り物だと思えなくて、昔は南方では象を兵隊の乗り物にしてたやんと思っても、実際に乗っちゃうと可哀想感がひしひしと押し寄せて、その後象に乗っている間淡々と息子と、象がこの人間を乗せるという労働を行なっているから野生の象よりいい人生(正しくは象生)を送っているに違いないという件について話し合っていた。
「客は多い方がいいか?」
「多いと疲れるよね?」
「でも、少ないと餌がしょぼくなるのでは?」
結局、ほどほどに客が来れば野生の象よりゴージャスなものが食えてウハウハなので、決して自分達は象をいじめたわけではないという結論に達した。
ちなみにアユタヤ遺跡のそばとエレファントビレッジのどちらがおすすめかという点ですが、遺跡は行ってないのでわからないが、ビレッジは背景がしょぼい。観光的にもっとウハウハしたいなら、象のゆく道の脇に南国風の庭園をと思うわけです。フォトジェニックな小庭を作れよ。
汚い!
で、多分、アユタヤ遺跡のそばも汚い!汚いが、あっちは背景に世界遺産があるでしょ?つまりは遺跡そばもビレッジも観光業のために何か自分達で工夫したという部分がまだまだ足りん!のですが、遺跡は何もしなくてもそばに無料で遺跡があるわけですよ。資源がね。だから、ビレッジも金儲けのために象を大切にしつつ頑張れよ!ってやつでさ。
しかしですね、ビレッジには多分前からそこにあった沼があるの。象ちゃんが沼を進んでゆくのです。そして、我々が映っているのでその写真は上げられませんが、沼をゆく写真や動画はなかなか見応えがあるというか、いい思い出になったし、ビレッジスタッフもちゃんと一眼レフで写真を撮ってぱぱっと装丁してくれる。
写真には映らない汚さがあり、なかなかの出来なのですよ。
沼にははすと睡蓮の花が咲いていて、あれをちゃんと整備すればきちんともっとまるで往時の王宮を行くかのような雰囲気を味わえる。金かかるけど整えて、象に乗る料金あげて、ええっと1000バーツは何元だっけ?
人間は物語に浸りたい生き物である。しかし、金を使って立派にしても観光客が来なければ商売あがったりである。とにかくアユタヤは交通の便が悪い。しかし、バンコクからの距離はそんなに離れていないので、交通網を整備すればもっといける。何せ、世界遺産が……
そして、気がついた。象の餌代と待遇改善を願うあまりに、仕事モードに完全に入っていたぜ。やれやれ。
休めよ!自分!
それから、一路バンコクへの帰途につく。車中で息子が悪態をついてくる。
「休みの時期ってゲームでいろんなボーナスがつく時期なのに……」
ゴリゴリのインドアの母の元に生まれ、中国のスマホゲームを中心にゲーマーな息子。ちなみにこの前中学の授業参観で子供たちの自己紹介聞いたが、皆、好きなゲームについて口にしていた。現在の日本人中学生はゲームやっていないと人非人扱いのようだ。
こいつ、ゲーム中毒じゃね?
とっくにゲーム中毒だった人を今更捕まえて、とうとう気がついた。うちの息子はWi-Fiのないところでは生きていかにスマホゲーム中毒者でごんす。おそらく多くの日本人学生が似たり寄ったりだろう。
「あのな、お前も大きくなって彼女ができたら、旅に行こうと言われてゲームを我慢して旅に付き合うようになるんだよっ。それに付き合わなかったら別れることになるぞ」
中途半端なことを言わずに非常に現実的なことを説明してみた。
「そこでゲームがやりたいからってついていかなかったら、結局愛していなかったってことじゃないんですか?」
「……」
我が息子ながら、あんた何歳ですか?と思いました。
「とにかく、女の旅行には付き合え。愛しているんなら、だな。それと」
「それと?」
「家の中にいるのが好きなのは自分もそうだしわかるけど、いっつも会社と家の往復で同じところに居続けると、心に元気なくなる」
「心に?」
「うつ病になりやすくなると思うよ。家にばっかいると」
これは、100%本心。ゴリゴリのインドアだからこその感想で、出かけるのめんどい人だからこそ、たまには出かけないと心的にやばいと知っている。サイクルを逃れて全然知らないところへゆくのは仕事やいろんなことをスコンと忘れるのにいいですよ。いうまでもないですが。
そして夜はゲームがとブツクサいう息子を引きずってみんなでホテル近くのナイトマーケットへ。アジアティーク・ザ・リバーフロント・デスティネーションというところです。観覧車のあるマーケット。
「観覧車のる?」
「のらんだろ」
私は乗りたかった。猿なので、高いところが好き。しかし、1対4で負けた。このマーケットは新しく、ショッピングモールのように綺麗で、おしゃれなレストランがいっぱい。
これ、ナイトマーケットじゃないんじゃね?
夜市といったらもっとガサガサしててわきゃわきゃしてて、江戸城をお忍びで出てきた遠山の金さんが、(ちょっと何かが混ざって間違っているが続けよう)
「江戸は活気があるねぇ」
てな感じに庶民がわきゃわきゃと。でも、小洒落てね?さっきまでアユタヤでラリホーな池に象と一緒に入り、写真には映らない汚さが映らなかったために思い出深い写真が撮れたが、それとこのバンコクの近代的な小洒落感
何よー、何なのよー!(差がありすぎて脳みそ混乱)
そして、こう思いました。
ま、いっか
タイの服が可愛いといって昼から買いたがっていたおばあちゃんに付き合ってくれる女性(私)はいるのだが男性はおらず、(ちなみにワット・マハータトのそばにはめっちゃおしゃれな雑貨屋があり、そこの絞り染めの巻きスカートは欲しかったが、車が来たので買わずに来てしまった)適当に選んだチャオプラヤ川沿いのシーフードレストランで飯だけ食って帰ることになってしまった。
グルメな親とグルメな旅を楽しんできた私には適当な店に入ることが昔は嫌でしたが、人は何にでも慣れるものである。常に界隈で一番ずがんとはらわたに染み渡るものを食べなくても、死なないと学んだので、むしろイライラするのはやめようと悟り切った心で店に入る。
ところがこの店、適当に入った割にはいけてた。タイスキの肉がなかなかいいやつで、そして何よりでっかい魚の塩焼き(40分かかった)、塩釜焼きというのでは?塩をこれでもかと塗りつけて焼き、最後にはそれが壁のようになって魚の周りを覆い、剥がして食べるやつ。それに青唐辛子ベースのソースがついてくるのですよ。魚はバカデカかったけど、白身のなんかです。旦那が頼んだのでメニューを見ておらずわからなかったぞ。
そして、この店は音楽がいけてた。普段イギリスで流行している洋楽のランキング上位をアップルの聴き放題で聴きながら生活しているのですが、そこで耳にする音楽がかかり、ビールにあった。
「気分がいいー」
「酔っ払ってる?」
私が酔っ払うと必ず付き添いの警察官のようになる息子の横で音楽聴きながらビールを飲み、タイスキに入れたビーフンを5人で奪い合う。流石に足りなかったので追加オーダーした。そして、野菜を掬う。
「これは中国にもある」
「ないよー」
「いやある」
それはバジルだった。バジル、中華料理に入ってたっけ?ま、いいか。
「お前はそれは知らないだろ。食うな」
「いや、知ってる。食べる」
おばあちゃんと不思議なマウントを取り合う。うちのおばあちゃんはどの国の料理を食べても、中華にもあるというし、食べたことがあるというし、なぜか私の方が世界の料理を知らないと思っている。
我が家はグルメ一家だったし、私は口に国境のない人で上手ければなんでも食う人間だぜ。タイ料理も好きだぜ、君は今日までにタイ料理を食べたことがあるのかっ?
「ほら、まずいだろ?」
「いや、うまい」
ちなみに、バジルの茎は硬かった。ありゃ、食いもんじゃねえ。その後、旦那がスイッチ入っちゃって年下の中国人ガイド相手に自らの仕事観について滔々と語る傍らで、私とおばあちゃんは魚の塩釜焼きの頭の片隅にこびりついた肉すら剥がし食べ尽くし、Wi-Fiないのに帰れま10状態な息子が怒り狂うので、私の携帯(タイのカードを入れたので繋がる)を貸して、This War of Mine という有料でダウンロードしたけどほったらかしてたゲームをやらせて黙らせた。
明日もかけたら多分続く
(お笑い芸人、乙女共著)
2024.05.03